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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

世amI『邯鄲』

演劇
  • 作:三島由紀夫(『近代能楽集』より)
  • 演出:金世一
  • ドラマトゥルク:冉小嬌
  • 音楽:三角真一
  • 照明:川村孝志
  • 衣装:高橋桂
  • 舞台監督:森貴裕
  • 出演:アナタコノミ、大川こはる、金恵玲、久保庭尚子、柴田あさみ竹内真菜、田中佑里、生井みづき、野澤遵宜、本家徳久、吉植荘一郎、吉田智恵
  • 劇場:新宿 タイニイアリス
  • 評価:☆☆★

  金世一の演出の舞台はこれまで韓国現代戯曲の『秋雨』という1時間の作品を見たことがあるだけだった。この『秋雨』は幻想的ホラーの雰囲気のなか韓国社会の貧困の悲惨を描いたよい作品だった。 三島由起夫『近代能楽集』からは昨年夏にク・ナウカの美加理さんを迎えて『葵上』が、世amIユニットで上演された。私はカナダ滞在中でこの舞台を見ることができなかったのだが、私の身の回りで見た人の評判はよかった。 

 そして今回は同じ『近代能楽集』から「邯鄲」ということでかなり期待が大きかったが、全体的には今一つ。「邯鄲」という作品の面白さは味わうことができる舞台ではあったけれど、凡庸で切れの悪い舞台だった。

 舞台美術は中央奥に木製の寝台が置かれ、その横側に積み木形状の白い立方体(両手で抱えるくらいの大きさ)がシンメトリックに置かれている。背景は黒幕。足踏みオルガンの音色で、童謡風の素朴な単旋律音楽が開演前にはずっと流れていた。公演のために作曲された舞台音楽はなかなか魅力的だった。 

 

 開演前に演出の金世一から、携帯電話等を切るようにという注意と作品と演出について簡単な説明がある。原作では18歳に設定されている18歳の主人公ジローをこの舞台では70歳の老俳優が演じるようにしたとのこと。この逆説的な仕掛の導入は面白いけれども、わざわざ開演前に説明すべきであったかどうかは疑問だ。 

 

 18歳になった次郎は、10年ぶりにかつての住み込みの女中として彼の家で働いていた菊に会いに行く。菊は邯鄲の枕というものを持っている。その枕で寝て夢から覚めると、何もかも虚しく馬鹿らしくなってしまうのだ。菊の夫もこの枕で眠った翌日に家を出てしまった。しかしすでにこの世に嫌気のさしている次郎には、この枕には何の効果ももたらさないかもしれない。とにかく次郎はその枕を試してみたかったのだ。菊に無理強いして、次郎はこの枕で眠り始める。 

 

 枕が見た夢幻の世界、乾いた退廃が舞台を満たす。白い幕で背景が覆われ、わらわらと邯鄲の精霊たちが立ち現れる場面はいい。邯鄲の国の人物たちは顔も白塗りで、その様子はアングラ風だ。次郎は寝台に乗ったまま、邯鄲の誘惑に身を委ねる。 邯鄲幻想の場は悪くないけれど、ありきたりのイメージで驚きがない。俳優たちの表現にインパクトが乏しい。型の演技をなぞっている感じである。 

 

 70歳の老人が18歳の次郎を演じるというアイディアは面白いが、この70歳の俳優の演技がどうしようもないものだった。台詞もあきらかに台詞を言っているという調子。三島由紀夫戯曲の修辞的な台詞は、やはり相当な訓練を積んだ俳優でないとさまにならな。『邯鄲』の世界は次郎を中心に立ち現れるので、主人公の次郎が幻想の出現を拒むような学芸会芝居をしていてはどうしようもない。彼が話す度に現実にひきもどされ、幻想が立ち現れないのだ。結局、最後まで作品に乗れなかった。