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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

大衆演劇の世界を垣間見る:一見劇団を見に行った

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【初めての大衆演劇体験(1/5)】

 大衆演劇は以前から一度見に行きたいと思っていたのだが、なかなかきっかけがなかった。今回行くきっかけとなったのは、ツィッターでの大衆演劇の伝道師、武尊さんの以下のツィートをたまたま目にしたことである。

https://twitter.com/takataisyuengek/status/410370546828709888

私も初めて大衆演劇を観た時は、全部がこんな感じなんだと半年位、思い込んでた。 でもね、劇団によってもう、全然違うから。えーと、SCOTとキャラメル位?

 

 SCOTとキャラメルボックスぐらい幅がある。このフレーズには大いに好奇心を刺激された。上のツィートをリツイートしていたツイ友に「よければ一緒に見に行きませんか?」と声をかけられ、2014年1月5日に観劇仲間6人で東京の大衆演劇の本拠地のひとつ、十条の篠原演芸場にはじめて足を運ぶことになった。大衆演劇観劇の場合、通常は予約は必要ないとのことだが、この日は正月休みだし、一見劇団という人気劇団の公演ということで事前に予約しておいた。

 電話で予約の段階からカルチャーショックがあった。一月公演の予約開始日に篠原演芸場に電話したのだけれど、日付と昼夜、人数とこちらの姓だけを聞くと、「はい、それではお待ちしております」と電話が切られた。本当にこれで予約ができているのかどうか不安に思ったのだが、もちろんこれで大丈夫だったのだ。

 当日の料金のシステムも変わっている。まず窓口で入場料1600円を払う。下足箱に靴を入れて中に入ったところに「座席係」の人がいて、その係の人に予約していることを伝えると席の位置を教えてくれる。そのときに「座椅子料金」として300円支払うのだ。1/5は正月中ということもあり、篠原演芸場は超満員だった。窮屈なことこの上ない。公演は一ヶ月単位で、休演日が二日だけであとは毎日公演がある。原則的に週末、祝日は昼夜二回公演、平日は夜のみの一回公演となっていた。

 

 昼の部は一二時半に始まり、終わったのは四時一五分ごろだった。三部構成になっていて、最初は三〇分ほどの演歌ポップスに合わせての舞踊ショー、休憩が入ってその後、一時間半ほどのお芝居、また休憩を挟んで最後は一時間ほどの演歌ポップスに合わせての舞踊ショー。 

 少なくともこの公演の芝居のパートは、私が考えていた以上にゆるゆるでぐだぐだの芝居だった。大衆演劇の芝居は通常、台本がなく、口立てで即興的に行われると聞いていたが、一編の演劇作品として見た場合はボロボロで程度が低い。即興での台詞も当意即妙とはほど遠く、同じ言葉が何回も繰り返されるし、リズムや間も悪い。劇は「芸者の里」という演目で芸者とつっころばし風の若旦那との通俗きわまりない恋物語で、そのドラマも失笑してしまうようなご都合主義だった。思わずつっこみのやじを飛ばしたくなるような代物だったのだけれど、おばさまがたの観客の大半は「メタ」的にではなく、真剣に見ていたようで、芝居の悲恋に涙を流している人もいた。また劇中のつまらないギャグもよく受けていた。 

 正直、芝居の程度の低さには唖然としてしまったのだけれど、完成された演劇作品を期待して見るのはそもそも見当はずれの見方なのだろう。劇団としても中盤の芝居よりは、大音響の演歌ポップスに合わせて踊るスピード感ある舞踊ショーをはるかに重視しているような感じがした。大音響の演歌ポップスは音楽としては聞くに堪えないのだったけれど、舞踊はいろいろな種類があって楽しんでみることができた。舞踊自体も上手に見えたし、各役者の見せ方の工夫が楽しい。最後は白虎隊の音楽劇風群舞で終幕。終わったあとは、俳優たちが出口で観客を見送ってくれる。 

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 想像していた以上にバロックアナーキーな世界だった。表現の毒々しさと濃厚さに頭がクラクラした。場内で売っていた120円のたらこおにぎりがおもいのほか美味しかった。

