閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ロリポップチキン『タイジの記憶』

http://lollipopchicken.ken-shin.net/stageguide.html

  • 作・演出:長谷川慶明
  • 舞台監督:長谷川慶明
  • 照明:高瀬勇佑
  • 音響:杉浦文絵(てあとろ50)
  • 出演:竹垣朋香(実験劇場)、永瀬泰生、鈴木はるか、塚本皆実、赤本楓、工藤謙太朗
  • 上演時間:70分
  • 会場:南阿佐谷 ひつじ座
  • 評価:☆☆☆☆

 武蔵大学人文学部に在学中の長谷川慶明が主宰する演劇ユニットの三公演目。7月に最初の公演、10月に第2回公演、そして12月に第3回という早いペースで続けさまに公演を打っている。予告されている第4回公演は4月末だ。とにかくスタートダッシュで行けるところまで全速力で突っ走っている感じである。

 サルトルの『出口なし』からインスピレーションを得た作品。1作、2作目は、主宰の長谷川が役者も兼ねていたのだが、伝えたい、表現したいという強烈な欲求が作品からあふれ出ていて、その勢いが魅力ではあったのだけれど、作品のバランスは悪いところがあった。今作も最初から最後まで全速力で突っ走る感じのエネルギーを感じさせる作品であったが、長谷川が演出に専念することで破綻するぎりぎりのところでコントロールできていたように思う。

 この芝居で求められているのは写実ではなく、動きと発声に独特のリズムとアクセントを持つある種の型を感じさせる演技だ。スピード感のある台詞回しとはじけるような反射的な動きは、野田秀樹の演劇を連想させるところがある。この演技スタイルはさらに高め、押し進めることができるように思う。若い役者たちはそれぞれ魅力的だったが、そのなかでも芝居のなかで求められる発声と動き、そして表情の変化の様式を最も見事に表現していたのは、靖子役を演じていた塚本皆実である。こうした達者な演技はややもすれば過剰で浮き上がったものになってしまうので注意が必要だけれども、彼女の演技力、存在感は、今後、いろいろなところで重宝されるに違いない。ヒロイン役の琴美を演じた竹垣萌香も、人物の不安定なペルソナの変化をしっかりと演じ分けていた。また竹垣萌香は見た目がアイドル風、つまりある種の男性たちの欲情をそそるアピールがあって、とても可愛らしい。

 脚本はこれまでの作品のなかで一番完成度が高い。サルトルの『出口なし』の設定を本歌取りして、イマドキの若者の風俗、感性の枠組みにうまく置き換えた脚本は、とてもよくできている。私はコメディ・フランセーズによる『出口なし』の舞台をまだ大学生の頃に見たような気がする。大分昔のことなのではっきり覚えていないのだが、生気のない抑揚のない単調な調子でずっと台詞が話される演出だった。見知らぬ3人の男女が密室に永遠に閉じ込められてしまう話だったように記憶している。彼らは死者で、彼らがいる場所は地獄なのだ。「地獄、それは他人だ L'enfer, c'est les autres」という台詞がよく知られている。

 『タイジの記憶』は中盤の回想部分で大きな迂回をしつつ、冒頭と結末ではこのサルトルの『出口なし』の主題に立ち戻る。今ではあまり読まれないし、上演機会も多くない『出口なし』に着目したとことは評価すべき点だと思う。原作のエッセンスをしっかり理解したうえで、現代の日本の若者である作・演出者が感じ取ることのできるリアリティにひきよせた物語と表現を提示していることに私は感心した。

 しかし中盤部分で、「記憶ができなくなってしまう病気」を劇中の悲恋譚の仕掛として使ってしまったのは、残念に感じた。「記憶ができなくなってしまう病気」は悲恋物語の仕掛として、最近あまりにもいろいろな作品で安易に使われてしまったために、使い方がきわめて難しいのだ。使ってしまうと通俗的、情緒的になりすぎてしまう。『タイジの記憶』では、「忘却」がキーワードになっているだけに尚更、「記憶ができなくなってしまう病気」という手垢のついてしまった仕掛を使いたい欲望を抑え込んで、別のやり方を考える必要があった。『タイジの記憶』というタイトル表記も、作品の結末を予想させてしまうのが難点だ。

 ロリポップチキンの持ち味は、通俗趣味を過剰なエネルギーでもってキッチュな不気味なものへと変容させてしまうところだ。作品を最後まで見れば、中盤の陳腐すぎる恋愛譚にひねりは加わっているのだけれども、それでもやはり私には甘すぎる感傷に引っ張られすぎているように感じた。恋愛を描くのであれば、もっといびつでエキセントリックでおぞましいものが描き出されいなければ、あの文脈のなかでは大きな説得力を持たないように私は思うのだ。

 しかし作品自体は、『出口なし』の優れた現代日本版書き換え狂言となっていて、総体的にはわたしは十分楽しんで見ることができた。再演に耐えうるクオリティを持っていると思う。

 ロリポップチキンの最大の弱点は舞台美術だろう。時間も予算もないなか、脚本が一番、役者が二番で、舞台美術などの視覚面は優先度が落ちるのは仕方ない。しかしどこの劇団も乏しい予算で何とかやりくりしている。アイディアをひねり出して、美術の面でのステップアップを期待したい。美術については他の劇団の公演を研究するなど、もっとインプットが必要だ。客席に空席が目立ったのは本当に残念なことだ。制作面の不備も現状ではどうしようもないかもしれない。しかしやせ我慢してこのまま公演のクオリティを維持すれば、客も徐々に増えるだろうし、新たな才能も集まって来るだろう。

 三作目にしてロリポップチキンの足場が固まってきたことを感じさせる作品だった。王子小劇場に進出となる次回作(4月末)も期待したい。