閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2017第4部 演劇前夜音読会&うどん会「や喪めぐらし」

平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会
「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より)

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4時間半、一つの物語を聞き続けることはできるだろうか? 平原演劇祭で実際に経験したわけだが、これが案外できるものだなと。

平原演劇祭ではこれまでも「演劇前夜」と題され朗読形式の公演が行われたことは度々あった。しかし今回の平原演劇祭で異色だったのは、リーディング形式の公演でかつ公演演目が一作だけという点である。しかも上演時間は5時間と予告されていて、「うへ、本当に聞いていられるかな」とちょっと不安ではあった。

平原演劇祭では、途中の軽食時間も含め、再構成された数作品がシームレスに連続して上演されるのが通常の形だ。出演俳優4名が全員30代女性というのも、これまでの平原演劇祭とは異なる。だいたい平原演劇祭には10-20代の若い女優が多かった。場所は駒場東大前から歩いて十分ほどの区立集会所での屋内公演だ。

うどん込みとはいえ1000円(+投げ銭)の有料公演(これも無料公演、カンパのみが通常の平原演劇祭としては例外的と言える)、集会所に5時間こもって、朗読を聞く。こんな地味な企画で果たして観客はやって来るのだろうか、と思いながら会場に向かう。開演予定時刻の五分ほど前に会場の区立集会所前に到着したが、竜さんがひとりでその集会所の入口付近をうろうろしていた。開演間近なのに、主催者・演出家がいったい何をしていたのか。

「竜さん」と声をかけると

「ああ、二階だから」と虚ろな声で返事があった。

二階に上っていくと、会場入口に案内があった。

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和室の会議室だ。観客の数は15人ほど。和室に座布団で5時間、と思うと始まる前からちょっとだけげんなりした気分になる。ずっと集中して聞いているのはたぶん難しいだろうから、だらだら手元の手帖にメモや落書きをしながら聞いておくことにしようと思う。

正面に横長の座卓が並んでいて、スタンドが三台設置してある。中央にはなぜか秤が。ここが朗読エリアとなる。観客はその正面に座る。左側の窓は開け放たれていて、そこから風と外の物音が聞こえてくる。

平原演劇祭は予定より遅れて始まることが多いのだが、今日は朗読時間の正味で4時間20分かかるということで(これにうどんタイムが加わる)、17時に終えるために予定通り正午に始めると竜さんから説明があった。そして実際に正午にはじまった。

まず朗読者が一人だけ、座卓にやってきて読み始める。最初の朗読者は最中だ。朗読がはじまってから到着した客が数名いて、観客総数はおそらく20名ぐらいになったようだ。

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堀江敏幸の小説、『めぐらし屋』を最初から最後まで読み切るという公演だった。読み方自体には演出はごく控え目にしか入っていない。

最初に最中さんが一人で読み始める。彼女は読み始める前に、持っていたボールペンを永机の中央においてある秤にそっと乗せた。最中が朗読している途中で、二人目の朗読者の青木祥子が机の右端に座る。最中が25分ほど読んだところで、青木に朗読がバトンタッチされる。青木もボールペンを秤の上に置いてから、朗読を始める。秤にボールペンを乗せるというのが朗読を始める前の儀式のようだ。青木が読み始めると、最中は退場する。あとはほぼ20分ごとに朗読者が、大倉マヤ、石黒麻衣とリレーされる。

女優たちはそれぞれはっきりした、落ち着いた発声で、自然な調子でテクストを読む。セリフでの人物の演じ分けもごく軽いニュアンスを加えるぐらいで、演劇的な誇張を加えたりしない。まさに「音読」である。ただそのフラットな読み方のなかで、主人公の蕗子(語りは三人称体だが、彼女の視点に寄り添ったものになっている)が驚いたときの口癖だけが強調される。最初のうちこそ左側の開け放たれた窓から入ってくる風や周囲の物音(自動車の通過音や飛行機の音、たまに人の話声など)に気を取られることはあったが、作為を意識させない柔らかでニュートラルな口調に、気がつくと私は自然と語りのなかに入っていってしまった。私がこんなに辛抱強いとは。

