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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

iaku『エダニク』

作・横山拓也
演出・上田一軒
照明:岡田潤之
舞台監督:青野守浩
音響:星野大輔(サウンドウイーズ)
出演・緒方晋(The Stone Age)、村上誠基、福谷圭祐(匿名劇壇)
劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
評価:☆☆☆☆☆
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『エダニク』とは枝肉のことだ。「家畜を屠殺後、放血して皮をはぎ、頭部・内臓と四肢の先端を取り除いた骨付きの肉。普通、脊柱に添って左右に二分したものをいう」(三省堂大辞林』)。劇作家の横山拓也の作品で最初に見たのがこの作品だった。私はこの後、数本の彼の書いた戯曲の公演を見ていて、いずれもとても面白いのだけれど、私はこの『エダニク』が一番優れた作品だと思う。『エダニク』は食肉解体工場を舞台とした3人の男性が登場人物の作品だ。今回は私が見た三回目の『エダニク』だったが、台詞劇の醍醐味を堪能できる会心の出来だった。三人のキャストのうち、大阪弁のベテラン職人を演じた緒方晋(The Stone Age)以外の二人は、新しいキャストになっていたが、役柄と俳優の雰囲気は台本に変更が加えられていないにも関わらずしっくりはまっていた。
私が『エダニク』を最初に見たのは、帰省中に伊丹のアイホールだった。二回目は数年前にアトリエ・センティオで。今回は三鷹市芸術文化センターの星のホールでの公演である。星のホールは300席ほどの規模だが、これまで大阪を中心に活動してきた横山拓也のユニットiakuは東京ではまだ知名度が低くて、客席が埋まらない。昨年は別の作品で星のホールで公演していたが、集客にはかなり苦労していた。今回は代表作の『エダニク』の公演で、チラシもかなり広範囲に挟み込んだようだけれど、土曜のマチネ公演にも関わらず客の数は三ケタに届いていないだろう。
『エダニク』の登場人物は3人だけだ。大阪からやってきた腕のいいベテランの職人玄田、その同僚の沢村、そして彼らの食肉解体工場の最大の得意先である養豚業者の社長の息子である伊舞。上演時間は約90分で、舞台上で進行する時間と実際の時間が同じの一幕物だが、劇の終盤に一回だけ暗転が入り、その暗転のあいだに一週間の時間の経過がある。場は食肉解体工場の休憩室だ。
屠場が舞台となれば、差別にかかわるデリケートな問題とも関わる。部落差別の問題はこの作品では前面に出てくることはないが、作品の事件の背景として控え目に響く通奏低音のように丁寧に、誠実に言及されている。屠場の作業についてもしっかり取材していることを伺うことができた。
俳優の演技は、青年団の演劇を想起し、比較したくなるような、乾いたハイパーリアリズムで軽やかなリズムで表現される。間の取り方、声の調子、大きさなどが精密にコントロールされている。食肉解体工場の三人の人間関係は、「世の中」の関係性の縮図となっていて、職業差別、社会階層、職場内力関係など様々なヒエラルキーに翻弄される人間のやるせなさをリアルに描き出されている。タイプの異なる三人の男たちのやりとりの切実さと空回りには生活のリアリティが、悲喜劇的な状況のもとに凝縮され、それが軽やかなリズムのなかで表現されていた。
作品の寓意性は、リアリズムの劇行為とは対照的な洗練された舞台美術によって強調されている。ハイパーリアリズムの演劇だが、舞台美術は象徴性が高いデザインが選択されている。真っ黒な空間で、演技エリアとなる部分の床は一段高くなっていてその表面はつやつやとした光沢を帯びる人工的な場となっていた。演技エリアの床の上には、解体工場の控室には不似合いなスチール枠のガラステーブルと鋭角的なデザインの洒落た椅子が置かれている。上手には柱がぽつんと設置されていて、そこには内線電話が掛けられていた。この暗くて人工的な演技エリア内で、食肉解体の作業員の白い作業衣とコンビニ袋の白が鮮やかに浮かび上がる。この空間内で、会話の緊張関係に連動して変化する三人の登場人物の立ち位置の絶妙のバランスが、三人の関係性のメタファーになっていて、空間自体にも美しい緊張感に満ちた舞台絵を作り出していた。
脚本も、その脚本の魅力を十全に引き出した演出プランも、そして俳優たちのコントロールされた演技も、素晴らしい完成度の舞台だった。脚本はウェルメイド・プレイと言っていいような明瞭で心地よい展開を提示しており、作品の主題からしても、小劇場のマニアだけでなく、より広い観客に向けられた作品だ。しかも商業的なウェルメイド・プレイにはないような、曖昧ですっきりしない後味もスパイスとして加えられていて、そこがまた脚本の魅了になっている。
大阪時代に怪我をさせてしまった負い目からかつての同僚を庇っていた玄田が、結局その庇っていた同僚に(その同僚の弱さゆえに)「売られてしまう」という苦い現実、しかしそれを「まーしゃないわ」という大らかな諦念とともに受けとめて流してしまう玄田のリアリストぶりには「あー、わかるわかる」と思わず心の中でうなずきたくなったし、そこで示された人間の弱さと強さの対比には大きな感動を私は覚えた。
そうしたドラマとしての面白さに加え、作品自体の完成度の高さにも私は今回感嘆し、感動した。こんなに間口が広くて、しかも面白い作品なのに、東京での知名度が高くないために、三鷹芸術劇場星のホールの客席が満員御礼となっていないのが、本当に歯がゆい。東京では12日まで公演がある。もしこの文章を読んで興味を持った人がいれば、ぜひ見に行って欲しい。