【笈田ヨシと一見劇団の共演(1/10)】 

 「キャラメルボックスからSCOTぐらいの幅」があるということなので、三回ぐらいは最低いろいろな劇団を見てみるつもりだったが、一見劇団については最初に見た芝居がよくなかったのでこの一回だけでいいかなと思っていた。ところが大衆演劇伝道者の武尊さんは「同じ劇団を最低三回見てください。三回見ないとわかりません!」と執拗にツィートしている。

 1/5が大衆演劇初観劇だったのだが、その5日後にピーター・ブルックの劇団で活躍しているパリ在住の笈田ヨシが一見劇団と篠原演芸場で共演することになっていた。最初に見た一見劇団の芝居の印象が悪かったのと、お金が本当にない時期だったので見に行くかどうか迷ったのだけれど、結局、1/10にまた篠原演芸場に足を運んだ。上演予定演目も面白そうだったのだ。笈田ヨシの共演する演目が、大衆演劇では定番だという『喧嘩屋五郎兵衛』という演目だ。その概要は以下の通り。 

 

 五郎兵衛は幼い頃の事故で、顔に火傷を負い、顔半分がみにくく焼けただれたヤクザ者である。その見にくさゆえに女性とはまったく縁のない生活を送っていた。ある日、知り合いの八百屋のおやじが五郎兵衛のもとにやってきて、五郎兵衛に町一番の美人が恋い焦がれていると伝えた。五郎兵衛は最初は半信半疑だったが、八百屋は自分が直接聞いたのだからと太鼓判を押す。五郎兵衛は女の気が変わらないうちにと、すぐにその女のもとに使いをやり、祝言の準備を行うことにした。使いの者には居候の浪人、亥之助を送ることにした。亥之助と八百屋が女の元に結納を持って行くと、女が惚れたのは五郎兵衛ではなく亥之助であったことが判明する。女は人違いをしていたのだ。 

 八百屋が五郎兵衛の家に戻り、事の次第を話す。ひとなみに女と所帯を持つことに浮かれていた五郎兵衛のショックは大きい。五郎兵衛は怒り狂い八百屋を叩き切ろうとする。そこに五郎兵衛の兄の朝比奈が現れ、五郎兵衛を諭す。五郎兵衛は深く沈み込むが、怒りと情けなさは抑えることはできず、荒れ狂う。そして居候の亥之助に、己のプライドを汚されたじめをつけるために果たし合いを申し込む。亥之助はそれを受け入れざるを得ない。果たし合いの場となる河原敷、兄の朝比奈は何を思ったか決闘前に五郎兵衛の刀の刃をつぶしてしまう。決闘の最中に相手の刃がつぶれていることに気づいた亥之助は、つぶれた刃にわざと首筋を押しつけ、絶命する。はっと我に返る五郎兵衛。五郎兵衛は刀の切っ先を腹に押し当て、切腹して果てる。 

 

 上演によって話の内容にはいろいろなバリエーションがあるようだ。バージョンによっては歌舞伎の「籠釣瓶」さながら、狂乱の五郎兵衛が八百屋や女など回りの人間をみな惨殺するという凄惨なものもあるようだ。私としてはそっちがよかったが。醜い男が振られた腹いせに刃傷沙汰というストーリーには「籠釣瓶」を連想したが、この『喧嘩屋五郎兵衛』のオリジナル、一番原型的なバージョンは何だろう? 大衆演劇の人気狂言ではあるけれど、ネットで検索した限りではオリジナルと原作者は見あたらなかった。 

 

 八百屋を演じた笈田ヨシ、一見劇団のなかにもすっと馴染んでいる。異物感がない。大衆演劇を演じることを楽しんでいる様子が伝わってきた。そして演技もやはり、他の面子と比べると格段にうまい。当たり前といえば当たり前かもしれないけれど。普段やっている演劇とはまったく違うところで演じているというのに。八〇歳とは思えないほど反応が早いし、適応能力も高い。やはり勘所を的確につかむ能力に長けているし、器用な人なのだ。しかし素人目にもその芝居の達者な様子はわかるにも関わらず浮きあがっていない。大衆演劇でやっている役者たちへの敬意を感じる演技だった。あまりにも馴染みすぎていて異物感がなくなってしまったのは逆に残念な気もしたが。 

