舞台正面は開かれていて、舞台美術が見えた。予想外のしっかりとした作りの芝居小屋を見て、一気にテンションがあがる。若者数名がテント屋根の設営作業をしていた。舞台周りと境内を見学し、作業していた人に挨拶をしてまた夜の稽古時に見学に来ることを告げた。
チェックイン時に支払いを求められた。支払いは現金のみ。一泊9000円弱ということで、「お、案外高い!」と内心思ったが、これは朝夕二食付きの値段で、しかもその食事がボリュームがあって美味しかった。中華のレストランもやっている。レストランの名前は《プティ・レストラン
ミニオン》とフランス語だ。オーナーが長野県で修行していたレストランがフランス系だったとのこと。ただしレストランで出す料理は中華系が主。オーナーとその娘さんの二人で切り盛りしている。娘さんはまだ若いが2歳の子供のお母さんだ。オーナーも娘さんもニコニコしていておだやかで感じがいい。
宿飯は
飛騨牛のすき焼きなど(美味しかった!)や焼き魚など多数のおかずが並ぶ旅館飯だが、ボリュームがあって美味しかった。朝ごはんもがっつり出る。部屋は洋室だったが、絨毯にはしみついた汚れがあり、壁紙も古ぼけている。ベッドの上にはふとんが敷いてあり、浴衣も用意してある。テレビはない。フランスの地方の駅前の安ホテルを連想させる。「カーテンレールに服を吊るさないで下さい」という張り紙があった。この張り紙は廊下にも貼ってあった。風呂トイレは共用だ。風呂はかなり広い。24時間入浴可能。客室は二階だったが、一階に降りる階段の踊り場には、なぜか
紀子様の写真が飾ってあった。
夜8時頃から芝居稽古が始まるとのことだったので、その15分ほどまえに黒谷
白山神社に赴いた。舞台の幕は開いていて、舞台上は照明で照らされていたけれどまだ誰も来ている感じがない。客席から舞台をぼーっと見ていたら、20時過ぎに下から登ってきた人がいたので「今日は見学させてもらいます。よろしくお願いします」と挨拶した。8時20分ごろになっても舞台上で稽古が始まる気配がない。芝居小屋をぐるりと一回りしてみると、舞台奥の舞台からみて一階下にある楽屋に人が集まっている様子がうかがえたので、入り口の板の引き戸をあけて楽屋を訪ねた。楽屋には10人ぐらいの人がいた。
村芝居の上演を取り仕切る頭取がHと私の相手をしてくれた。慌ただしい祭の前日に見ず知らずの人間であるわれわれが突然訪問して迷惑ならないだろうかと恐る恐る楽屋を訪ねたのだが、30代半ばの頭取(見た目はもっと若く20代に見えた)は愛想よく我々につきあい、質問に答えてくれた。向こうもこちらがどのような目的でやってきたのかわからない得体のしれない人間なので訝しく思われたかもしれない。しかしこんなに付き合っていただけるのであればインタビューの準備をもっとしておくべきだったとあとになって後悔する。さっと挨拶するだけであとはじっと稽古を見ているだけになるかなと思っていたので、インタビューの録音もしていなかったし、頭取や「師匠」の写真、楽屋の写真も撮らなかった。
記憶に基づく覚書だが、頭取からは以下のような話を聞いた。
- 芝居は各自神社の若連中によって行われる。人情時代劇と舞踊ショーの二本立て。若連中には女性もいる。
- 芝居の演目は受け継がれてきたレパートリーがあって、それを回していく感じ。毎年演目は変わる。今年は受け継がれてきたレパートリーではなく、新しい演目に挑戦した。
- 頭取は芝居を含む黒谷神社前夜祭を取り仕切る責任者。頭取は毎年変わる。
- 昭和50年(1975)以来の上演演目と出演者の一覧記録があり、撮影させてもらった。大昔は歌舞伎を上演していたらしいが、いつから人情時代劇上演になったかはよくわからないらしい。祭自体は江戸時代から300年近い歴史があるとされる。
- かつらや刀などの小道具は、「興行」から借りるとのこと。演技の指導も「興行」の人が行うようだ。主演役者は毎年変わる。
- 芝居の稽古は二週間前から始まる。毎日夜に行う。「師匠」と呼ばれるOBのかたの指導が入る。
- 若連中は黒谷神社氏子で、だいたい18歳から40代半ばまで。黒谷の氏子全員が若連中として芝居に出るわけではない。声掛けして誘うとのこと。
- 若連中は勤め人がほとんど。芝居稽古は毎晩仕事が終わってから行う。奉納芝居は日付で決まっているので毎年週末になるとは限らない。仕事より芝居優先で、奉納芝居のときは何日か休みを取る。
