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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

テラ・アーツ・ファクトリー『三人姉妹 vol.1』(岸田理生原作)

構成・演出:林英樹
出演 :井口香、横山晃子
若林則夫、岸俊宏、関山ゆみ、加藤明美、長尾みわ、中山豊子
深沢幸弘(鬼面組)、渡邉大晃、相良ゆみ(舞踏)
会場:サブテレニアン
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自分の記憶の断片から生じたものであることは確かなのだが、その原型となる経験は記憶の闇のなかにあって思い出せない。果たして自分自身の体験なのか、自分が見聞した他者の体験が自分の記憶に紛れ込んでしまったのかも曖昧だ。繰り返し見る夢のなかにはこんな夢がいくつかある。
テラ・アーツ・ファクトリーが「板橋ビューネ2016」参加作品として上演した岸田理生の『三人姉妹 vol.1』はそんな夢の世界を思わせる作品だった。板橋ビューネという板橋区の小さな劇場を会場とする演劇祭では、古典作品が上演されるのが常だったので、私はこの『三人姉妹』もチェーホフをベースにした翻案だと思って観に行った。この戯曲は未刊行で手稿しか残されていないという。
岸田理生『三人姉妹 vol.1』は、戦時中に地方都市に疎開した日本の三人姉妹の物語であり、チェーホフの『三人姉妹』の直接的な翻案ではない。演劇作品として『三人姉妹』というタイトル、そして設定を用いるからには、チェーホフの傑作を意識せずに作品を作ったり、あるいは観客がその作品を見たりすることはほぼ不可能だ。三人姉妹の関係性のなかにチェーホフの『三人姉妹』を重ねてしまう。岸田理生『三人姉妹 vol.1』の長女は戦争未亡人で、夫は結婚後間もなく戦地に行き、戻ってこない。彼女はこの地方都市で家や財産を守っている。劇全体は枠構造になっていて、年老いた長女が自分の過去を回想するかたちになっていた。次女は東京に魚屋の恋人がいる。しかし東京は激しい空襲で焦土となっていて、恋人の安否は定かでない。三女は疎開先で貧しい農夫と恋に落ち、この町から逃げ出すことを考えいる。次女も三女も家を捨て、町から飛び出そうとするのだけれど、長女はそれを赦そうとしない。
この地方都市の三人姉妹の葛藤を核に、レビューのような感じで安っぽいテクノ・ポップの音楽とともに東京の人びとの風俗が演じられる。これは東京に憧れる三女の幻影のように提示されるが、そこで示されるのは婚活に失敗したキャリア・ウーマンの恨み節や言語不明瞭なアルバイト店員とその上司の対話など戯画化されたさえない日常風景であり、極めて散文的だ。地方の三人姉妹のやりとりの情緒的・幻想的な詩情を強引に断ち切るように、この散文的な東京の幻影の場面が挿入される。
舞台は真っ黒の素舞台であり、右側手前、客席のすぐ前に老人となった長女が座る椅子がある。彼女は客席のあいだの通路から入場すると、劇のあいだはずっとその椅子に座り、ノートをめくっている。そのノートは日記帳の類だろう。
黒い素舞台に立つ人物をシンプルなスポットライトがぼんやりと照らす。この黒一色の舞台は脚本の詩的な言葉と結びつき、抽象度の高いイメージを作り出す。そこで再現されているのは長女の回想であり、彼女の過去の記憶である。しかしその人物やことばはどこか実体を欠いた虚ろな存在に感じられる。空間と言葉が作り出すイメージからは、彼女たちの姿はかげろうのように儚くあるべきであるように思う。岸田理生の言葉の繊細さは、透明の硬質の結晶(しかし不用意に触れるとすぐに砕けてしまうような)を思わせる。
私としては残念に思ったことは、俳優の演技と雰囲気があまりにもソリッドで説明的であり、黒い空間と岸田理生の言葉から私が感じた繊細さと曖昧さから乖離があったことだ。例えばメゾチントの銅版画のようなそんな作品を私としては期待してしまうのだけれど、実際に舞台上では油絵でべたっと塗りつぶしてしまうような、そんな感じである。俳優は俳優でそれぞれが自分のできることを最大限やっていることは伝わってきたのだけれど。