閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

佐藤二葉『古代ギリシアの響き 竪琴で味わう詩と音楽』2021/07/10(土)@朝日カルチャーセンター新宿教室 

2021/07/10(土)18時〜21時@朝日カルチャーセンター 新宿教室
 
 
 
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2時間のプログラムで、レクチャーが7割で演奏が3割ぐらいだった。ホメーロス『イリアース』から叙事詩、独唱叙情詩、合唱叙情詩、劇詩、祭祀の際の行進曲、そして墓碑といったさまざまなジャンルの古代ギリシャ語のテクストを、ハープ伴奏の歌を交えながら紹介する充実した内容だった。紀元前9世紀から紀元後1世紀に至る古代ギリシア詩1000年の歴史を2時間の枠内で駆け抜ける内容になっていた。
熱烈なギリシア文化崇拝者である佐藤二葉には、彼女が学部学生時代、今から10年ぐらい前に古典戯曲を読む会@東京の参加者として初めて会って以来、その後、実際に会ったのは数回だが、彼女の活動はSNSで追っかけていた。
彼女にはギリシアについて語りたいことがあふれるほどあるはずだ。しかし今日のレクチャー・コンサートではその愛に溺れることなく、2時間の枠内で完結したレクチャー・コンサートとなるよう提示される素材が吟味され、その構成や伝え方も練り上げられていた。レクチャーで語る内容のポイントの押さえ方がうまい。自作の曲と復元された古曲を交えた演奏をどのタイミングで入れるのか、またその曲を提示するのにどのように話の流れを持って行くのかなど。あえて多様なジャンルの作品を紹介し、1000年の古代ギリシア詩と音楽を駆け抜けるという切り口がとてもいい。
レクチャーのパートが割合的に多かったが、動きや表情、声の調子の変化などに俳優ならではの工夫があって退屈を感じない。会場には40名ほどの聴衆(その9割は女性)がいたが、会場全体が彼女の語りのリズムに引き込まれている雰囲気を感じた。
韻文が何よりもテクストの記憶の補助となること、韻文のリズムや音調、そしてメロディーが、口承で伝えられてきた古代ギリシア詩にとって、ある種の「文字性」を持っていたことがレクチャーで強調されていたことが印象に残る。古代ギリシア詩の伝承やパフォーマンスについての仮説は、やはり口頭で伝えられ、写本にはかなり後になって記されることが多かった中世フランスの詩についても当てはまることが多い。
12月に中世フランスのハープを主題としたレクチャー・コンサートを行う準備をしていて、今回佐藤二葉のレクチャー・コンサートを申し込んだのは、自分のレクチャー・コンサートの企画に参考になる点があるのではないかと思ったからだ。自分がこのレクチャー・コンサートで何を伝えたいのか、聴衆はどんな人たちを想定しているのか、その聴衆に自分の伝えたいことをどのように伝えるのが効果的なのか、今一度再検討する必要があると思った。
 
 
 
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レクチャー終了後、古代ギリシャの女性詩人の青春を描いた佐藤二葉のマンガ『歌え!エーリンナ』の単行本にサインをして貰った。
そのあとツーショット写真を一緒に撮って貰ったのだが、あとで見てみるとその写真は撮れていなかった。。。これにはがっかり。

2021/05/30 平原演劇祭2020第6部 #阿呆ヘレネ+《モンセラートの朱い本》&テリー・ライリー《in C》演奏会

note.com

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2021/5/30(日)12:45@鋸山岩舞台
全額投げ銭
出演:栗栖のあ、北條風知、高野竜
原作:コルートス

 

  昨年12月20日に行われた平原演劇祭@鋸山演劇は、鋸山最寄り駅に新宿から直通で行くことができる特急《新宿さざなみ》の突然の運休という事態に見舞われ、その前週に越生の黒山三滝で転倒して手首を骨折していて気が弱っていて、観劇を断念した。前回の鋸山演劇の参加者のリポートを読んで、かなり険しい山道を上り下りする体力的にかなりきつい観劇だったことを知り、行かない決断をしてよかったと思った。