このあとの稽
古見学や本番を見てわかったのだが、芝居と舞踊ショーのスタイル(演出や音楽の選択や使い方)は、モダン
大衆演劇のスタイルを踏襲したものだ。普段の稽古はOBの「師匠」が立ち会って指導が入ることが多いようだが(本番前日の稽古でも「師匠」からはかなり細かい指示が入っていた)、小道具なども借りる「興行」が芝居上演にどのような関わりかたをしているのか、「興行」とはなにか?、
荘川の他の集落でも同じ「興行」が入っているのかなど確認しておきたかった。舞踊ショーなどを見ても、
大衆演劇スタイルの舞踊の師匠がいて、出演者の多くは稽古事としてふだんから習いに行っているように思われた。
あとはこの村芝居の費用についても聞き漏らした。どれぐらいの予算でやっているのか。芝居は神社の例祭の前夜祭のなかで行われる余興なので、観劇料は取らない。出演者や裏方にギャラは出ないだろうが、それでも設営や衣装、照明などかなりの出費があるはずだ。祭当日にはいろいろなところからのご祝儀の札が貼られたが、そこにある金額を合計すると100万近くにはなっていた。とりあえずこの祭当日のご祝儀だけでやっていっているのだろうか。
村芝居でのヤクザ芝居の上演は昭和
20年代にはほうぼうの村落で行われいたようだが、それが継続的に現在まで行われている例はかなり珍しいはずだ。しかも
荘川村内にある四集落でである。数年前から
高山市の観光局のウェブページなどで
荘川の四神社の村芝居の広報が行われ、外にも知られるようになったらしいが、作り手はもちろん、観客もほぼ全てが出演者の知り合い、集落の住民という閉ざされた演劇だ。
頭取からは四〇分ほど話を伺った。そのうちに舞台上で稽古が始まったので、楽屋から客席に移動して稽古の様子を見学した。明日の演目は
大衆演劇でとりあげられる『川北長治』。前日夜のこの日には通し稽古があると聞いた。しかし主演俳優が仕事のため夜の十時にならないと到着しないと言う。主演役者がいないと通し稽古ができないので、それぞれの役者が自分の出る場面や舞踊ショーの稽古を思い思いにダラダラとやっていた。舞踊ショーで踊る女性が若くて実に可愛らしい。これは人気があるに違いない。踊りも上手だ。音楽はポップス調の演歌で、
大衆演劇でよく使われるようなものである。
十時すぎに主演俳優が到着。通し稽古がはじまった。一通り通しすが、芝居のリズムはいまひとつぎごちない。台詞がちゃんと入っていない俳優もいた。しかし通し稽古が始まると、それまでの弛緩した雰囲気がさっと改まる。「師匠」が舞台袖からかなり細かい演技のダメ出しをしていた。通し稽古をひととおり終えたあとも、立ち回りの場面やらうまくいかなかったところを中心に稽古が続く。半袖の服装で座ってみていたが夜の野外の冷え込みは思っていた以上だった。ただ稽古の途中で抜けるのは、稽古の熱気に水を指してしまうな気がしてトイレを我慢しながらずっと見ていた。稽古が終了したのは深夜0時を過ぎていた。最後まで稽古につきあったことで、頭取や座員からもちょっと信用されたような気がした。
【2019年9月1日(日)】
黒谷
白山神社の前夜祭当日で、芝居上演が行われる日だが、前夜祭の開始は19時からとなっていて、日中は予定がない。前夜祭には11時ごろから場所取りが行われると聞いたが、あいにく場所取りようのシートなども持ってきていなかった。混雑の具合がわからないが、11時に神社に行って場所を確保し、それから夜までそこにずっといるのは不毛に思え、日中は
荘川近辺を観光して時間をつぶすことにした。
荘川まで来ると車がないとどうしようもない。村内の移動も川沿いに東西に村が長く伸びているので、歩きだと大変だ。今回はレンタカーを利用し、運転はHまかせだ。私も免許は持っているのだが、もう15年以上ハンドルを握ったことがないペーパードライバーで、運転できる気がしない。今回の取材では車移動の利便性をあらためて認識し、自分の役たたずぶりを情けなく思った。ペーパードライバー講習を受け、レンタカーなどを運転できるようになりたいと思った。
せっかくここまで来たのだからということで、午前中はこれらの地を周ることにした。
白川郷では外国人観光客のすがたが目立った。お土産もの屋が多くてテーマパークのように生活感に乏しく、人工的な風景に見えた。このなかには一般の住居も混じっているらしく、観光客が立ち入ったりすることもあるそうだ。御母衣ダムと
