閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

アクト・オブ・キリング(2012)

アクト・オブ・キリング(2012) THE ACT OF KILLING

 

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  45年前、1960年代半ばにインドネシア共産主義者大虐殺を行った民兵組織のボスが、その虐殺行為の再現映画を撮影する様子を撮影するという二重枠構造のドキュメンタリー。このボスはギャング映画のファンで、共産主義者拷問にあたっては映画の場面をヒントにしたという。インドネシアでは今もなお反共の私兵組織が勢力を保ち、政府にも大きな影響力を持っているようだ。100万人規模の虐殺というのに、それが歴史の暗部となっているような雰囲気が全くない。これはインドネシアの現況であると思っていいのだろうか。

 

 

 正直なところ、ボスたちによる再現虐殺場面が迫真とは程遠いゆるゆるなものであったし、彼らの言葉も表現力に乏しく、数十年前の惨劇のありさまを作品からリアルに感じ取ることができなかった。二重構造のメタ・ドキュメンタリーなのだが、その外枠部分にも台本と演出があり、ボスたちはそれにしたがって演じているのではないかという感じがした。少し考えてみると45年前の自らの虐殺行為の映画を、虐殺当事者たちに撮影させるという企画自体、やらせ感満点だ。

 撮影者が対象に行動を促すドキュメンタリーとしては原一男作品が想起される。原一男のドキュメンタリーも撮影するという行為によって対象を刺激し、対象となる人物がその役割を演じるように駆り立てていくのだけれど、撮影自体は対象の行為の起爆剤であり、興奮状態にある対象の想定外の行動に撮影者が振り回される様子がスリリングで面白かった。

 しかし『アクト・オブ・キリング』の対象者のふるまいというのは、いかにもステレオタイプをなじっているように感じられた。45年前、勢いに乗って殺しまくったやつが、今更、悪夢にうなされたり、撮影の過程で自分の行為の重さに気付いて、吐いたりするなんて、映像作品としては嘘くさい紋切り型に私には思えてしまう。そんなヤワな神経の人間が、チンピラ民兵隊のボスとして、共産主義者を虐殺なんてできるのだろうか。本当のリアルというのはそういったものかもしれないのだけれど、台本と演出に基づいているように対象が動いているように観客に感じさせるようなドキュメンタリーはやはり失敗作だろう。