 今回は公演会場に直接集合と告知にあった。いろいろバタバタ用事が詰まっていたので、平原演劇祭twitterやnoteにあった告知文を事前にちゃんと読んでいなかった。鋸山山頂まではロープウェイで行けると言うし、とりあえず「JR特急新宿さざなみ3号、新宿発09:08-浜金谷着10:54」を頭に入れておけば、他に知り合いの参加者もいるのでなんとか会場にはたどり着けるだろうと考えた。

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 鋸山には30年ほど前、大学の美術サークルのスケッチ遠足で行ったことがある。平原演劇祭は公演会場が野外の特殊な場所でアクセスが面倒だったり、現地では立ったままの観劇で、ときにやたら歩かされたりすることがあって、体力的にきついことがちょくちょくあるのだが、今回は家族連れの観光客も多い鋸山、しかもロープウェイで行ける場所ということで、体力的には余裕だろうと思っていた。

 さきほどよく見るとnoteの告知には、「丈夫な靴と虫除けスプレー推奨」と太字で注意書きがあったのだが、そこはちゃんと見ていなかった。その上に「全行程徒歩登山の場合駅から「岩舞台」まで小1時間」とあり、ロープウェイ利用なら会場のすぐそばまで行けるのだろうと思っていたのだ。

 特急新宿さざなみ号で鋸山の最寄り駅の浜金谷駅までは2時間弱とかなり遠いが、乗り換える必要がないので楽ちんだ。車両もきれいで、空いていた。浜金谷はがらんとした田舎の駅だった。同じ列車には平原演劇祭観劇者が私以外にも数名乗車していた。私はぼのぼのさんとアンジーと行動をともにすることにする。ぼのぼのさんは昨年末の鋸山演劇を観劇していて、土地勘がある。ロープウェイに乗車する前に浜金谷駅周辺で昼ご飯を食べるところを探したのだが、新型コロナの感染防止のためか、閉まっている店が多い。営業している店にはかなり長い行列が出来ていた。並んで待っている時間がもったいないので、ロープウェイの山頂駅にある食堂で昼ご飯を食べることにした。

 浜金谷駅からロープウェイの駅まではけっこう距離があった。浜金谷駅周辺はひなびた田舎の漁師町で、観光客らしき姿はあまりなかったのだが、鋸山山頂に向かうロープウェイ駅にはかなり多くの観光客がいた。ロープウェイも詰め込みの三密状態だ。

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 山頂駅に附属するレストランで昼飯を食べる。レストランで平原演劇祭にしばしば出演する女優夏水さんや平原演劇祭観客の常連と会う。山頂レストランはラーメン、カレーといういかにもこういう観光地にありそうな定番メニューしかない。「びわカレー」というのが名物とのことでそれを私は注文した。びわのピューレが入っているとのこと。食べてみるとびわの風味はあまり感じられず、きわめて平凡な和風カレーライスだった。竹炭が練り込んだ地獄ソフトクリームという真っ黒なソフトクリームも食べる。味は普通のバニラソフトクリームだった。

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 公演場所が鋸山のどこなのかは私は把握していなかったけれど、あんじー、夏水さんというきれいな女性と一緒に観光地ということで、展望台で記念写真を撮るなどしてちょっと浮かれた行楽気分に浸る。

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 公演開始時刻まではまだ大分余裕があったので、鋸山日本寺の敷地内のポイントを回ることにした。公演会場となっている岩舞台には、有料地域である日本寺の敷地を通らざるを得ないようで、それだったら観光もしておこうということで。地獄のぞきというせり出した絶壁の名所により絶景を楽しんだのち、大仏を見てから会場に行こうかということになり、まず地獄のぞきを目指す。

