閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

濱口竜介『寝ても覚めても』(2018)

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濱口竜介監督の『ハッピアワー』は5時間17分の大作だが、神戸を舞台にしたこの作品は私にとっては特別に愛着がある作品で、4-5回見ているはずだ。ここ2年は年末に神戸の元町映画館で『ハッピーアワー』の上映を見るのを帰省の楽しみにしている。

寝ても覚めても』は濱口竜介の初の商業映画で、純然たる恋愛映画だ。運命的な愛に固執する主人公の女性の姿は、ロメールの『冬物語』(ロメールの作品のなかでも最も好きな作品の一つだ)を連想させた。今、書いて気づいたことだが、心理のゆれの繊細な描写という点で、濱口の作品にはロメールを想起させるところがある。ただロメール諧謔、優雅さ、軽やかさは濱口には乏しい。濱口の映画の人物は不器用で内省的だ。

濱口の映画で何が感動的かと言えば、彼の映画の人物たちが真実を生きようとするところ、そして彼らの行動に真実を引き受けようとする真摯な覚悟が感じられるところだ。
寝ても覚めても』の展開や人物の行動には不自然で強引なところはあるし、その台詞はときに過剰に説明的だったり、文学的だったりする。しかしこうしたリアリティからの逸脱は、彼らの真実を映画の物語のなかで引き出すための仕掛けだ。嘘に嘘を重ねることで、はじめて表現可能になる真実というのがある。

真実は他者を傷つけ、自らを傷つける。傷つけ、傷つけられることをまっすぐ受けとめ、自らの責任において引き受ける覚悟をする濱口の映画の人物たちの行動は美しい。
私たちの日常は欺瞞に満ちている。私たちの多くは欺瞞のない世の中の苛酷さにはおそらく耐えることができないだろう。
できる限り正直に生きたいと思っている私は、自分の周りの欺瞞を呪いつつ、それをある種の必要悪として受け入れて生きている。

だからこそ、たとえフィクションのなかであっても、そこで真実が語られていることに激しく心動かされてしまうのだ。