閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

南多摩演劇部 第三回校内公演『幕があれへん』

南多摩演劇部 第三回校内公演『幕があれへん』
南多摩中等教育学校3階特別講義室

中野守作『ピロシキ
高野竜作『煙草の無害について』

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南多摩演劇部は三年前に生徒たちによって設立された部員10名の小さな演劇部だ。
女子高生の俳優による「ピロシキ」と「煙草」、「B級ホラー映画」についての作品の上演を見てきた。いずれも不条理ファルス。上演中何度も大笑いした。観客の誰もが、ピロシキを食べながら、かぎ煙草を嗅ぎ、クソみたいにつまらないB級ホラーを見たくなるような公演だった。上演後、彼女たちの「演劇大好き」という思いの強さに心打たれて泣きそうな期気分になった。三年前にこの演劇部を立ち上げた三年生にとってこれが最後の校内公演となる。演劇に対する彼女たちの思い入れが、演劇部に対する愛着が、この公演には凝縮されていることを感じとることができた。


私がこの公演を八王子まで見にいこうと思ったのは、15年にわたって埼玉県東部の宮代町をベースに、平原演劇祭と称する地域演劇祭を個人でやっている劇詩人・演出家、高野竜の新作戯曲が上演されると聞いたからだ。三年生部員の一人が来月開催される平原演劇祭2016年第一部で上演される高野竜作の一人芝居『詩とはなにか』に出演するつながりで、今回、高野竜の新作が上演されることになったようだ。


出演者は3年生が二人、二年生が一人、一年生が二人。俳優は全員が女子だった。残りの5名の部員が演出、音響、照明、制作を担当する。日曜日の学校内での公演で、大風の天候だったにもかかわらう、学校外部からの観客もかなりいて、50名分用意したという客席は満席だった。
演目は二演目。中野守作『ピロシキ』と高野竜作『煙草の無害について』。高野の『煙草の無害について』は「煙草の無害について」と「ねと☆ぼん」という内容・形式ともに共通点がどこにあるかわからない二つのパートで構成されている。


最初に上演されたのは中野守作『ピロシキ』だった。『ピロシキ』は10分ほどの作品である。中野守は2003年に中野劇団を立ち上げ、関西を中心に公演を行っている演劇人だ。http://www.nakanogekidan.com/index.html 長編数作を含む80以上の脚本がウェブ上で公開されていて、なかでも『ピロシキ』は200を超える団体によって上演される人気作のようだ。登場人物は医者と患者の二人。患者のじん臓のひとつが「ピロシキ」になってしまったという話だ。医者の態度は基本的にひょうひょうとした態度で、患者のじん臓がピロシキになってしまったことを面白がっておちょくっているような感じもある。患者は自分のじん臓のひとつがピロシキになってしまったという事態を冷静に受けとめることなどできるはずがない。医者の無責任な言動に戸惑い、次第にいらだちが増大していく。ぼけとつっこみの応酬がテンポ良く行われる漫才のようなコントだった。表情をあまり動かさない医者の芝居はバスター・キートン風。これに対し患者はとまどいや怒りで表情がくるくる変化する。患者は診察を受けに来ているので二人は向き合って話しているはずなのだけれど、上演では二人とも客席のほうを向いて会話を交わすという演劇的表現によって不気味な不条理感が増していた。


『煙草の無害について』はもちろんチェーホフの一人芝居『煙草の害について』のパロディである。女子高生俳優があえて煙草についての芝居を演じるというちょっと挑発的なひねりがポイントだ。三人の演劇部員の女子高生が登場人物なのだが、この三人がいかにして高校で自分たちが『煙草の害について』を上演したものか知恵をしぼる。チェーホフがこの作品を書いた当時、紙巻き煙草はまだ普及していなくて、副流煙の害なども知られていなかった。そもそもチェーホフの作品で問題になっていたのは当時流行っていた嗅ぎ煙草であり、煙の害はない。

それではなぜこの作品の語り手のイワンは煙草の害を語るはめになったのか。今の日本の高校で、この作品を上演するにはどういう工夫が必要となるのかなど。高野竜の『煙草の無害について』は過剰な嫌煙社会となってしまった今の日本社会のあり方への風刺である。しかし同時にチェーホフの作品の解釈の提示であり、そのファルスの風刺精神への優れたオマージュとなっている。三人の女子高生演劇部員の名前はオリガ、マーシャ、イリーナであり、『三人姉妹』のイメージも彼女たちの言動には投影されている。演劇部員である現代の女子高生たちのアクチュアリティとチェーホフの二つの作品の世界をオーバーラップさせるという発想とそれを説得力のある作品として提示する技巧の見事さに感嘆する。高野竜の『煙草の無害について』は傑作である。


『煙草の無害について』では中央に、スリッパをマイクカバーとしたスタンド・マイクが設置されていて、劇中劇的場面はこのマイクを使って演じられることがあったのだが、『煙草の無害について』に引き続いて上演された『ねと☆ぼん』でもこのマイクがそのまま使われる。『ねと☆ぼん』は漫才仕立ての二人芝居で、そのやりとりは関西弁で行われる。『ねと☆ぼん』では、エド・ウッド脚本による『死霊の盆踊り』というB級ホラー映画の紹介が漫才仕立てで30分にわたって延々行われるという奇天烈な作品だ。『ねと☆ぼん』は造語で、「ネット上で盆踊りについて発信する個人ないし集団。実際に盆踊りをする行動力がないことを揶揄してこう呼ばれることが多い。」を意味する。「ウンコを90分見つめている方がまし」という伝説的なクズ映画『死霊の盆踊り』がいかに愚劣でくだらない作品であるかが的確に伝ってくる怪作。女子高生俳優二人による見事なプレゼンテーションにこのクズ映画をレンタルして見たくなってしまう。
フィナーレの挨拶は感動的だった。一所懸命やりきったことが言葉と表情から伝わってきた。作品を完成度の点から見るとまだまだ大いに改善の余地のある舞台ではあった。しかし高校生俳優にしかない魅力、高校生俳優にしかできない演劇があることを確認することができる素晴らしい演劇体験だった。


今日の公演に出た女子高生俳優は、来月22日に是政のカフェで行われる平原演劇祭で、高野竜作の一人芝居『詩とは何か』に出演する。『詩とは何か』は女子高生だけが演じることが許された作品であり、高野竜の数多い作品のなかでも最も美しい傑作だ。今日の公演を見て、私は来月の平原演劇祭を文字通り万障繰り合わせて見に行くことを決めた。