鋸山 日本寺 公式サイト | 境内案内

 ロープウェイ山頂駅から地獄のぞきまでは一本道なのだが、ずっと上りの階段で、しかも途中からは階段がかなりの急斜面になる。思っていたよりはるかにきつい道のりだった。地獄のぞきの絶壁の近くにある山頂展望台に着いたときには、汗だくで息も絶え絶えという感じになっていた。ひざもガクガクだ。地獄のぞきには長い行列ができていて、とてもその行列に並んで地獄のぞきを見学する気になれない。ぼんやりと地獄のぞきのほうを見ていた。汗がひくまで山頂展望台で休憩するとけっこうな時間が経っていた。

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 大仏の見学はあきらめて、天上展望台から直接公演会場の岩舞台に向かうことにしたが、岩舞台に向かう道を通り過ぎてしまい、いったんロープウェイ山頂駅まで下り、そこからまた同じ道を上っていくことに。幸い急斜面の手前に岩舞台方面への分岐道があったのだが、すでに体力の消耗が激しい。そしてここから公演会場の《岩舞台》までの道のりが想像していた以上に険しい道だったのだ。公演会場が鋸山のどこにあるかは私は事前にチェックしていなかった。その場所が「岩舞台」と呼ばれるかつての石切り場だったことも、当日、公演会場に到着してから知った。

Google マップ

 今、Google マップを見ると、「岩舞台」は先ほどまでいた地獄のぞきのほぼ真下にあり、鋸山日本寺の境内の出口から直線距離で数百メートルほどしかない。私たちが金谷下山口から出て《岩舞台》に向かって歩いたのは、浜金谷駅方面に降りる鋸山裏登山道という道らしい。これが行楽気分で鋸山にやってきた私にとってはとんでもない山道だった。すでに天上展望台への階段の上りで体力消耗していたのだが、それに追い打ちをかける険しさ。ところどころに分岐点があるのだが、「岩舞台」へ行く道筋はたまにしか表示されていない。私一人だったら《岩舞台》まではたどり着くことはできなかっただろう。たぶん途中で諦めて引き返していたと思う。もしかすると境内出口から岩舞台までは30分ほどぐらいしか歩いていないかもしれないが、岩舞台に着いたときには息絶え絶えという感じだった。平原演劇祭は会場に行き着くまでの道のりやその公演の道中がきついことは少なくないが、今回の鋸山は私が経験したなかでは一番体力的にはきつかった。この道中がきつすぎて、写真を撮る余裕がなかった。

 

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 平原演劇祭に限ったことではないが、平原演劇祭については特に公演会場までの道のりも公演の一部のようなものだ。かつての石切り場である公演会場には、『阿呆ヘレネ』の出演者のほかは、観客らしきひとはわれわれを含めごく数名しかいない。「偶然」同じ会場で、『阿呆ヘレネ』のあとに行われるテリー・ライリー《in C》の演奏者たちがしばらくするとやってきた。演奏者の人数は約10名くらいか。彼ら、彼女たちは、楽器を担いであの山道を歩いてここまでやってきたのだから、たいしたものだ。日頃、運動してそうな生きの良さそうな人は見た感じいなかったのだが。

 予想以上の難路ゆえ、観客の到着が遅れていたようだ。12:45の開演が予告されていたが、実際の開演はそれより遅かったみたいだ。私は既に疲れ切っていて時計を確認する余裕もなく、何時に始まったのかわからない。

 最初に高野竜から今回の公演の原作であるコルートスの短編叙事詩「ヘレネー誘拐」について簡単な紹介がある。コルートスは6世紀のエジプトの詩人とのこと。トロイア戦争の発端の一部始終が語られる。トロイア戦争物としてはマイナーな作品で、できもあまりよくないとのこと。高野、のあ、北條の三人が、《パリスの審判》、《ヘレネー誘拐》の主要登場人物を一人語りのかたちでリレー式に演じていく。野外での公演だが、垂直に切り立った巨大な石の壁に声は反響してよく聞こえた。

