閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

三人吉三巴白浪

前進座Next

  • 作:河竹黙阿弥
  • 演出:鈴木龍男
  • 美術:鳥居清光
  • 照明:塚原清
  • 音楽:杵屋佐之忠
  • 立て:尾上菊十郎
  • 衣装:伊藤静
  • 出演:松涛喜八郎、中嶋宏太郎(中嶋宏幸)、寺田昌樹、早瀬栄之丞(亀井栄克)、関智一、上滝啓太郎、忠村臣弥(竹下雅臣)、本村祐樹、山崎辰三郎
  • 上演時間:二時間四十分(休憩20分)
  • 劇場:吉祥寺 前進座劇場
  • 評価:☆☆☆☆★
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劇団第四世代にあたる前進座若手たちが立ち上げた前進座Nextの第一回プロデュース公演。演目は同じ劇場で上演中の本公演と同じである。この企画を最初に知ったのはツイッターでの中嶋宏太郎(中嶋宏幸改め)のツイートだったと思う。十月の終わりか十一月の初めごろだ。正直、かなり無謀な企画であるように思えた。吉祥寺前進座劇場の閉館を飾る本公演のまっただなか、その合間を縫って同じ演目を、意地悪な言い方をすれば前進座のなかでは二軍にあたる若手が上演するのである。入場料は本公演より安く設定しているとはいえ、4500円である。
前進座の常連客はまず本公演には足を運ぶだろうが、わざわざ同じ演目を若手公演で続けて見たいと思うだろうか? また常連客が見に来ないとすれば、一般的には知名度のない役者ばかりが出演する歌舞伎を誰が見に行くだろうか、と思ったのだ。この後のツィートでは前進座劇場最終公演となる本公演のチケットが完売していくのに対し、Next公演のチケットの売れ行きはかなり苦戦している様子だった。

私は本公演の予約開始と同時に、Next公演のチケットも予約した。Next公演企画の核であり、和尚吉三を演じる中嶋宏幸という役者が好きだったのがその理由の一つだ。中嶋宏幸は前進座のなかでは重要な脇役を担当することが多い中堅俳優だが、細部のちょっとした工夫が際立っていて、芝居を見て思わず「うまいな〜」と呟いてしまうような役者なのだ。「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という諺がはまるような短い出番でも印象を残す演技ができる人だ。この中嶋を中心とした若手俳優たちが、前進座劇場の最後に自分たちの世代の出発点となるような足跡を残しておきたいという熱い思いが、この暴挙とも言えるNextの企画には込められている。前進座の芝居の一観客として、こうした思いに応えたいと思ったのだ。

公演はたったの三日間、三度しかない。私はNext公演の千秋楽にあたる六日の公演を予約した。せっかくのこの企画ががらがらがだったら心が痛むなと思っていたが、九割ぐらいの客席は埋まっていた。男性老人客がマジョリティのいつもの前進座公演とは異なり、若い女性客が多い。友情出演の声優、お坊吉三を演じる関智一の人気だろうか。私は関智一についてはまったく知らなかった。ドラえもんスネ夫役などを担当しているキャリアの長い声優で、ヘロヘロQという劇団を主宰している。ヘロヘロQが前進座劇場で公演をずっと行っていたこともあって、今回の出演に結びついたとのこと。歌舞伎はこれが初挑戦だと言う。

芝居は本公演からいくつかの場を省略したものになっていたが、物語の流れはきっちりと追うことができるように整理されていた。歌舞伎初挑戦の関智一をはじめ、歌舞伎で大きな役を演じたことのない役者ばかりの公演なので、もしかすると「見功者」たちには未熟に思える瑕疵があったかもしれない。しかしこの一回の舞台に全力を注ぐ役者たちの熱気は圧倒的であり、私は期待通りの大きな感動を味わうことができた公演だった。前進座劇場の閉館へのオマージュにふさわしい素晴らしい舞台だったと思う。私はこういう舞台に立ち会うことができてとても満足している。

どの場も役者の真摯な緊張感が伝わってくる心地よい舞台だったが、三幕「吉祥院本堂の場」での中嶋宏太郎演じる和尚吉三の長台詞がとりわけ私には印象深いものだった。その調子には鉈で切り裂くような重さと切れ味を感じた。畜生道に堕ちた妹とその恋人を切り殺した後、彼は地獄へ突き進む覚悟を表明する。それは役者自身の悲壮な決意表明であるようにも私には聞こえた。

この芝居が私が前進座劇場で見た最後の芝居となった。やはり寂しい劇場の閉館は、役者やスタッフにとっては自分たちの本拠地、故郷を手放すようなものなのだから、その思いは痛切きわまりないものに違いない。観客である私にとっても、吉祥寺の前進座劇場は演劇についてのいくつかの大切な思い出と結びついた場所だった。。九日の『三人吉三』および劇場の大千秋楽にも立会いたかったのだが。チケットを取っていなかったことが悔やまれる。

ここ三年は正月の前進座劇場での公演は娘と一緒に見に来ていた。今年の最後の劇場公演でも娘と一緒に『三人吉三』を見ることができてよかった。