 座長の好太郎もさすがにこの前の芝居と比べると本気を見せようとしているのが伝わってきたけれど、やはり臭すぎ、暑苦しすぎる芝居だ。役者が何か芝居をするたびに、大音量でBGMが流れるのはある種の様式なのだろうが、うっとうしすぎる。そして大音量BGMのために、役者の声もアンプを通してとなる。二〇〇人ぐらいの小屋での上演だけれど、これでは粗い芝居しかできなくなってしまうのは当然だ。客にはこれくらい押しつけがましい芝居を見せるぐらいでちょうど良い感じなのかもしれないが。座長の好太郎以外の役者の芝居は、どうしようもない。花形の古都乃竜也も舞踊では圧倒的な存在感を示すが、芝居はだらだらとしていてめりはりに乏しい。 

 前回見た『芸者の里』にくらべるとはるかにまともな芝居にはなっていたけれども、演劇としてのレベルはやはり高いとは言えない。 

  『喧嘩屋五郎兵衛』の上演のあとは、一時間半続く歌謡舞踊ショーが始まる。大音響の音楽のなか、それぞれ趣向を凝らしたさまざまな踊りのバリエーションが展開する。目まいを覚えるような毒々しい舞踊ショーだけれども、見ているうちにこちらの感覚が徐々に麻痺してきて、取り込まれてしまう。きづくと回りの常連さんと一緒に手拍子を打ちながら見入ったりしている。この豪華絢爛で俗悪な舞踊ショーは、こちらをクラクラと酩酊させるような魅力があることは認めざるを得ない。巧い踊り手、そうでもないもの、踊りの巧拙は幅があるけれど、どの演目の演者も観客を楽しませようとする工夫を感じる。芝居のパートのみならず、踊りのパートも日替わりというのも驚くべきことだ。 

 14歳のア太郎のスピードのある棒踊り、花形、古都乃竜也の超豪華派手派手の電飾衣装舞踊、斜視ゆえに虚ろで不安定な流し目と激しくて可愛くて奇怪な舞踊で釘付けにする紅金之助、梅之井秀男の優雅な女形舞踊などが印象に残る。 

【一見劇団三度目:喜劇『へちまの花』を見る(1/20)】

 一回目見たときは、一見劇団はこれでもう良いかなと思ったけれど、二回目を見たらすでに愛着を抱いていることに気づく。武尊さん曰く、座長の好太郎は喜劇をとにかく一度見て欲しいとのことだったので、「同じ劇団を最低三度見る」という教えを守り、一見劇団をもう一度見に行くことになった。

 一月の篠原演劇場で最後に見た一見劇団の上演演目は3/19の夜の『へちまの花』。偉大な近代喜劇作家である曾我廼家五郎の代表作であることをやはりツィッターで教えて貰い、見に行くことに決めた。松竹新喜劇藤山寛美の代表作でもあったようだ。5日の正月興行、10日の笈田ヨシの特別興行のときは篠原演芸場は超満員だったが、19日は客数は前の2日の半分くらいで、足を伸ばしてゆったりと座ることができた。 『へちまの花』は次のような話である。 

東京から関西の田舎の村に、若くて美しい絵描きの青年がやってくる。この村とかかわりのある伯父に連れられて村のほうぼうをスケッチするが、とある農家で洗濯をしていた若い娘の後ろ姿に惹かれ、彼女をスケッチしはじめた。するとその農家の主である兄が猟から戻ってきて、自分の妹の後ろ姿をスケッチする絵描きを見とがめる。「なにしてけつかるんじゃ、われは」と恫喝する怖い兄に、「洗濯しているあの娘に一目惚れしてしまい、絵を描いてしまった。できれば結婚したい」と言い逃れを行う。兄はその言葉を聞いて大喜び。妹を呼びつけると、振り向いた妹はとんでもない醜女だった。結婚の件については、あらためて東京でという話になったけれど、絵描きはあんな醜女と一緒になる気はさらさらない。何とかして断る口実をと知恵を絞り、死期近い病の上、莫大な借金があり、恐ろしい借金取りに追われているという嘘をついて、娘を村に追い返そうとした。 