 平原演劇祭あるいは《in C》の演奏のために岩舞台に来たわけではない一般観光客もいた。彼らにはこの集団はどのように見えただろう? あやしげな新興宗教の集会のように感じたのではないだろうか。

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 この会場に着いた時点で疲労困憊で、観劇どころではないという感じだったのだが、高野竜が石切り場の二段目に移動し、巨大な岩壁を前に朗々とテクストを読み上げた瞬間、ここまでこの公演を見に来てよかったと思った。トロイア戦争の叙事詩的世界が表現されるにふさわしい壮大なオープニングだ。平原演劇祭はそのほとんどが劇場でない場所で上演されるが、効果的に空間の特性を生かした演劇を作るという点で高野竜ほど卓越した演出家はそうそういないだろう。

 神話的・叙事詩的世界の幕開けを告げるテクストをあの場にふさわしい荘重な響きで読み上げたあと、高野は読み上げていたテクストを記していた紙を崖の上から地上に投げる。灰色の岸壁、緑の草木をバックにひらひらと落ちるその紙が作り出すスペクタクルは実に印象的だった。

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 紙がゆっくりと舞い落ちるなか、地上で待機していた牛の仮面の男がおもむろに動き出し、トロイヤ滅亡のきっかけとなった物語が始まる。この演出のかっこよさ。俳優の声が岩にいい感じでこだまして実にいい感じで響き渡る。

 

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 しかしその荘重さは、すぐに栗栖のあが演じる関西弁でまくしたてるアフロディテによって、喜劇的な世界に転換していく。

 

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 上演時間は1時間弱だっただろうか。垂直に伸び、三層になっている石舞台のダイナミックに生かし、俳優たちの声と身体をその場にいる人たちを別の非日常的世界に連れて行く。ときに偶然、この時間帯にこの場所にやってきた一般観光客を強引にその演劇的風景に取り込んでしまうこともあった。会場に到達するまでの過酷な道のりのつらさを帳消しにするような充実した時間を楽しむことができた。

 

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 さて平原演劇祭のあとは、同じ会場で「偶然」行われることになったテリー・ライリーの《in C》と14世紀の歌曲写本『モンセラートの朱い本』の演奏会だ。《in C》の演奏会は、高野竜さんの盟友であるミュージシャン、酒井 康志が不定期に行っているイベントで、不特定多数のミュージシャンによびかけていろいろな場所に集まって《in C》をゲリラ的に演奏するというものだ。おそらく昨年12月の平原演劇祭の鋸山での上演に来て、酒井さんはここで《in C》イベントをやりたいのだと考えたのだと思う。《モンセラートの朱い本》は中世世俗音楽歌曲集として録音も数多く、古楽ファンにはよく知られているが、酒井さんのtwitterをフォローしているかたが「『モンセラート』は「ノコギリ山」って意味だそうだから、鋸山で《モンセラートの朱い本》の曲も演奏すれば」と提案したことがきっかけで、今回のプログラムに組み込まれたようだ。このため、今回のイベントでは古楽系のミュージシャンが多数参加することになった。演奏会場のこの光景だけで、すでに最高なのだが、この環境での中世音楽と《in C》の演奏はやはり格別で唯一無二の音楽体験となった。演奏者の方々はつらい思いをして楽器を運んでこんなところまでやってきた甲斐はあったと思う。

 

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 まず《モンセラートの朱い本》から二曲演奏があり、そのあとに《in C》の演奏が続いた。《in C》の演奏時間は約45分だった。巨大な反響板となった石切り場の岩の音響効果、音楽の演奏に応えるような鳥の声、そしてこの風景の綜合が作り出したすばらしいスペクタクルだった。45分にわたる《in C》の演奏が終わった後の静けさ、あの美しい緊張感は忘れがたいものだった。こんなつらい思いをして会場まで行かなければならないのはもう勘弁して欲しいが、でもあの音楽体験はまた味わってみたい気もする。

