閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

前進座『柳橋物語』@三越劇場

2017年 『柳橋物語』

 

三越劇場前進座柳橋物語』を見に行った。江戸を舞台に貧困や天災に翻弄されながら健気に生きる女性、おせんの姿を描く「女の一生」もの。

タイトルを主人公の名前でなく「柳橋」という地名にしたことが劇が進むにつれじわじわと効いてくる。おせんの悲劇は、彼女個人の悲劇ではなく、柳橋界隈に住む下町の庶民が生きていくなか抱えざるを得ない愚かさと悲しさを象徴するものなのだ。自分が生きたいようには必ずしも生きられない人生を私たちはどう引き受けていくのか。いかにも山本周五郎らしい問いかけがこの作品にはある。

脚色の田島栄がプログラムの文章なかで「人間には意地というものがある。貧しい者ほどそいつが強いものだ」という山本周五郎の小説のなかのセリフを引用している。このセリフはこの作品の核心になっている。おせんも自分の意地を通し、自らの運命を決然と引き受ける。その覚悟を示した最後の場面の、彼女の毅然とした様子とその美しさに心打たれ、ボロボロと泣いてしまった。

私も貧しき者、弱き者としてその意地を貫き通したい、と愚直に感化されてしまうような芝居だった。
前進座の俳優の演技は、よい意味でスタニスラフスキー・システムを具現しているように私には思える。登場人物の内面をしっかり俳優がとらえ、人物の人生を生きようとしているように見える。一幕二幕と出ずっぱりだった主人公おせんを演じる今村文美の気迫が舞台から伝わってきて、そのエネルギーに圧倒されてしまった。この芝居は徹底的におせん中心の構造になっていて、おせんを核に世界が形成されている。俳優陣のアンサンブルの緊密さはいつもどおり素晴らしい。

火事で家族を失い、娼婦へと零落し、労咳で死ぬ、おせんの友人、おもんという人物も印象に残る。彼女の貧苦は悲惨ではあるが、彼女の人生は果たして不幸だっただろうかなどと考えてしまう。おせんを愛し抜きつつ報われることのなかった幸太、おせんを信じ切ることができなかった庄吉、おせんを助けた藁屋の夫婦、そして無責任な噂話を広めることでおせんを苦しめた悪役の飛脚まで、あらゆる人物に共感できるのは山本周五郎の世界ならではだ。そしてその世界を立体化するのに前進座の俳優ほどふさわしい人たちはいないだろう。