閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2014第二部 演劇前夜・水没がまん祭 『朗読劇・秘密の花園』

  • 作:唐十郎『秘密の花園』初版テクストに基づく上演
  • 演出:高野竜(みやしろ演劇パーティ)
  • 会場:埼玉県宮代町新しい村  特設浮き桟橋ステージ
  • 出演:三品優里子(いちよ、もろは)、冬岸るい(アキヨシ)、青木祥子(大貫)、朝戸佑飛(殿)、松岡千明(かじか)、松本萌(医者)、藍沢彩羽(千賀)、フジタタイセイ(ねんねこ男、消防団員)
  • 上演時間:2時間半(休憩12分)

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 平原演劇祭第二部は、昨年に続き公園内の池の上の水上特設舞台での公演になった。宮代町の「新しい村」は東武スカイツリーライン東武動物公園駅から歩いて15分ほど、東武動物公園の道を挟んでとなりにある。上の写真が公演会場だ(笑)。池の上に突き出している幅1.5メートル、長さ6メートルの「浮き橋」が舞台となる。こんなところで演劇をやるなんて狂気の沙汰としか思えない。しかも今日の公演はリーディング公演なのだ。いったいどんな必然があってリーディング公演を野外のこんな場所でやる必要があるのだろうか。もちろん平原演劇祭だけに、普通のリーディングであるわけはない。どんな仕掛が用意されているのか、期待で胸膨らむ。

 雨模様の日だった。濡れるだろうと思いビニール雨合羽を購入して行ったが、今年の客席は屋根付きになっていた。

 平原演劇祭は高野竜さんのツィッターが主要な告知手段であり、入場無料とは言え、公演会場は都心からはかなり離れた場所にある。野外公演でこんな雨の日となると、いったい観客はどれくらい集まるのだろうかと心配していたのだけれど、30名ほどの好奇心旺盛な人たちが集まっていた。

 開演は午後六時が予定されていたけれども、開演直前からパラパラ降っていた雨は、開演後本降りになった。「水没がまん祭」という名称を私は「周りに池があって、水に浸かりたくなるけれど、それをがまんして水没なしで朗読を続ける」という風に理解していた。昨年9月に同じ場所で行われた平原演劇祭は演者がどぼどぼ池のなかに突入していったのだけれど、今回は朗読の公演なので演者が水没する意味が見えなかったのだ。実際には全ての出演者が水に浸かる結果となった。舞台の設置場所と構造上、水浸しにならないほうが難しいのだが。しかし開演直後に本降りとなった雨で、池の水に浸かる前から演者はずぶ濡れになった。

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 さて1982年に下北沢のザ・スズナリで初演された『秘密の花園』とはどんな内容の作品なのか? 私がこの作品の上演を見るのはこれが三回目なのだが、他の唐十郎作品同様、どういうストーリーかちゃんと説明することができない。たぶん戯曲を読んでもよく理解できないだろう。日暮里の古びたアパートが舞台だ。このアパートの住人であるキャバレーのホステス、いちよのもとに、アキヨシという男が通い詰めている。アキヨシは、いちよに、自分の姉で、いちよとうり二つのもろはの面影を重ね、それゆえにいちよを愛している。アキヨシといちよ・もろはの三角関係の物語のなかに、大貫、かじか、医者といったエキセントリックな人物が無理矢理入り込んで、筋を大いに撹乱させる。

 朗読公演とはいうものの、浮き船の舞台を中心に俳優たちは、片手に台本を持ちながら動き、演じる実演型朗読だった。作品の軸となる存在であるアキヨシは女優が男装して演じた。女優によって演じられたアキヨシはセックスを感じさせない、中性的で不安定な存在となった。 いちよ/もろはという裏表の存在を演じたのは、黒髪の美女、三品優里子だった。登場した途端、その美しさに引き寄せられてしまう。喪服を想起させる黒い衣装を着た彼女は、捕まえようとするとはかなく消えてしまう幻のような二重の存在である「いちよ/もろは」にいかにもふさわしいように思った。

