閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

前進座Nextプロデュース『深川ももんが』

前進座Nextプロデュース公演 第2弾『深川ももんが』

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  • 作・演出:太田善也(劇団散歩道楽
  • 装置:田中敏恵
  • 照明:上川真由美
  • 音楽:タカタタイスケ(PLECATRUM)
  • 音響:川名あき
  • 舞台監督:小野文隆
  • 出演:高橋祐一郎、石田聡、渡会元之、生島喜五郎、藤井偉策、黒河内雅子、平澤愛、柳生啓介(協力出演)、金世一(友情出演)
  • 劇場:清澄白河 深川江戸資料館小劇場
  • 上演時間:2時間15分(休憩15分)
  • 評価:☆☆☆☆

 江戸の長屋の庶民生活を生き生きと描き出す人情喜劇。お正月に見るにふさわしい、明朗で後味の爽やかな作品だった。上演会場も、江戸の庶民の街並みが再現された深川江戸資料館附属の小劇場だ。舞台上演の前後に資料館の展示を回ると、芝居の味わいもより一層深まるだろう。

 

 2014年の初芝居も前進座の公演となった。昨年に引き続き、娘と一緒に見に行った。吉祥寺の前進座劇場は昨年の新春公演『三人吉三』で閉館してしまったので、今年は東京での本公演はなかった。その代わり、前進座の若手が立ち上げた前進座Nextのプロデュース公演第2弾が、深川江戸資料館の小劇場で行われた。今日は新年最初の公演ということで、開演前に鏡割りが劇場前であった。

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 昨年の前進座Nextプロデュース公演第1弾は、本公演と同じ『三人吉三』だったが、今回は劇団散歩道楽太田善也に作・演出を依頼しての新作公演だった。前進座Nextの中心メンバーである高橋祐一郎が太田善也と九年前からの付き合いということで、今回の新作委嘱となったようだ。

 貧しいが人のいい人間ばかりが住む江戸の長屋が舞台。そこにある日、朝鮮通信使の一人が迷い込んでくる。傍若無人で誇り高き朝鮮人の言動は、長屋の町人たちと摩擦を生むが、時間がたつにつれ互いに理解を深め、仲良くなっていく。異国の客人の到来という刺激が、長屋の人々の意識に影響を与え、彼らの日常を活性化させる。

 太田善也の作品を私はこれまで見たことがなかった。ネットで検索してみる限り、彼の戯曲は娯楽性の高い現代劇が中心で、時代劇は見あたらない。今回は前進座からの要請で、座の特徴を引き出しやすい江戸長屋を舞台とする庶民的な世話物風喜劇を書くことになったのだろう。

 韓国人俳優の金世一(キム・セイル)をキャストに迎え入れたというのも、意外な組み合わせに思えた。私は俳優としての金世一をこれまで見たことなく、小劇場の演出家としての金世一しか知らなかった。私が見た金世一演出作品は、陰鬱でどこかグロテスクな人間の情念を審美的に描こうとする芸術的作品だった。間口の広い観客を対象とする前進座のまっすぐで、健全さを感じさせる芝居とは対極にある。前進座の俳優の柳生啓介は韓国ドラマ通としても知られており、その繋がりもあって金世一とは親しい付き合いがあったとのことだ。本作で朝鮮通信使の役柄を演じた金世一が役者として圧倒的な存在感を放っていた。私は今回、二列目の中央という非常にいい席で観劇することができたので、俳優たちの細かい演技の工夫にも気づくことができた。どちらかというと演出家としては重苦しく、暗い作品を作ってきた金世一が、この作品では軽妙、達者な芝居で展開をリードしていた。台詞の間、声の調子、ちょっとした表情の変化や動作の反応のよさは実に見事だった。絶妙の演技で作り出したひょうひょうとした雰囲気が観客の笑いを引き出していた。劇中で歌った韓国歌曲の歌唱も堂々としたもので、歌い終わったあとは観客席から拍手がわき上がった。

 前進座の俳優たちの芝居もよかった。ベテランの柳生啓介は謎めいた複雑な経歴を持つ長屋の差配の役を演じた。彼が舞台に出ると、舞台の明度が増す感じがする。また落語の人情噺的な空気が漂う。主役の半人前職人、シスターコンプレックスの半吉を演じた藤井偉策のはきはきとした元気のある芝居も見ていて実に気持ちが良い。愛嬌たっぷりで憎めない。半吉の姉役で、ナレーターの役も担当した黒河内雅子のニュアンスに満ちた演技、半吉に恋心を抱く娘、さくらを演じた平澤愛の仕草と表情の愛らしさ、ユーモラスな存在感で芝居のスパイスとなった長屋の婆さん役の生島喜五郎等々、若手とはいっても前進座の俳優たちはそれぞれ実に芸達者で巧い。

 今日の公演は補助席まで出る超満員で実にいい雰囲気の観客席だった。俳優たちの芝居に対してもよく反応していた。見た後、幸福感に包まれるとてもいい公演だったと思う。

 脚本と演出に若干の難点があった。総体的には満足度の高い公演だったのだけれど、演出的な完成度はそれほど高くなかったように思った。細部でがさがさと粗っぽく流した感じがあった。個々の役者の技量によって何とか処理したような。脚本も、長屋の井戸の回りとセミ・パブリックな場所に様々な人物が行き来する、よそ者の到来がコミュニティにドラマを作り出すという、定型的構造と物語に、朝鮮通信使を取り入れるという着想はとてもよいのだけれど、副筋となる二組の男女の恋愛譚の印象が弱くて、主筋と効果的に絡み合っていない。朝鮮通信使を演じた金世一の芝居が想定以上に堂々としたものだったので、他の要素が後退してしまい、バランスが崩れてしまったのかもしれない。脚本のバランスを見直し、上演を重ねていくとこうした欠点を修正することは難しくないように思う。再演に耐えるクオリティを持った作品ではあると思う。再演するとなると、通信使役は金世一以外に考えられないのだけれど。