荘川桜のそばの山の斜面には、ダム建設の際に作られた電源神社があり、そこにお参りもした。電源神社というのはかなり変わっているなと思ったが、この他にも
ダム湖の周りにあるそうだ。階段を上ると、物置サイズの祠があるだけ。
狛犬はいた。
昼飯は
ダム湖を抜けたところにある
蕎麦屋に入った。グーグルマップでの評価が高い。人気のある
蕎麦屋で入店待ちの客が数組あった。「ネギ大根劇場」という看板が
蕎麦屋の駐車場にあって矢印があるので、一体なんだろうと思って矢印の方向を歩いていくとネギ畑と倉庫があるだけだった。倉庫に「ネギ大根劇場」とペイントしてあったので、倉庫を開けると農機具が入っているだけ。
蕎麦屋の親父に「いったいあのネギ大根劇場ってなんですか?」と聞くと、満足げな笑顔で「おお、行ったか。ネギ畑があっただろう。大根は抜いたばかりでないけど。あそこで取れたものを店ではつかっているんじゃ」と言う。「劇場って?」「だからネギ畑と大根畑。ああやって看板出しとくと、何やろう?と興味もって来るやつがいるから。宣伝みたいなもんじゃ。あれで地元テレビの取材も来たんだ」とのこと。そばはもりそば並盛りが1200円、大盛り2000円とかなり高かった。美味しいそばではあったが。
昼食後も前夜祭開始時刻まではだいぶ時間がある。9月はじめに奉納芝居が行わる四神社のうち、昨日行くことができなかった。野々俣神社に行くことにした。野々俣は
荘川でもかなり山を上った奥まったところにあり、他の集落からは孤立している。奉納芝居・祭礼は9月3−4日だが、昼間の神社には人はいなかった。神社は山の斜面にある。芝居小屋の作りと大きさは他の神社とほぼ同じ。観客席となる部分にはテント屋根が設置されていた。
荘川の村芝居はすべて神社の境内に建てられた常設の芝居小屋で行われているというのが驚くべきことだ。芝居小屋は何十年に一回は建て替えられている。維持費もそれなりにかかるにちがいない。一年に一度の奉納芝居のために、常設の芝居小屋を建設し、維持しているというのがすごい。
かつては今、奉納芝居が行われている四神社以外の他の集落の神社でも奉納芝居が行われていたのだろうかというのが気になった。時間の余裕もあったので、
荘川町内の神社で祭礼だけが行われる神社も回ってみることにした。
荘川の東にある三尾河
白山神社と六厩
白山神社を訪ねた。どちらの神社の集落も小規模で、神社も祭礼間近にもかかわらず打ち捨てられたような感じだった。奉納芝居が行われないこの二神社には芝居小屋も芝居小屋があった形跡もなかった。しかし六厩
白山神社には、昨日昼に訪ねた一色
白山神社同様の神
楽殿があった。
六厩神社のそばにあるくるまーと六厩という駐車場に村の
重要文化財という飛騨の匠が作った
千鳥格子の
地蔵堂があるというので見に行ったが、どうってことはなかった。駐車場で存在感を発揮していたバイパス開通記念のモニュメントの巨大石碑を見て、「こんな芸術性も高そうにないモニュメントをバイパス開通したからといって、わざわざ大金をかけて作ろうっていうのはどういう了見なのだろう?」と思う。
そのあと、村を貫く街道沿いにある「日本一の五連水車」(一番巨大な水車が直径13メートル)を見て、ホテルに戻る。
ホテルで早めに夕食をとったあと(やはりボリュームがあって、多彩で、おいしかった)、奉納芝居を見るために黒谷
白山神社に向かう。午後7時開演とチラシに会ったのでその20分ほど前に行った。神社の横にある公民館のような建物から山車が運び出され、移動していったが、その方向はなぜか神社と逆方向に向かっている。ぐるっと集落を回ってから神社にその山車は運びこまれることがあとになってわかる。
前夜祭の境内には夜店も出ていた。芝生の客席にはブルーシートが敷かれ、その上には場所取りの敷物が置かれていた。私はその敷物が敷かれていない舞台前方に座る。この舞台前方席は実は神社の若連中用だったことがあとになってわかる。まあ一人分ぐらいのいいだろう。
予告されていた午後7時の開演時間になっても始まらない。実際にプログラムが始まったのは午後8時前だったように思う。
奉納芝居と舞踊ショーだけかと思っていたら、そうではなかった。
まず氏子総代の挨拶があった。これはごく短いもの。前夜祭の取り仕切りは、若連中が行うようだ。
