閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

FUKAIPRODUCE羽衣『女装、男装、冬支度』

http://www.fukaiproduce-hagoromo.net/ 

  • プロデュース:深井順子 
  • 作・演出・音楽・美術:糸井幸之介 
  • 舞台監督:渡辺了(((株))ダイ・レクト) 
  • 照明:松本永 
  • 音響:佐藤こうじ(Sugar Sound) 
  • 衣装:吉田健太郎 
  • 振付:木皮成 
  • 出演:深井順子、日高啓介、鯉和鮎美、高橋義和、澤田慎司(以上FUKAIPRODUCE羽衣)、伊藤昌子、ゴールド☆ユスリッチ(散歩道楽)、代田正彦(★☆北区AKT STAGE)、浅川千絵、熊川ふみ(範宙遊泳)、島田桃子、大石将弘(ままごと)、鈴木俊典(扉座) 
  • 劇場:座・高円寺 
  • 上演時間:2時間 
  • 評価:☆☆☆☆

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 1/29水曜日が初日で、2/2日曜が千秋楽。あっという間という感じだ。羽衣の公演を見る音はちょうど一年前、東京芸術劇場での『サロメ vs ヨカナーン』が最初で、その次が7月にこまばアゴラ劇場で見た『Still on a roll』、今作が私が見る羽衣作品三作目となる。 

 私は同じ作品を公演中に複数回観に行くことは極めて稀なのだけれど、FUKAIPRODUCE羽衣については『サロメ vs ヨカナーン』も『Still on a roll』も二回見に行っている。いずれも一度目の観劇時にはそれほど大きな感銘があったわけではない。特に『Still on a roll』についてはよい印象がなかったのだけど、何か心にひっかかるものがある。羽衣は奇妙なミュージカル、「妙―ジカル」ゆえに、各作品にオリジナルの楽曲が使われている。その音楽がとてもいいのだ。一回目を見た後からじわじわと作品のことが気になりはじめ、もう一度見に行くことになるというのが、これまで見た二回のパターンだった。そして二回目に見たときは、一回目よりもはるかに大きな感動を得ることができた。一回目でとらえきれなくてもやもやしていたものが、一気に晴れ渡るような感覚を二回目の観劇では味わうことができたのだ。 

 こういうわけで『女装、男装、冬支度』は最初から二回分、初日と千秋楽の公演を予約した。やはり二回目に見た『女装、男装、冬支度』は、一回目よりはるかに楽しんで見ることができた。この作品の素晴らしさを、二回目の鑑賞でより深く味わうことができたように思う。一回目でピントがぼやけていたところに、二回目では焦点が合い、作品の魅力がシャープな像として現れてきたような感覚である。作品構造は『サロメ vs ヨカナーン』と似ている。七組の男女カップルの愛の風景をエピソード形式で提示していく。『サロメ vs ヨカナーン』では複数のエピソードを繫いでいたのは、間接的で象徴的なやりかたで行われてきたワイルドの「サロメ」への参照だった。中盤に全員登場で歌われた通称《ゾロ目の歌》が、各エピソードを結ぶ核となる。 

 

 『女装、男装、冬支度』の構造は『サロメ vs ヨカナーン』より複雑だ。まずここで登場する恋人たちは、既にこの世に存在しない亡霊たちだ。舞台奥には14の墓石が横に並んでいる。最初の場面は、冬の夜に、二人乗りバイクを暴走させるカップル。彼らの乗ったバイクは事故を起こし、二人は地面に投げ出される。暗転のあと、墓地に入り込んだカップルの場面となる。二人は自分たちの名前が記された墓石を発見し、驚愕する。墓石の後側から亡霊たちが登場し、群舞がはじまる。この群舞から雪合戦の場面へと移行する。群舞から雪合戦、さらに小学6年生の男女の淡い恋へと、雪の降る冬の夜を舞台にエピソードが移行していく。滑らかに変形していくかのようなエピソードの連鎖のさせ方が非常によい。屈折し、すさんだ雰囲気の男とピンサロの女のエピソードもいい。除雪車を避けて入ったピンサロで、男は女のサービスを受けながら、「赤紙が来て、明日、関ヶ原へ出兵する」などとわけのわからぬことを呟く。男はエキセントリックであきらかに異常だ。何かに追われ、圧迫されているような強迫観念にかられているように見える。ピンサロ女は、異様な緊張感を漂わせるこの男を拒否せずに、優しく受け入れる。男を演じた大石将弘の演技がいいし、ピンサロ女の鯉和鮎美のコケットリーは強力だ。何て可愛らしい女性だろう!後ろに控えるピンサロの男性スタッフのマイクを使ったアナウンスとパフォーマンスは爆笑もの。アコースティックギターだけの静かな音楽、暗い舞台にスポットのみの照明、そしてまったく性質の異なる三人の人物の存在とその台詞の響きが、詩的なハーモニーを作り出す。この他、遊び人の浮気男と女の激しい痴話げんかのエピソード(金髪かつらの熊川ふみがまた驚異的に可愛い)、既婚の年上男性と女子大生の不倫エピソード、広い舞台の端と端でやりとりが行われる仲のよい老夫婦のエピソードが組み入れられる。この老夫婦は、作品全体の外枠にいるかのようにも思われる。慈しみ合う二人の語りの内側で、他のエピソードが展開しているような提示のされ方がされている。 

 

 こうしたエピソードが一通り紹介されたあと、もっとも変化に乏しいように思えた既婚男性の「パパ」とその愛人のエピソードの最後で歌われる地味なワルツが、「(雪や)こんこん」というリフレインのもと、大きなうねりを作り出していく。作品全体の2/3を過ぎたあたりで歌われるこの楽曲の場面は本当に感動的だ。舞台上の男女がそれぞれ来ている服装を交換し、男装と女装によって互いの性別が入れ替わってしまうのだ。男は女に、女は男となって反転し、前半に提示されたエピソードが再現されたり、その続きが演じられたりする。この性転換は性行為の暗喩でもあり、二人が愛し合い、結合することによって、その存在そのものを互い共有し合う愛のあり方の象徴になっているような気がした。この性転換の場面で、紙吹雪の舞う中、群唱・群舞される「コンコン」のリフレインは、鳥肌がたつほど素晴らしい。 

 

 男が女を演じ、女が男を演じる最後の1/3は、舞台上に残された妻の身体を通して伝えられる老夫妻のつぶやきで終わるように思える。ろうそくの光が吹き消され、冬の夜の夢が消え去ったかのような暗転と沈黙が訪れる。しかしこの優しく、きれいすぎる終わり方は羽衣らしくはない。この後、暴走の若者二人のエピソード、そして墓に入り込み、墓石の前で性行為を行ったカップルのエピソードが続く。最後のカップルはやはり男女の服装が逆になっている。しかしそれは暗闇のなかで服を着たために、お互いが間違って相手の服を着てしまったからだった。性の交換による二人の合一という幻想ではなく、単なる服の取り違えという現実。しかし女に話しかけられた男は女言葉でとっさに返答してしまった。墓地からホテルに移動するために、二人が舞台からいなくなったところで、作品の幕がおりた。 

 

 亡霊たちによる愛の記憶、願望の再現は、ワイルダーの『わが町』を連想させるところもある。そこで想起される性愛のあり方は、たとえどんなにみじめでみすぼらしく、陳腐なものであったとしても、濃厚で美しい抒情を含んでいる。性愛のみにひたすらこだわり、音楽とダンスを用いて表現された大らかな愛の賛歌だった。