 この音楽イベントについては、togetterにまとめられている。

togetter.com

 映像記録もyoutubeにいくつか上がっていた。次回あるようなことがあれば、もっと洗練されたかたちで映像記録も残されるだろう。今回は演奏者の大半は、「鋸山で《モンセラートの朱い本》と《in C》の演奏だって!面白そう」と思ってやってきたのだろうが、まさかこれほどまで会場到達が過酷だと分かっていた人は、主宰の酒井さんを除いてはいなかったはずだ。

 

www.youtube.com

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 さて「家に帰るまでが遠足」とよく言われるが、平原演劇祭はまさしくそうだ。終演後は山の中を通って、下界に戻らなくてはならない。肥満で運動不足のうえ、昨年12月に黒山三滝で転倒して手首の骨を折ってしまったので(今回も《in C》の演奏終了後に転倒した)、下山も用心深くなる。すでにかなり疲労しているので。下山の山道には階段らしきものはあったのだが、急斜面だし、気をつけないとすべって足をくじいてしまいそうだ。鋸山の麓の自動車の通る道までは30分ほどかかっただろうか。

 高野竜さんに下山時にはついて行った。彼はこの一年間で10回以上鋸山に登ったそうだ。おそらく帰りに通った道は、石切職人が石切り場への近道で通っていた非正規の裏道だと思う。自動車の通る道まで降りたあとは、そのあたりに駐車していたらしい高野さんの車にのって、浜金谷駅まで送って貰った。

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 今回はなんとか怪我することなく無事に帰宅できた。やれやれ。肉体的には非常にきつい観劇となったが、そのきつさに見合う面白い体験を今回の平原演劇祭でもすることができた。

 しかし平原演劇祭は野外劇の割合がこのところ増え、しかも段々、観客も体力が要求されるようになっているような気がする。雪山演劇というのもたしか予告されていたような。今後のことを考えると、やはりもっと痩せて、しかも体力をつけ、対応能力を向上させる必要がある。あとトレッキングシューズは、今後の観劇のために、購入しておこうと思った。

 

2021/03/21 平原演劇祭2021第3部 #傷には種を

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note.com

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3/21(日)13:00-17:00
@是政橋下
1000円+投げ銭(軽食付き)
出演:かんな、もえ、SAKURA、西岡サヤ、アンジー、朋佳、ほうじょう、ひなた、栗栖のあ、酒井康志
演目:
「詩とは何か」
「四月になって」
「冬イチゴ」
「アンジーの野望」
「マンモーニ」
「夜郎別記」
「学者アラムハラドの見た着物」
「傷には種を」

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一月以上前に見たのだが仕事が詰まっていてレポートを書く時間がなかった。記憶が曖昧になっているところが多い。公演のメモ書きとして残しておく。

三月ないし四月はじめの平原演劇祭は西武多摩川線の終着駅、是政の豆喫茶でこで行い、そこでは現役女子高生による「詩とは何か」が上演されるのが恒例になっていた。昨年4月の是政公演は孤丘座の解散公演を兼ねていたが、新型コロナウイルス対策で豆喫茶でこではなく、多摩川にかかる是政橋下の河原での野外公演となった。以後、平原演劇祭は野外公演が続いている。

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今年の是政公演も是政橋下の野外公演となった。この日は時折雨が降る寒い日で、野外公演としてはかなり厳しい環境での観劇だった。雨と寒さだけでなく、長時間ずっと立ったままの観劇というのもきつい。知名度天候が災いしてか観客は15名ほどだった。しかし観客が多くても、少なくても、平原演劇祭はマイペースな感じだ。