高山市長代理で来た高山副市長の挨拶がそれに続く。「高山の祭は十月ですが、九月は
荘川の祭の月ですから、残りの祭にも来させてもらいます」というようなことを言って、客席から差し出された缶ビールを一気飲みした。観客は300人ほど。もちろん飲み食い自由だ。小さい子供から老人まで。私のいた前方席は若連中たちの場所でもあったため、客席の盛り上がりがすごい。Hは撮影のため後ろの方で見ていたが、舞台から遠い席はそれなりにクールだったとのこと。
プログラム構成は挨拶のあとは、まず獅子舞が30分ほど。いくつかの演目が踊られる。獅子が一匹のこともあれば、数匹の獅子が舞台に並んで踊ることも。小さな子どもたち数人が舞台下手の花道のところで、小さな獅子舞を手にして舞台上の獅子の動きを真似していた。ウィキで調べてみると富山、石川、岐阜のこのあたりは獅子舞がとりわけ盛んなところのようだ。
荘川では十月に30頭の獅子による連獅子が名物になっている。
獅子舞のあとは舞踊ショーの第一部。第一部は小中学生のソロ舞踊だ。舞踊の音楽と振り付けは
大衆演劇の舞踊ショーと同じもの。面白いのは各人の舞踊が終わると、花道からどどどっと数人の子供がプレゼントを渡しに舞台に駆け寄り、演者は抱えきれないほど大量の贈り物を持って舞台から退場するという趣向だ。観客や花道にプレゼントを贈るために待機している子どもたちからの声援も演技中にかかる。照会のアナウンスも実に手慣れた感じで、ユーモラスな修辞と口調で演者を紹介する。5人の小中学生が和装で踊った。
奉納芝居、時代人情劇は舞踊ショーの後にある。上演時間は90分ほどだったように思う。演目は『川北長治』。昨晩の通し稽古では、リズムが悪くもたもたした感じがあったけれど、本番の今日はさすがにきっちり決まっている。観客はつまらないギャグにもことごとく反応するので、役者たちもそれを受けて気分が乗っているのが感じ取られた。客席の反応がいいので、アドリブなどもなめらかだ。でも馴れ合いでぐずぐず芝居を崩したりはしていない。芝居の骨格はきっちり演じ切ろうとしているので、ダレた感じはなかった。昨晩はぎごちなくて何回も稽古していた見せ場の立ち回りも見事に決まった。主演俳優の男っぷりはプロさながら。唯一の女性、
茶店の娘を演じた役者も可愛らしかった。
前夜祭のメインプログラムである芝居が締めかと思えば、芝居はプログラムの真ん中に置かれていた。芝居の後、中入りがあり、そのあとは口上。そして大入り福袋を客席に盛大にばらまくという趣向があって、客席が沸く。私は小さい大入り袋を手に入れた。中にはおかしが入っていた。大きな福袋は手提げの紙袋だ。最後に投げられた特別の福袋を手にした観客(小学生の女の子)が、テントの上に吊るされたくす玉割役に任命された。
この後にまた獅子舞が挿入される。獅子が赤い下をだして自分の足の裏やお尻をなめて気絶するというユーモラスなもの。小さな子どもたちが花道で、小型の獅子を手にして舞台の様子を模倣してみせるのも、最初の獅子舞のときと同じ。
そのあとに大人の舞踊ショー。二人舞踊を含み5組が踊った。舞踊ショー第二部のあとに、前夜祭を取り仕切った若連中一同による締めの挨拶があった。「お楽しみいただけたと思います」という頭取の言葉に大きな拍手。若連中は大役を終えてほっとした喜びに満ちていた。
若連中の締めの挨拶のあと、客席から人が立ち退場していると、舞台上では獅子舞の代神楽が前夜祭の終わりを締めくくった。
終焉時刻は23時を過ぎていた。
これぞ伝統的な共同体の祭という雰囲気に心奪われる。地域の人たちのための地域の人たちによる芝居だ。熱気と高揚感、一年に一度の共同体の祝祭での盛大な浪費の解放感にしびれる。若連中がとても楽しそうに、そして誇らしげに村芝居に関わっているのも印象的だった。
荘川町では、毎年9月1日に今回私が見た黒谷
白山神社で奉納芝居が行われるほか、2日は一色
白山神社、3日には野々俣神社、そして日がしばらくあいて9月14日は
荘川神社で奉納芝居が上演される。同じ村の四神社で同じ時期に芝居上演を行うということでライバル意識が芽生え、それが芝居への取り組みの熱意とクオリティの高さにつながっているのだろう。上演されるのはすべて
大衆演劇スタイルの人情時代劇とのことだ。いずれこの四神社の芝居すべてを見てみたい。