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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

渡辺源四郎商店『コーラないんですけど』

演劇

渡辺源四郎商店第26回公演 『コーラないんですけど』

  • 作・演出:工藤千夏
  • 出演:三上晴佳、工藤良平、音喜多咲子、<声の出演>宮越昭司、各務立基
  • 音響:藤平美保子
  • 照明:中島俊嗣
  • 舞台美術・宣伝美術イラスト:山下昇平
  • 舞台監督:中西隆雄
  • 宣伝美術:工藤規雄、渡辺佳奈子
  • 音響操作:飯嶋智
  • 監修:畑澤聖悟
  • プロデュース:佐藤誠
  • 制作:秋庭里美、佐藤宏之、夏井澪菜、音喜多咲子、木村知子
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆

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2017年の初芝居はこまばアゴラ劇場で渡辺源四郎商店『コーラないんですけど』。

妻と子供二人(高1女子、小5男子)と一緒に見に行った。家族で演劇を見に行くのは前がいつだったか思い出せないほど久しぶりである。もしかすると初めてかもしれない。

作・演出は工藤千夏。ちらしの絵の雰囲気、タイトル、そして年末・正月の公演なので何となく脳天気なおめでたい内容の芝居を予想していたのだけれど、シリアスで時事的・社会的な主題を扱った作品だった。チラシの文面を読むと「師走の忙しさも、元日の華やぎのかけらもない芝居である」とちゃんと書いてある。

今の世相に人びとがもやもやと感じている不安感を演劇化した作品だった。といっても重苦しい雰囲気の作品ではない。工藤千夏作・演出で、しかもなべげん所属のあの俳優を使うとなると、たとえ生真面目なテーマででも、ほんわかしたやわらかい雰囲気のパステル・カラーの芝居になってしまう。

母子関係、すなわち家族問題と戦争という二つの問題が扱われている。「コーラないんですけど」という日常的な言葉が、そのまま戦争と繋がってしまうような状況を、引きこもりの少年と彼を溺愛し、甘やかす母の二人のやりとりを核に描いた作品だった。

この共依存のこの母子の家庭は一般社会から孤立しているように見える。家庭両親の離婚の原因、父親が今、何をしているのかについてはまったく語られない。母の過剰な愛情と期待を浴びて育った少年は、その過剰さに押しつぶされてしまい小学校高学年の頃からゲーム三昧の引きこもり生活を送っていた。劇中では彼の幼い頃から、その小学校時代、思春期、さらに彼が成人し、民間軍事支援機関に入り親元を離れるまでが描き出される。シーケンスごとの年代が前後していたり、その並び方に飛躍があったりする上、母親と息子の役柄も年代によって同じ俳優が入れ替わって演じるので、最初のうちは孤立したエピソードが並置されているように思える。

劇が進行するに従って、二人の関係性やシーケンスの繋がりが明確になり、現代の日本ではいたるところにありそうな母子の閉鎖的な共依存関係とその生活の不安・破綻が、遠く離れた紛争の地の問題とつながりうる現実のすがたが浮かび上がってくる。

中東、アフリカなどの地域紛争と日本の現実が繋がっているというような感覚に、私がリアリティを感じるようになったのはいつ頃からだろう? 私の場合、それはごく最近のことだ。サラ・ケインが『blasted』でユーゴ紛争の凄まじい暴力とイングランド地方都市のモーテルの一室とを直結させた場面では、作品そのものの迫力には魅了されたけれど、私は日本の現実と戦争状態にある外国の状況が直結しうるものだというイメージを持っていなかった。

ケベックのムワワッドの戯曲に基づくヴィルヌーヴの作品、『灼熱の魂』を見て、その後、ケベックに行き、その移民社会であるカナダでは『灼熱の魂』のようなドラマが神話的・象徴的レベルではなく、リアルな物語として説得力を持ちうることを知った。ムワワッドの作品を通じて、私は中東紛争とフランス、ケベックのつながりにはじめて興味を持ち、幾分かの知識を得た。しかしそれは依然まだ遠い世界の、私の現実とは関係ない世界の出来事だった。その後、ニースに行き、そこでのフランス語教員研修で中・東欧、旧ソ連、中東、アフリカの先生方と知り合い、紛争地域の問題は私にとって少し身近に感じられるようになった。日本での安倍政権のもとでの憲法改正の動き、そして安保法案の決議、さらにフランスなどヨーロッパで頻発する中東勢力によるテロリズムにより、中東問題には無関心でいられなくなっている。

しかしそれでも今日、この作品を見るまで、自分の子供が戦場に行く可能性についてはほとんど考えていなかったことに気づいた。劇中での民間軍事援助組織は架空の組織ではあるが、実際に閉塞感に満ちた現実から脱出しようと、自衛隊や傭兵組織への加入を目指す若者はいるだろう。制度として整備されれば、かなり大量の若者がそうした組織に流れる可能性がないとは言えない。

どんな芝居なのかまったく予想せずに、何となく家族四人親子でこの芝居を見ることになったのだけれど、内容的に芝居の中の世界を自分のリアルな世界と重ねて考えずにはいられない。
主題の扱い方は、正面から社会派の鋭い切り口でというのではなく、親子の共依存関係を軸にあえて柔らかくぼんやりと映し出すという方法が取られていた。母子役は時折、役柄を入替ながら、同じ役者が演じる。この母子の家庭を訪問する人間、母がコーラを探しに行くコンビニの店主は、また別の役者二人が複数役で演じていた。母子については衣装を変えるわけでもなく、ほとんどシームレスに役柄が交代するのだけれど、その転換は実に鮮やかで説得力があった。この母子関係にゆさぶりをかける外部の人間を演じた二人の役者もよかった。四人ともカメレオンのように各シーケンスで要求される役柄へと変化していく。俳優はそれぞれ愛嬌があって、そのユーモラスな変容ぶりを楽しむ作品でもあった。

偶然そうなったのだが、親子四人でこの作品を見ることができたのは幸運だった。