最初は女子高生三名による三本立て芝居が是政駅側の橋桁の下で上演された。昨年もこの場所で「詩とはなにか」が上演されている。まず最初はかんながモノローグ劇「詩とはなにか」、続いて昨年「詩とはなにか」を演じたもえが「四月になって」、そして三番目は昨年の大晦日に神社で演じられた「冬いちご」をSAKURAが演じた。「冬いちご」は昨年末にはあった「古事記」の朗読が省かれていた。ただ「冬いちご」の上演中に、西岡サヤによる2.5次元ミュージカルの「弱虫ペダル」の引用上演が無理矢理挿入されるのは今回も同じだった。

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「詩とはなにか」は私は高野竜の戯曲の最高傑作だと思う。この戯曲に限らないが、高野は孤独な女子高生の、女子高生には言語化されえない心情に言葉を与え、彼女の肉声として描出した。女子高生のタイプは全然異なるが、橋本治の「桃尻娘」を連想させる。「詩とはなにか」はモノローグ劇だが、オープニングでは他の二人の女子高生俳優もこのモノローグ劇の風景の一部となり、広大な河原の空間を演劇空間として区切るような工夫があった。この演出は高野によるものではなく、出演者三人が考えたものという。

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「詩とはなにか」の語り手のユイは今年が10代目とのこと。この戯曲は2011年の東北大震災のあと書かれ、上演されたものだった。今年のユイ役のかんなは平原演劇祭に初出演だった。正統派美少女女子高生といった感じの美しいユイだった。

 「詩とは何か」のあとはもえによる「四月になって」、そしてSAKURAによる「冬いちご」がシームレスに続いて上演された。「冬いちご」を上演中に強引に劇中に割込み、河原を暴れ回る西岡サヤのインパクトがすごい。

 

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 女子高生三名+西岡サヤのあとは、ラッパの吹き手によって、ハーメルンの笛吹きに導かれるように観客は多摩川の流れるところまで誘導された。

 

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 川縁で観客を待ち構えていたのは、『マルサの女』の宮本信子の扮装をしたアンジーだった。今回の公演の第一部後半にあたる『アンジーの野望』は川の中州で上演された。

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 アンジーの野望は、今後50年(もっと長かったかもしれない)にわたるあんじーとのあの演劇ユニット、のあんじーの公演計画についてあんじーが語るという内容だった。ときおり観客に上演のアイディアについての感想を求めたりもする。ルーズに即興的なトークだという雰囲気だったが、あとで考えるともしかするとこの『アンジーの野望』もしっかり事前に台本化されていた可能性が高いような気がした。『アンジーの野望』の締めくくりは、多摩川への水没だった。さきほど「冬いちご」に乱入して暴れ回った西岡さちもなぜかまだ冷たい多摩川のなかに入っていく。川に入る二人の姿は絵になるかっこよさだ。

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 『アンジーの野望』のあとは、ジョジョ劇「マンモーニ」をひなたともえが熱演したのだが、ジョジョの教養が欠けている私には何が演じられているのかまったくわからない。

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「マンモーニ」のあと、トイレ休憩となった。雨が強くなってきて寒いし、立ち通しの疲労も蓄積してきた。今日の平原演劇祭のおやつはシシトウとさつまいもをふかしたもの。塩をまぶしているだけだが実においしく感じた。平原演劇祭で出る飯はいつもおいしく感じられる。

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休憩のあとは、栗栖のあのひとりしばい「夜郎別記」だ。古代と現代の四川省成都を舞台とした壮大な歴史ファンタジー劇なのだが、この頃には私は体力を消耗していてのあの言葉を負う気力が残っていなかった。ただ俳優について移動するだけで精一杯だ。

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劇中で中華ちまき頒布コーナーがあった。このちまきもおいしく頂いた。

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後半の最後はひなたが演じる「学者アラムハラドの見た着物」。宮沢賢治原作の物語の劇化だ。これは昨年の平原演劇祭で越生の山の中で演じられたものだろう。これも私は俳優について移動するのが精一杯で芝居を楽しむ体力はすでになかった。