 醜女の役は座長の一見好太郎がやった。この好太郎の女形が愛嬌たっぷりでとても魅力的だった。好太郎の道化芝居は、私が子供の頃に祖母と一緒にテレビで見ていた松竹新喜劇藤山寛美を思い出させるものだった。もっとも子供時代、私は藤山寛美松竹新喜劇の面白さがよくわからなかったのだけれど。座長の芝居は、シリアスなものよりもこの喜劇のほうがよっぽどいい。劇団の花形、古都乃竜也もこの演目では三枚目を演じていてこれも可笑しい。芝居のできない座員のもたもたした間も喜劇の仕掛として効果的に取り込まれていた。対話とモノローグで、ぐだぐだとリズムが崩れるゆるさも含め、楽しんで見ることができた。最後の「ほろり」とさせる部分もくどくなりすぎていない。今月見た一見劇団の三本の芝居のなかでは、19日の『へちまの花』が一番よい出来だった。 曾我廼家五郎の芝居は松竹新喜劇でも六〇年代頃からあまり舞台にあがらなくなったそうだが、何本かの作品は関西の大衆劇団のなかで口立てで伝承され、重要な喜劇レパートリーとなっているとのこと。 

 『へちまの花』の後は、九〇分にわたる派手で濃厚な歌謡ショー。大音響の演歌・ポップスと次々と変わる衣装の華やかさ、サービス精神あふれた多彩な舞踊で、満腹になる。 やはり伝道師の言うとおり、同じ劇団を三度見ることには意味がある。三回目にして一見劇団の楽しみ方がわかってきた。この劇団は座長、花形だけでなく、座員のキャラクターが濃く、それが大きな魅力となっている。また劇団の観客を迎える雰囲気もとても感じがいい。座長は開演一〇分前まで、チケット売り場付近に立ってやってくる客に笑顔でお茶を配っている。一見という劇団名だが、常連客だけでなく、一見の客に対する応対もスマートだ。 

 大衆演劇三回目にして、ちょっとはまった感じになった。二〇〇〇円であれだけ密度の高いショーを楽しませてくれるというのは凄いし、毎日演目を変更しているというのも、大衆演劇では当たり前のことだのだけれど、驚くべきことだ。一月興行で休みは月に数日。そして一月ごとに、違う場所へと移動する。芝居興行で食べている人たちの凄みに圧倒される。 

【極楽観劇「生か死か」の衝撃:茂美の湯の温泉と一見劇団(2/20)】

 一月の篠原演芸場での公演のあと、一見劇団は埼玉行田の健康センターで一ヶ月間の興行を行う。行田なら成増の近くの私の自宅からはそれほど遠くない。健康センターでの大衆演劇こそ、大衆演劇の醍醐味を味わうことができるという話も聞き、また二月に行田の健康センター、天然温泉の茂美の湯に一見劇団を見に行くことを決めた。

 

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 茂美の湯に会員登録(メールで申し込むと会員料金は無料)すると、平日ならたった1400円で温泉と芝居を朝から晩まで楽しむことができる。芝居は一日二回公演で、演目は毎回異なる。 

 11時40分ごろに茂美の湯に到着した。まず温泉。露天に何種類もの風呂がある。湯温は低め。浴室内備え付けのテレビをぼんやり見ながら、ゆったりと風呂で過ごす。風呂のあとは飯。食堂できつねうどん、500円。芝居の昼の部は13時半から。終了は16時頃。いきなり芝居から始まる。篠原の演目からオープニングの舞踊を外した感じだ。時間的には2時間半ぐらいなので疲れなくて良い。座椅子を利用する場合は100円の追加料金が必要となる。客は30名ほどだったと思う。 

 昼の部の演目は「天竜しぶき笠」という旅股もの。 

足を滑らせて天竜川に落ちてしまった流れ者のヤクザが、近くの農家に助けられる。その農家の長男は数年前、ヤクザに憧れて失踪してしまったとのこと。流れ者ヤクザは、この家の息子を一年以内にここに連れて帰ることを約束する。さて組と組との抗争で流れ者ヤクザは、相手の組のヤクザ者を斬り殺した。その斬り殺したヤクザ者が天竜川の農家の長男であることがわかる。約束の一年が過ぎた。流れ者ヤクザは天竜川の農家に、この家の息子の遺髪を持って現れる。命の恩人の息子を斬り殺した責任をとるため、流れ者ヤクザはその場で自害する。 

 出演者の息があった良い芝居だった。芝居のくささもこれくらいならOK。芝居の後は舞踊ショー。特異キャラクターの紅金之助をはじめ、花形が見事な扇子さばきを見せた舞踊、座長の女形の優雅な美しさを堪能する。 