 ゆらゆらと揺れ動く浮き橋いかだという特異すぎる演技空間は、それ自体危うく、不安定ではかない劇世界の象徴となっている。すのこ状の板の上にちょこんと置かれた小さなちゃぶ台は、そこがアパートの一室であることを記号的に示しているのだが、その周囲の空間の持つ意味の異質性と豊穣さゆえ、シュールで喜劇的で非現実的な世界を作り出している。揺れ動く舞台は、その周囲の空間をまきこんで、観客は異世界へと誘われる。

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 平原演劇祭では、演劇上演に特化された劇場が上演会場として使われることがない。演出家としての高野竜は、借景の取り入れ方にとりわけ秀でている。彼の空間の利用法は、上演の設定にふさわしいものとして、外側の空間を利用するというより、その景観が持っている様々な属性、コンテクストを汲み取ったうえで、俳優の存在と語りの内容によって周囲の空間そのものを演劇的なものへ変容させてしまう。演劇化された空間がもたらすフィードバックは、さらに芝居をダイナミックなスケールをもたらす。

 今回の上演では開演時には雨が降っていた。雨は次第に本降りになる。観客席の雨よけの役目を果たしていたシートに雨音が響く。ざーっ、ぽたぽたという雨音によって、俳優の台詞はかきけされる。唐組の公演なら聞きどころ、見どころでは、BGMが躊躇なく使われるだろう。しかし高野演出ではBGMは使用されない。観客は周囲の騒音により、ときおり途切れ途切れにしか聞こえない俳優たちの言葉に耳をすます。

 気がつくと雨があがっていた。夜の闇が周囲を包む。蝉の声、秋の虫の声が聞こえてくる。時折、ウシガエルの鳴く声も。雨に濡れた土の香り、池のかすかに泥臭い匂い。俳優の存在と声はこうした周囲にある要素と絶妙なハーモニーを奏でる。池の向こう側にある道路をときおり車が走り抜けていく。車のライトの明かりがちらちらと光る。休憩時には100円で、おにぎりとビール、枝豆が販売された。

 圧巻は後半が始まって18分たった、午後7時半から20分にわたって池のある公園の道路挟んで後側にある東武動物公園で打ち上げられる2000発の花火である。

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 背景に輝く2000発の花火を照明に、そして花火の打ち上げとともに流される俗な流行歌をBGMに、平原演劇祭の『秘密の花園』の上演は続けられる。花火の爆発音で台詞はかきけされてほとんど聞こえなくなってしまう。狭苦しく不安定な水上舞台の上で、奇妙なパントマイムのように芝居は進行していく。このパントマイムの異様な迫力には思わずあっと声が出そうになる.

 もしこの日、雨が降っていなければ、花火見物のため、『秘密の花園』の上演場所に多くの一般の人たちがいただろう。そうした人々を観客として無理矢理引き込んでしまうことも想定していたようだが、あいにくの雨模様のため、花火見物の人がほとんど公園内にいなかったのは残念だった。花火の打ち上がる時間には、開園時にはかなり強く降っていた雨はすっかりやんでいた。

 

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 花火と流行歌のBGMがもたらすキッチュな混乱は、この意味不明で狂った芝居とよく合う。7時50分、花火が終わり、また静寂が戻ってくる。虫の声、ウシガエルの声。花火の狂騒と鮮やかな対照をなす夜の静けさのなかで、唐十郎の言葉の優雅で自由な連なりが、抒情的で悲壮で力強いイメージを作り出していった。最後の場面、筏の上の人々はゴムボートに乗って、池の奥の闇の中へ消えて行った。

 視覚、聴覚、触覚、そして嗅覚と味覚まで、五感のすべてが刺激されることで現れる豊かで混とんとした世界に浸ることのできた2時間半だった。

 来年8月に開催される平原演劇祭では、同じ場所で、リーディングではない通常の芝居の形式で『秘密の花園』が上演される予定だとのこと。

 また今年は10/13(月)に、平原演劇祭2014年第三部が、今回の公演から数キロ離れた宮代町の古民家で催されることになっている。