- 作:泉鏡花
- 演出:久保庭尚子(世 amI)
- 照明・音響操作:国末武(百景社)
- 選曲:川松理有(榴華殿)
- 宣伝美術:沼上順也
- 協力:百景社、榴華殿
- 出演:森田小夜子(榴華殿)、仲谷智邦、木母千尋(第七劇場/Linguaber)、吉田俊大、鈴木みらの(世 amI)
- 劇場:土浦 百景社アトリエ
- 上演時間:75分
- 評価:☆☆☆☆
泉鏡花の『天守物語』はスター俳優を揃えた大きな舞台のための華やかな芝居というイメージが強いが、それをこの公演では5人の役者で上演するという。小劇場のせせこましい舞台であの作品をたった5人の役者でやるとは、何と無謀な、という気も実はしていた。
配役は森田小夜子が老婆・冨姫、吉田俊大が図書之助、仲谷智邦は「男」、木母千尋と鈴木みらのは「女」1、2となっていたが、仲谷、木母、鈴木の三人は、実際には扮装を替えて一人で複数役を演じる。
『天守物語』のヒロインである富姫に、おそらく身長140センチほどしかない低身長の女優、森田小夜子を起用するというアイディアが意表をつく。森田は老婆・富姫の二役となっているが、実際にはこの上演では老婆と富姫は同じ人物だ。上演前に演出の久保庭からの口上がある。ここで『天守物語』の概要とこれから上演される芝居では、この戯曲を愛読する老婆の暗誦から劇世界が立ち上がることが予告される。泉鏡花の『天守物語』は、老婆の暗誦から具現化された妄想的劇中劇として展開される趣向になっているのだ。
腰の曲がった小さな老婆がぶつぶつと『天守物語』の内容をつぶやきはじめる。すると仲谷、木母、鈴木の三人が彼女の語りに合わせて、劇世界を再現していく。図書之助役の吉田俊大は開演前から舞台奥の高くなったところにある椅子に座り、後半の図書之助登場の場面まで、不動のまま、彫像のごとく、客席と舞台を睥睨している。老婆の語りによって生じ、語りに合わせて繰られる登場人物たちは、最初のうちは台詞回しも動きも、人形のようにぎごちないが、徐々に自由に動き始める。しかし彼らの妖怪ぶりは、老婆の妄想によって原作で書かれている以上に奇怪なデフォルメが加えられているように私には感じられた。どこかねじの外れたようないびつさと不安定さがある。老婆は自らの作り出した『天守物語』のなかで、富姫と一体化していく。
舞台は一面黒で、しかも照明は暗め。役者たちのすがたははかない幻想のように暗闇にぼんやりと光る。音響は若干反響が強めだったが、役者たちの台詞の朗唱は明瞭に響き、泉鏡花のテクストの音楽性の心地よさを味わうことができた。
開演前からずっと不動のままだった図書之助が、後半の登場場面の最初で訥々と語りはじめ、ゆっくりと動き始める場面は、今回の上演のなかでもっとも私の心をとらえた場面だった。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の大序で、人形として舞台上に配置されていた人物に徐々に魂が入っていく美しい場面を連想させる。前半は老婆は老婆の姿で舞台に現れていたが、図書之助との恋愛が転換する後半には姫の衣装になっていた。
5人という少ない人数の役者で『天守物語』を上演するいう表現の枷を逆手にとって、独創的な着想の密度の高い舞台を提示していることに成功していた。導入部から私は背筋を伸ばして舞台に集中して見入っていたのだけれど、後半の図書之助と富姫の恋愛譚は単調に感じられ、舞台の緊張感も弱まったように感じた。私の集中力が切れただけかもしれないけれど。
私が少々興ざめしてししまったのは選曲である。BGMが比較的多く使われた舞台だったが、場面の雰囲気を盛り上げるための定型的で安っぽいBGM音楽が選曲されていたように感じた。使い方もいかにも約束事めいていた。作品の雰囲気とは異なるポップ音楽も使用されていたけれど、キッチュな効果を目指しているのであれば、もっと徹底してつきぬけるためのさらに戦略的な選曲が必要であるように私は思った。