 

 昼の部のショーが終わったのが午後4時。また温泉につかる。夜の部は6時半から。夜の部の芝居のお題は「生か死か」というもの。「ハムレット」でもやるのかなと思ったら、とんでもないドタバタ喜劇だった。花形と座長が道化役を演じる。この二人、道化役がいい。一見劇団は、劇団と名乗っているものの、まともに芝居ができるのは座長、花形、美苑隆太の三人だけ。他の座員の芝居ははっきり言って学芸会レベルだ。台詞も回らないし、立ち回りのとき以外は、ぼーっと立っているだけなのだ。素晴らしい舞踊を見せる十四歳の紅ア太郎も、年齢が年齢だけに、芝居ではまったくアドリブに対応できない。 道化役の花形が、アドリブができないア太郎に執拗にアドリブ芝居を要求して、そこから抜け出せずに苦しんでいるア太郎で笑いをとっていた。背広姿で一応ビジネスマンを演じているらしいア太郎に花形が、

「おい、お前、いったいどこから来たんだ?」

「うー、うー、えーっと。アメリカ」

「アメリカ? 何やアメリカって? 何し行っとたんや?」

「えー、えー」

「お前、どこで生まれたんや?」

「う、生まれたのは、う」

「何だよ。ちゃんと話せよ」

「生まれたのは韓国」

「なんじゃそりゃ?」

 ひどい。でも私も笑ったが。この「生か死か」は本当に馴れ合いのひどい芝居だった。金を出して、こんなにひどい芝居を見たのは生まれて初めてかも知れない。ジャイアンのような風貌の巨漢役者の太紅は、花形のぼけ芝居に素で笑い転げてしまいせりふが全く出ないし、美苑隆太は上演中に足がつってしまい、苦悶する。そしてその苦悶の状態のまま、無理矢理芝居を続けさせる花形。舞踊で独自の存在感を示す紅金之助は台詞を話させると「ふにゃふにゃごにょごにょ」の言語不明瞭で何を言っているのかさっぱりわからない。「おいおい、何言ってるんだよ」と花形からアドリブのつっこみが入る。

 「生か死か」というタイトルからはシリアスな芝居を思い浮かべたが、内容は出来損ないの落語っぽいドタバタ喜劇だった。 

 貧乏長屋の夫婦が、それぞれ別の場所で、大家の夫婦と会う。家賃を払う金がない貧乏夫婦は互いに配偶者が死んだと大家夫婦(長屋夫は大家に、長屋妻は大家妻に)に嘘をつき、葬式代をせしめようとした。大家夫婦が弔いのため夫婦の住む長屋にやってくる。なぜかこの大家夫婦、ふたり一緒に部屋を訪ねようとはせず、片方ずつ部屋の中に入ろうとする。大家の夫が家をのぞくときは、長屋妻が死んだふりをし、大家妻が家を覗くときは長屋夫が死んだふりをする。生きたり死んだりを目まぐるしく繰り返すあいだに、混乱が増して舞台はカオスの状態になる。 

 最後のドタバタのタイミングも合っていない。しかしこのどうしようもないひどい芝居が可笑しくてならない。抱腹絶倒。あまりのひどさゆえに、かえって印象に残ってしまった。腹立たしさはまったく感じない。 

 この脱力ものの芝居のあとも、舞踊ショーではひきしまったプロの踊りで楽しませてくれる。最後は全員で華やかで陽気なソーラン節で占める。最終的にはきっちりと楽しませてくれて、気持ちよく、芝居小屋を出ることができた。

 茂美の湯の演劇興行は思っていた以上に興趣が深い。露天風呂の温泉に浸かり、昼飯。それから大衆演劇の昼の部。昼の部が終わったらまた温泉。そして大衆演劇夜の部。このだらだらがもたらす多幸感、人間としてはどんどんダメになってしまう感じがするが、すばらしすぎる。これで風呂代+観劇料が1400円。交通費や飯代を入れても、5000円で一日たっぷり楽しむことができる。何とコストパフォーマンスが高い娯楽だろうか! 二月に一日しか一見劇団、茂美の湯公演に行けなかったのが悔やまれる。

 一見劇団は三月は北海道で興行を行ったあと、四月にまた東京に戻ってきて、淺草の木馬館で公演を行うとのこと。