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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

【ワークショップ・レポート】パスカル・ランベール「都市をみる/リアルを記述する」第二日目(1/26)

イベント 演劇

theatercommons.tokyo

パスカル・ランベールによる「都市を舞台に、すべての参加者が観察者/記述者/表現者となる。「みること」からはじまる都市ワークショップ」の第二日目。

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血液型A型乙女座六白金星の私は授業をやるにあたっては、一見いい加減にやっているように見えながら、実は事前にきっちり計画をたてて、やるべきことをリスト化していないと不安なたちだ。毎日の仕事とはいえ、数十人の人間と対峙し、60分なり90分なりの時間を成立させるのは、かなり恐いことであり、とりわけ人間関係が構築されていない新学期の授業はいまだに緊張する。毎回の授業でどんなプログラムで構成するのかは決めているのだが、新学期の最初の授業ではとりわけ細かくやることを決めている。
平田オリザのワークショップを受けたときは、それゆえ、その見事に構造化されたプログラムの精緻さに感動したのだ。しっかり構築されているがゆえに平田のプログラムはあらゆる対象に対して応用可能なものになっている。いったいあのプログラムに到達するのにどれほどの時間を要したのだろうと考えてしまう。

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今回受けているパスカルのワークショップは、方法・発想的に平田のプログラムの対極と言えるものだ。ワークショップのコンセプトは、なるほどよく練られていて、魅力的だ。しかしその具体的方法は、徹底的に即興的・反射的であり、パスカルとワークショップ受講者のやりとりのなかで、脱線し、発展していく。これは驚くべきものだ。教育プログラムなどで、「受講者の自主性を引き出し、自由な発想、発言を歓迎する」と称するものはあまたあるが、その大半は実際には受講者に自分の発言を強要し、さらにその発言を講師の考える方向・結論へ意識的・無意識的に誘導するものでしかない。最終的には終わりの時間までに、予定調和的なものへと行き着くことで完結となる。

パスカルのすごいところは、最終的に帳尻を合わせるということが最初から頭にないということだ。彼は参加者から言葉を引き出そうとする。彼のエネルギーと明るさ、そしてフランス語なので通訳を介してのコミュニケーションとなるということがおそらく作用して(平野さんの通訳もかなり貢献している)、参加者はついうっかり余計なことを話してしまう。その余計なことまで話すことが許容され、むしろ推奨される完全に開かれた自由な時間が、このワークショップでは成立しているのだ。もちろん時間は有限だ。14時に始まり、18時には解散しなくてはならない。普通なら終了時間までには何とか帳尻合わせをしようという意識が働くものであり、そこで「自由さ」に欺瞞が生まれる。時間内に何とかまとめて、結論めいたものを出そうとする、求めるのが普通の人だ。しかしパスカルはそうではない。

昨日の第一日目は、25人の参加者のうち、15人の自己紹介が終わったところで時間切れとなった。

「それじゃあ、残りは明日、自己紹介ね」
三日間12時間のワークショップの一日目が、15人の自己紹介だけで終わっただけであることを、パスカルは全く気にしていない。『都市をみる/リアルを記述する』というワークショップのお題には全く入ることができなかった。でも濃厚な自己紹介を通じて、他者を知り、これからどういうことがこのメンバーで起きうるかについて想像できるような場を持てたことで、それは十分な収穫ではないか、というのがパスカルの考え方だ。

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そして今日の二日目の自己紹介。10人自己紹介をしていない人間が残っていたはずだが、今日来ていたのはそのうち8人だった。2人は昨日の様子にもしかすると呆れてしまい、参加を取りやめたのかも知れない。さすがに今日は『都市をみる/リアルを記述する』のリサーチの時間を取れないとまずいと思ったのか、自己紹介は昨日よりはあっさり目で40分ほどで終わった。もしかするとパスカルもちょっと疲れていたのかもしれない。自己紹介が終わると、

「それじゃあ、これからみんな建物外に出て、iphone使って写真撮るなり、音を撮るなり、明日の発表のための取材をしてください。17時半に戻ってきてね」

と参加者は建物外、半径500メートルの領域に放牧されてしまう。

発表と言っても、具体的に何をどうやればいいのか。それは発表者に完全に委ねられている。ここまで徹底的に自由にやってこそ、自由というのは意味を持つのだ。参加者のなかには演出家や俳優、ダンサーもいる。彼らはこれまで受け取った言葉をヒントに、プロフェッショナルとしての各人の矜恃を持って、彼らが見出した都市の断片について何らかの表現を提示しなくてはならないだろう。「具体的に何が求められているのかわからない」という言い訳は彼らには許されていない。もちろんアマチュアはアマチュアで、この自由さを引き受けたうえで、ありあわせの材料で何とか表現を作っていかなければならない。

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私は町に出た時点ではほぼノーアイディアだった。でもどんなものであってもでっち上げなくてはならない。とあるコンセプトに基づき、町の数カ所で写真を撮った。それを構成して表現とすることにしたが、うまくいくかどうか。いや、うまくいくかどうかはどうでもいいのだ。とにかくあり合わせの材料で自分ができることを提示するしかない。

17時半に元の会場に戻る。そこで簡単に明日の確認。明日は各自のリサーチの成果の発表となる。どんなかたちの発表になるのかは各自に委ねられている。パスカルはここで奇妙な指示を出した。

「あの〜、発表なんだけど、この人が終わったから、次この人みたいに、次々とこなしていくみたいには絶対やって欲しくないんだ。ある人の作品のプレゼンが終わったら、それを皆が受けとめて味わいつくしたあとで、その自然な流れで次の発表が連鎖的に行われるみたいな感じでやって欲しい。一つのプレゼンが数秒だったり、あるいは40分だったりしてもかまわない。それぞれの表現が必要とする時間を十分使ってやるんだ。時間を決めて、パンパンパンパンみたいな感じではやらないで」

参加者は20名以上いる。全員が発表するとなると、ひとり10分でも200分、3時間20分必要だ。準備を入れると4時間超えるだろう。しかしこんな調子では、平均10分で終わるなんてことはまず無理だろう。私はこの期に及んで、「でもこれでは明日、全員が発表できないじゃないか」とやきもきし、質問した。

「それじゃあ、明日、全員がその成果を発表できないかもしれませんね?」

するとパスカルは、

「うん、そうだね。でもC’est la vie(それが人生)ってやつだ。しかたないよ。発表できなくてもこうしてコミュニケーションを取れて、都市を見つめる機会を持てたんだからいいじゃん。また次の機会もあると思うし」
と答えたのであった。このワークショップで帳尻合わせを気にしていた自分がバカだった。私も「学生の自主性を引き出す」というのであれば、ここまで自由で開放的な授業をしてみたいものだ。

明日、どんな発表が見られるのか、本当に楽しみにしている。