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『めぐらし屋』の主人公の蕗子は40間近の独身女性だ。大学卒業後に友人のつてで倉庫管理会社に就職し、その会社でずっと働いている。蕗子は極度の低血圧でぼんやりとした人のようだ。回りの人間よりちょっとずれた感じのゆったりしたリズムで生きている女性だ。恋の雰囲気もない。母はすでに亡くなっている。母とだいぶ前に離婚した父が最近死んだ。蕗子は父との別居が長く、疎遠になっていたが、ただ一人の肉親ということで父が一人暮らしをしていたアパートの整理に向かう。遺品整理の折りに出てきたノートには「めぐらし屋」と書かれていた。そしてアパートに「めぐらし屋」の仕事依頼の電話がかかってくる。蕗子は謎に包まれた父の人生の秘密の調査をはじめる。緩やかな探偵小説のような物語だ。蕗子の回想や見聞きする人やものの描写がとても丁寧で柔らかい。孤独な父の人生をその娘である孤独な40女性がとつとつと追いかけていく。明らかになる事実はドラマチックな華やかさはない。ただ父の人生を押し開き、それとともに蕗子さん自身の過去の想い出が展開するなかで、平凡で退屈そうな彼女の人生が穏やかな光で照らされていくように感じられるようになる。

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地味な小説をただ読み聞かせるという地味な企画。単調さに変化を与えるためのささやかだが、効果的な仕掛けが、長机の中央に置かれた秤である。うどんタイムの前の前半は、女優たちは自分が読み始める前に小さな秤にボールペンを置くという儀式を行った。後半は大型の秤のカゴのなかに上着を放り込んでいた。この秤がいったい何を意味しているのか私にはわからない。しかしその不可解さゆえに、そのひっそりとした存在感にもかかわらず、朗読を聞いているさなかでも秤を気にせずにはいられない。

朗読のしかたもいくつかのバリエーションがあった。最初のうちは一人ずつ読んでいたが、二人あるいは三人で読んでそれぞれが異なる人物を担当する場合や、四人全員がずらりと一列に並んで読むところもあった。

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開始2時間半後、午後2時半にうどんタイムが入った。開始が正午だったし、うどんが出ることは予告されていたので私は昼ご飯抜きで来た。だからかなりお腹が減っていた。カセットコンロ二台が出され、そのうち一台で竜さんがうどんを茹で、もう一台ではキノコと薄揚げのタレを温めた。もう一つ冷たいタレが用意されていて、そちらは赤いタデとみそ仕立てだった。「蓼食う虫も好き好き」のタデである。こちらはちょっと酸味がある。タデは鮎の塩焼きに添えられるタデ酢の原料でもある。

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こんな落ち着かない場所で飯を食べるのは、実は私は苦手なのだが、なぜか平原演劇祭では食が進む。タデ味噌冷タレは初めての味だったが、慣れるとなかなか行ける。キノコ・薄揚げは和風出汁ではなく中華仕立てのようだ。こちらのタレで食べるうどんも美味しい。結局四杯食べてお腹いっぱいになってしまった。

午後3時10分過ぎに後半開始。文庫版で約190頁の『めぐらし屋』を読み終えたのは、午後5時10分ぐらいだった。文庫版200頁の小説を、最初から最後まで無理のないスピードで音読すると、およそ4時間半ぐらいかかるということだ。足は崩してあぐら座りだっったとはいえ、座布団、背もたれなしで5時間近く座っているのは、やはりちょっとしんどいことではあった。終わったときには、マラソンを完走したかのような(したことは実際にはないが)達成感、爽快感がある。そして5時間のあいだ、同じ物語で時空を共有した人たちとのあいだにもゆるやかな共同体意識のようなものが。飯も一緒に食べたのでなおさらだ。でもそれはあくまで静かな余韻のなかでの穏やかな感動だった。

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朗読だけというストイシズムにもかかわらず、私は退屈することなく、物語に聞き入ることができた。こんな長時間、ひとつのお話を聞き続けるというのは私には初めての経験である。

私の研究対象のひとつである中世フランスの韻文物語詩には4000から5000行の作品が多い。中世、当時はジョングルールと呼ばれる芸人が、貴族の館や町辻などで、人びとに語って聞かせるものだった。そうやって語り継がれたもののごく一部が、だいぶ後になって手写本にテクストとして記録されたのだ。

17世紀のフランス古典主義時代の戯曲は、12音節詩行で1500-2000行、普通に上演して2-3時間かかる。中世の韻文物語詩はこの2-3倍の長さだが、果たして声を出して読まれたといっても、人びとはどういう具合に作品を受容していたのだろうと思っていた。今日の演劇前夜音読会で4-5時間、語り続ける、聞き続けるということは、それほど特殊なことでないことがわかった。特に変わった演劇的技巧を用いなくても、ちょっとした工夫があれば人は物語を聞き続けることができる。

秤の仕掛けの意味、企画と作品選択の動機、うどんの選択の理由など、主宰の高野竜に訊ねたいことはいくつもあったのだけれど、あえて何も聞かずにそのまま帰った。