閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

「演劇×介護×子育て」ナイト #2 原サチコ講演会@リトルトーキョー

清澄白河にあるイベントスペース、《リトルトーキョー》で行われた竹中香子さん企画のイベント
「演劇×介護×子育て」ナイト #2
に行ってきた。ドイツの公立劇場で女優として活動を続ける原サチコさんに、「演劇と子育て」について聞くというもの。

f:id:camin:20180803193702j:plain今30歳で、フランスで舞台女優をやっている竹中香子さん自身が子供を近いうちに持ちたいという強い願望を持っていて、今日の企画を思いついたという。

原さんは1999年からドイツで演劇活動を行っている。ドイツ人男性と結婚し、2001年に男の子を出産するが、子供がまだ幼いうちにドイツ人男性とは離婚。以後、シングルマザーで子育てをしながら、ドイツ、オーストリアのいくつかの公立劇場で女優として活動してきた。子供は今、17歳だと言う。
原さんについてはドイツでの活躍ぶりは目にしていたが、私は彼女の舞台を見に行ったことがなく、どんな女優でどんな人なのかはよく知らなかった。日本人・アジア人女優がいなかったドイツで、シュリンゲンジーフ、シュテーマン、ポレシュといったドイツ演劇の先端を行く著名演出家に認められチャンスをつかみ、順風満帆の舞台人生を送っている人、というイメージだった。

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 彼女がドイツに渡ったのは35才のときである。女優としても、女性としても「崖っぷち」の年齢だ。シュリンゲンジーフの演出舞台が好きで、彼の演出作品に出演することを熱望してドイツに渡った。そしてその夢を実現させ、シュリンゲンジーフの舞台にも出演できた。ドイツ人男性と恋に落ち、結婚し、男の子を出産した。「よし、これでドイツでやっていけるんじゃないか」と思っただろう。しかし2001年〜2004年の最初の4年間、彼女はドイツの劇場で年に一本しか作品に出演できていない。アジア人俳優など当時のドイツには入る余地は例外的にしかなかったのだ。
明日が見えないこの時期、彼女のドイツ人の夫は彼女の苦境に理解を示してくれず、彼女はドイツでよるべなき異邦人となってしまう。しかし今さらおめおめ日本に帰ることもできない。この時期の彼女のことを想像すると、胸が押しつぶされるような思いだ。
2004年にドイツ人男性と離婚した彼女は、いろいろとつてをたどって女優としての仕事を探すがこれがそうそう見つかるものではない。彼女を女優として認めていたシュリンゲンジーフが強く推してくれたおかげで、2004年にようやくウィーンの劇場に専属俳優として契約することができた。ただし1年のみの契約。息子と二人でドイツで女優として暮らしていくには、劇場専属俳優の道しかない。彼女は女優しかできない人間なのだろう。レパートリー制のドイツ語圏公立劇場で、彼女はウィーン・ブルク劇場での最初の一年に4作品に出演する。崖っぷちの状況でこの劇場との契約にかけていた彼女の芝居は、鬼気迫る壮絶なものだったはずだ。一年目で劇場の芸術監督の信頼を得た彼女は、以降2008-09年のシーズンまでウィーン・ブルク劇場の専属女優として15作品に出演する。
ウィーン時代には子供はまだ幼かった。ベビーシッターに預けるお金がなかった彼女は、劇場で仕事がある日はほぼ毎日子供を劇場に連れて行ったそうだ。劇場のスタッフの女性の一人が彼女が稽古や出演のあいだ、子供の面倒を見てくれたと言う。
ウィーン・ブルク劇場での5年の後、ハノーヴァー、ケルン、ハンブルクドイツ国内の公立劇場の専属俳優として活動を続ける。日本で公演を行うようになったり、講演などが増えてきたのは、2013年にハンブルクの劇場で専属俳優として働きはじめてからのようだ。
親子・家族関係というのは人それぞれではあるものの、シングルマザーと女優の両立のモデルとしては、原さんのケースはあまりにも特殊すぎる。ドイツの公立劇場の看板女優としてのポジションを確実にし、子供が17歳になった今だからこそ、過去を振り返って「よく乗り越えたものだなあ」と言えるかもしれないが、明日の状況もわからない状況の最中ではさぞかしスリリングで不安な日々だったに違いない。
いや、本当にすごい人がいるものだなあと感心。彼女は、日本人女優など居場所がなかったドイツの劇場に、無理矢理体を押し込んで、自分の居場所を作ったパイオニアだ。ドイツ女優シングルマザー生活の前半は、その苦労を苦労として語ったりはしないけれど、どう考えても寿命が縮まるようなピンチと絶望の連続であったように思う。その強烈なストレスを受けとめて、逆に力にしてしまう強さには感嘆するしかない。

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ドイツ演劇の世界に原さんのように飛び込んだ人は他にいるかどうか知らないが、ドイツ演劇に限らず、あるいは演劇の世界に限らず、この世の中には原サチコにはなれなかった「原サチコ」が無数にいるのではないだろうか。ほとんどの人は彼女が最初の4年に経験した絶望と孤独を乗り越えることはできないだろう。
彼女があの不遇で先の見えない最初の4年間に耐えることができたのは、自分の才能と存在価値を信じることができる強固な自信があったから(シュリゲンジーフやシュテーマンという現代ドイツを代表する演出家に認められたというのは大きかっただろう)、そして圧倒的に弱くて自分に依存している存在、自分の分身である子供の存在があったからだろう。