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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

iaku『目頭を押さえた』

http://www.komaba-agora.com/line_up/2013/12/iaku/

  • 作:横山拓也
  • 演出:上田一軒(スクエア)
  • 舞台監督:武吉浩二(Quantum Leap*)
  • 照明:池田哲朗(PAC West)
  • 音響:三宅住絵(Quantum Leap*)
  • 舞台美術:柴田隆弘
  • 衣装:田中秀彦(iroNic ediHt DESIGN ORCHESTRA)
  • 演出助手:北山佳吾(iaku)、鎌江文子
  • 写真:堀川高志(kutowans studio)
  • 出演:金替康博(MONO) 緒方晋(The Stone Age) 魔瑠(遊気舎) 橋爪未萠里(劇団赤鬼)松永渚 うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 七味まゆ味(柿喰う客) 野村脩貴(ルート)
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆☆

  iaku『目頭を押さえた』を娘と見に行った。優れた台詞劇の醍醐味を堪能。横山拓也の作劇の恐るべき巧さ、その戯曲の魅力をしっかりと引き出す丁寧な演出、そして戯曲と演出の要請に的確に応えることのできる素晴らしい役者たち。チラシの中に柿喰う客の七味まゆ味さんの名前を見つけた娘が見に行きたいと言ったのが、公演予約のきっかけである。横山拓也の作品は数年前、食肉処理工場での人間関係を精密にリアルに描いた『エダニク』という傑作を私は見ていたのだけれど、彼の公演ユニットであるiakuの名前は知らなかったのでチェックから漏れ落ちていた作品だった。チラシに横山拓也の名前を見て、予約することを決めた。

 過疎の山村が舞台。その村では通夜を行うとき「喪屋」という専用の小屋を使う風習があるのだが、その風習は最近では廃れ、今では喪屋があるのは、村でただ一軒、細々と林業を営む一家族だけだった。その家の喪屋でも通夜が行われることは滅多になくなっていた。喪屋のある一家の親戚の娘が全国高校写真コンクールで最優秀賞を獲得した。村にとっては大きなニュースだ。高校で写真部が廃部になってしまったため、今では使われなくなった喪屋が彼女の写真現像用の暗室として使われることになる。「喪屋」は他の用途で使ってはならないしきたりがあったのだが。喪屋が暗室となったときから、閉鎖的環境のなかでそれなりに安定した喪屋の一族たちの人間関係が揺れ動き始める。喪屋を中心に様々な人間関係の綾が繊細な心理描写で描き出される。町から家庭教師としてやってくる派手な若い女性研究者も、この一家の関係性を撹乱する役割を担う。

 絶妙の間の中で軽やかに展開する会話のやりとりの明朗さと舞台奥で存在感を示す喪屋から放たれる重苦しい妖気が対比をなしている。思春期にある少女二人の不安定な心、夫婦関係、親戚間の関係、親子関係、教員と女子学生のあいだの淡い恋愛感情、閉鎖的で窮屈な田舎の人間関係等、さまざな関係性のなかの人間心理が、喪屋の前で池の波紋のように重なり合い、奥行きのある世界を形作っていく。喪屋は人間たちの葛藤を沈黙したまま、不気味に見守っているかのようだ。

 この喪屋の一家の人物たちは、成員のそれぞれの成長のなかで、そして時代の変化のなかで、変わっていくことを求められている。彼らの葛藤の苦しみは、周囲の変化の中で自分もまたいやおうなく変わらなければならないことに起因する苦しみだ。この一家には跡取りとなる小学生の男の子がいる。この男の子は跡取り息子として甘やかされて育ち、人が訪ねて来ても挨拶もろくにせず、一人ゲームに没入しているような男の子だ。劇中の各エピソードの区切りを示すポイントとして登場し、その場違いで無愛想なふるまいで笑いを取る機能しか付与されていなかったこの少年が、最後の場面で大きな変化を受け入れることを強いられる。彼の変化の場面は実に感動的だ。この少年の転換は劇中のあらゆる人物、いや劇中人物だけでなくそれを見ていた観客たちにも、決定的な影響をもたらす。

 実に爽快な芝居だった。観劇後、大きな満足感に浸る。ケレンじみた仕掛とは無縁なオーソドックスな台詞劇なのだけれど、古くささは感じない。普遍的でかつ非常に現代的な演劇に感じられた。横山拓也の劇作の技巧の素晴らしさは驚嘆すべきものなのだが、細部まで配慮の行き届いた演出のスマートさによってそのうまさ、わざとらしさが鼻につかない。個性的な各人物を、それぞれの俳優が絶妙のバランス感覚で演じたこともよかった。緻密なアンサンブルを感じることができる芝居となっていた。こまばアゴラ劇場という小さな空間で、このような繊細な演劇を見ることはできたのは本当に幸運だったと思う。私は最前列中央で観劇していたので、文字通り役者の息づかいを感じ取ることができた。

 中一の娘にとっては衝撃的な作品だったようだ。小学生の男の子の使い方とぼけ役を担っていたお母さん役の女優のコミカルな演技にはとりわけ感じ入っていた。「演出ってすごいなあ。観客の見るリズム、欲求に合わせて、舞台上の時間の流れが調整されていたみたいだ」というようなことを言っていた。