閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

第3回 石神井東中学演劇部・劇団サム合同公演

  • 日時:2018年7月7日(土)15時〜18時45分
  • 会場:練馬区生涯学習センター
  • 演目:『スパークル』『キミホン〜君の本音が聞きたい』(石神井東中学演劇部);田代卓演出『やっぱりパパイヤ』(阿部順作、劇団サム)

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劇団サムは、練馬区石神井東中学の教員で演劇部の顧問だった田代卓が、教員退職後に同部のOBOGとともに四年前に立ち上げたアマチュア劇団だ。卒業後はバラバラになる中学演劇部のOBOGによる劇団は全国でも稀なはずだ。田代は卓越した中学演劇の指導者で、在職中は同中学演劇部を都大会出場の常連にし、関東大会、全国大会に導いた。退職後は嘱託教員として練馬区の中学に勤務し、演劇指導をしていたが(今もしているかもしれない)、そのかたわらで自分が演劇指導した卒業生たちと劇団を立ち上げたのだ。

2年前に旗揚げ公演を行い、以降、年に一回、一日一回のみの公演を行っている。私は昨年の第2回公演から見ている。会場は練馬区生涯学習センターのホールで三百席の会場だ。今日の公演ではこの三百席が満席になった。有料公演ではなくフリーカンパ制になっている。

劇団サムの公演は、母胎である石神井東中学演劇部の公演とセットで行われる。今日は15時から石神井東中演劇部による『スパークル』、16時から同部による『キミホン〜君の本音がききたい〜』の上演があり、17時半から劇団サムの『やっぱりパパイヤ』(阿部順作、田代卓演出)の上演があった。

石神井東中演劇部の『スパークル』、『キミホン〜君の本音がききたい〜』はどちらも部員によるオリジナル台本の作品だった。『スパークル』はグループ・ダンスを題材としたスポ根青春ものの作品。友情と挫折、そしてダンス合戦。あまりにもシンプルで定型的なストーリーで脚本の弱さは否めないが、出演者の個性と魅力が引き出されていて、見ていて気持ちのいい舞台だった。場面転換の際の、ホリゾント幕を背景に、俳優たちがシルエットになる場面が美しかった。もっとあの場面はじっくり見たい感じがした。見せ場となるダンスの場面は一所懸命作って、稽古したきたことが伝わって来た。

『キミホン〜君の本音がききたい〜』は、荒唐無稽な設定と展開の脚本に笑わされた。人が本音を表明してしまうから諍いが起こる。無用な諍いを避けるために「本音を表明することを禁止する」と言う「世論改革」(?)が行われ、人前で本音を表明した者は国家権力によって処罰されるようになった。嫌な目にあっても本音を言ったら逮捕される。恋愛で恋の告白をしても逮捕されてしまうという過剰監視のディストピアの様子が、ナンセンスなドタバタ喜劇のかたちで演じられる。

中学演劇部が兵器マニアの巣窟で武器製造していたり、海底火山噴火で東京湾に出現した島が日本から独立し、そこが反=世論改革の拠点となったり、この島に当局から追われた中学生などが集結し、演劇部員が作った武器で政府当局と戦ったりするなど、展開は思いつきの連鎖のように暴走していく。最後には「本音禁止」の政策を作ったのは、恋を告白した男の子に片思いしていた同級生の女の子だったことが明らかになる。「ヨロンカイカク」で本音の吐露が禁止されているにも関わらず恋の告白をしてしまった男が逮捕されたというニュースのあとで、東京湾で海底火山爆発、新しい島ができて、日本からの独立を宣言、というニュースの場面があって、こんなニュースなんでわざわざと思っていたら、それが反政府運動の拠点となる伏線だったという強引さには笑った。この他にも小ネタが満載。

中学生なりに社会動静を観察して作り上げた諷刺喜劇なのだが、その展開の自由奔放さは、大人の劇作家からはまず生まれないものだ。
コンクールなどでは荒っぽく非現実的な展開ゆえに高い評価はまずされないように思うが、その暴走ぶりが爽快で、演技の拙さ、もたつく台詞のテンポにも関わらず、途中から爆笑モードでの観劇となった。中学生たちが楽しんでこの作品作りにかかわっていたことが伝わってくる舞台だった。この作品を見守り、上演させた顧問の先生は偉い。

30分ほどの休憩を挟み、17時半から劇団サムによる『やっぱりパパイヤ』の上演が始まった。阿部順作のこの作品は高校演劇でよく上演される作品のようだ。『やっぱりパパイヤ』は5場構成の芝居だ。上演時間は75分ほど。果物のパパイヤの話ではなく、高校演劇部の娘とその娘の父親の話だ。思春期の娘は父親を敬遠している。でも父親は娘が愛おしくてたまらない。娘が書いた演劇部公演の脚本を、父親が書き換えてしまうことで起こるドタバタ喜劇で、上演中は何度も大きな笑いが会場から沸き上がった。思春期の父娘の関係のステレオタイプを利用したよくできた脚本だった。ギャグこの芝居も出演者たちがのびのびと楽しんでやっている様子が観客に伝わってきて、それが会場にリラックスした喜劇観劇の空気を作り出していた。

劇団サムは今回で3回目の公演となり、メンバーも高校生から大学生、社会人まで幅が広がった。やはりその前にやっていた中学演劇とは雰囲気がまったく違う。腰が据わっているというか、どっしり落ち着いた感じだ。中学演劇は中学生俳優が一所懸命かつ楽しんでやっている様子が伝わってくるのがよかったのだが、サムになるとコントロールされた演技によって観客の反応を引きだそうとしている。

演技の全体的なクオリティは昨年の公演よりもはるかに向上していた。リズミカルな心地よいテンポが維持され、俳優間のアンサンブルも昨年より緊密になっている。お父さん、お母さんといった大人役の俳優もさまになっていて、この二人はほぼずっと舞台に出ずっぱりだったが、芝居の緊張感が途切れない。劇中劇でヒロイン役を演じた太めの女優が可愛らしく、その演技もポップでとてもよかった。

三回目となった今回の公演で、劇団サムは新しい段階に一歩を踏み出したような気がした。制作面で、田代が一人で背負うのではなく、劇団サムのメンバーに委ねられる部分が大幅に増えたようだ。今回の公演では色刷りの美しい当日パンフレットが用意されたが、この手配は劇団メンバーが中心に行ったという。
メンバーの最年少は田代が石神井中の顧問をやめた後に演劇部に入った高校一年生、最年長は二十一才で社会人となり、出演者の幅も広がった。田代がいてこそ結集できた集団だが、三回の公演を経た今、田代のもとで指導されるがままではなく、自律した集団として歩み始めつつある。田代はこの劇団は参加者の熱意だけに支えられて成り立っており、来年の保証はないと当日パンフレットに書いている。学校という制度的な枠組みを持たず、しかもメンバーそれぞれの日常の活動の場がバラバラで生活環境が変わりやすい状況で、劇団を維持するのは実際たやすいことではないだろう。しかしメンバーは年ごとに入れ替わりつつも、このままこの劇団が公演を続けていくと、ユニークで面白い演劇的状況がこの劇団から生まれることが期待できる。


哲学者の長谷川宏が主宰する所沢の学習塾赤門塾で、毎年行われる演劇祭は塾のOBOGの参加者とともに40年続き、きわめて独創的で面白い演劇文化を生み出している。田代が主宰する劇団サムもせめてあと十年は続いて欲しい。年ごとに変化していくなかで、十年後の劇団サムは類例のない独自の演劇文化を生み出すポテンシャルを持っている。私はそれを見届けたい。