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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

聖杯伝説 Perceval le Gallois

聖杯伝説(1978) Perceval le Gallois

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 1280年ころに書かれたクレチアン・ド・トロワの宮廷風ロマン『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』に基づく作品。原文は中世フランス語、8音節平韻で書かれてていて9234行の長さがある。クレチアンのこの作品は15の手写本に記録されていて、これは世俗語で書かれた文学作品としては例外的に多い。中世の多くの世俗語文学作品は単一の手写本でしか伝わっていない。現存するクレチアンの作品のなかでは最長のものだが、おそらく作者の死によって未完になっている。クレチアンの死後、数多くの作者によってこの続編が書き継がれた。

 ロメールの映画作品のなかでも、中世の宮廷風ロマン(韻文物語)を素材とするこの作品は異例のものだ。活版印刷術のなかった中世では、この作品に限らずあらゆる中世の文芸作品はジョングルールという放浪の職業芸人によって、観衆を前に朗誦されるものだった。この朗誦はときに、楽器の伴奏を伴っていたことが当時の手写本の図像からわかる。ロメールの『聖杯伝説』の脚本は、原作の「語り物」としての性格をできる限り保持したものになっている。つまり登場人物は自分の台詞だけでなく、語りの地の文も声に出して読むのだ。言語も8音節が維持され、語彙や表現はあえて中世風の古めかしい言い回しが用いられている。

 中世ではジョングルールによる語り物文芸は、12-13世紀ころから複数の俳優による演劇的作品へと書き換えられていったのだが、ロメールの『聖杯伝説』のテクストはこの語り物と演劇の両方の性格を持つハイブリッドなものになっている。ペルスヴァルをはじめとする登場人物は、クレチアンの原作でもそうであるように、内面心理を欠いていて、その語りは平板で感情の起伏があまり感じられない。事件によって展開が深まることはなく、12のエピソードが淡々と並置されている。

 ロメールは中世の騎士物語を映像化するにあたって、写実的な表現を選ばなかった。台本は原作の語り物的性格を維持し、リズミカルでしばしば歌となる。美術は子供の絵本のようにファンシーで、中世手写本にある挿絵をそのままセットにしたかのようだ。登場人物の手の動作やポーズも中世写本の挿絵を思わせる様式性があった。

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 ロベール・ブレッソンの『湖のランスロ』が同種の素材を土台としながら、騎士の決闘や騎馬槍試合の場面を冷徹にリアルに描いたのとは発想が対照的で面白い。ロメールの『聖杯物語』は、中世手写本とクレチアン・ド・トロワのテキストからわれわれが感じ取る感覚を、中世の表現が伝えようとした騎士道の幻想を、映像表現によってできるだけ忠実に伝えようとしている。もっともロメールはこの作品において、武具とそれを使った決闘についてはかなり精密に再現していて、この細部のリアリズムと背景のファンタジーの対比がまた面白い効果を生み出している。表現の平板さ、感情の単純化が、ユーモラスな雰囲気を作り出していた。しかしエピソードが並置される淡々とした展開はドラマに乏しく、退屈に感じてしまう観客もいるだろう。12-13世紀の音楽は素朴で美しいが、単調で、作品の余白の広さ、すかすかな感じをかえって協調している。

 原作テクストそして中世写本の図像表現に示された美学を、できるだけ忠実に映画映像表現に移し替えることで、われわれが物語のなかに没入することを妨げる絶妙の違和感が生じている。この違和感を面白がることができるかどうかがこの作品の鑑賞の鍵だろう。中世文学研究者の視点からは、ロメールの選択した表現方法は非常に興味深いものだった。最後の場面におかれた教会内典礼劇のロメール風再現も面白い。典礼劇上演のひとつの解釈としてとてもよくできている。

 

 1974年のブレッソンの『湖のランスロ』と、同じ年に公開されたブレッソンの生真面目でストイックなリアリズムのパロディのような『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』、そして1978年のロメールの『聖杯伝説』が、私がこれまで見た《アーサー王物語》もの三大映画だ。三者とも採用した表現方法、発想は異なるけれど、中世という異なる世界と時代のとらえ方にはいずれも説得力を感じた。