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春の平原演劇祭野外劇の締めくくりは昨年同様、歌と合唱だった。酒井さんがギターを弾いた。25歳以下の若い俳優たちが活躍した演劇祭だった。上演時間は4時間半弱。雨風は懸念していたほどひどくはなかったが、寒い中立ち通しでヘロヘロになってしまった。

高野竜さんが2011年以降に発表した11作品をまとめた『震災対応戯曲集』を購入した。A4版簡易製本の戯曲集だ。この戯曲集が角田博英さんに捧げられていることに、胸が少し熱くなる。角田さんは平原演劇祭の最も熱心な観客の一人だった。私や高野さんとほぼ同年代だったが数年前に急逝された。平原演劇祭では何度も見かけていたけれど、私は言葉を交わしたことはなかったと思う。

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2021/04/29 平原演劇祭2021第4部 演劇前夜「黄山瀬c/w夜ふけと梅の花」

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 平原演劇祭2021第4部は朗読の企画だった。緊急事態宣言によって出たことで当初予定されていた会場の目黒区駒場住区センター和室が利用できなくなってしまった。目黒区駒場住区センターが利用不可になる前も、何回か日時や場所の予定が変更されていて、直前までどこでいつやるか確定しない。平原演劇祭の予定を確認するには、twitterで平原演劇祭公式アカウント(@heigenfes)か主宰の高野竜氏のアカウント(@yappata2)、あとは上記リンクにあるnote(https://note.com/heigenfes)の情報を頼りにするしかない。

 東大駒場キャンパス内でやるという話も出ていたが、当日13時に待ち合わせ場所の駒場東大前駅改札で出演者の青木祥子から東大駒場キャンパス内に部外者が入れなくなっていることを聞いた。普段はキャンパス内に自由に出入りできるのだが、新型コロナウイルス感染拡大の防止措置として入場者チェックが行われているとのことだ。大学正門に近い渋谷側の改札で待ち合わせだったのだが、高野竜が待機している反対側の改札まで移動した。ちなみに今回の朗読会(平原演劇祭では《演劇前夜》と呼んでいる)の出演は高野竜と青木祥子の二人、観客は平原演劇祭の写真記録担当MM氏と私、そして平原演劇祭にミュージシャンとして出演したことのある暗渠ファンのMEW氏の3名だけだった。雨のなかの野外公演、駒場という平原演劇祭的にはありふれた場所、そして朗読という地味な企画ということで、あまりアピールしなかったようだ。

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 まず駅の改札前にあった地図看板を使って、高野氏が今日のルートの大雑把な説明をした。ここで今回の公演が暗渠をたどっていく暗渠探索散歩演劇になったことを私は知る。おそらく東大駒場キャンパスが使えないということで、急遽思いついたのだと思う。集合は13時だったが、終了予定時間は16時過ぎと伝えられた。当初予定されていた目黒区駒場住区センターでの公演は14時開演で2時間ほどで終了と予告されていたはずなので、大分延長されたことになる。

 目黒区が設置した地図の横に業者による付近の住宅地図があった。この住宅街路地図を指さして、高野さんは「ああ、この地図も今日は関係あるんですよ。こんなきれいで立派なものではないんですけどね」と言った。何のことかわからないが、とにかく高野さんについて歩く。

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 おそらく区が設置した「目黒区みどりの散歩道●駒場コース」にも記されているが、駒場にはかつて京王井の頭線の南側、こまばアゴラ劇場のあるあたりに空川という小川が流れていた。駒場の空川はごく一部だけが地表にさらされているが、そのほとんどは現在では暗渠になっていて地上からは見えない。まず向かったのはこまばアゴラ劇場とは反対方向にある駒場野公園だ。竜さん曰く、おそらくこの公園にある池が空川の水源だと言う。アゴラ劇場には何十回も通っているが、この駒場野公園には行ったことがなかった。かなり広大な公園で、公園内にはケルネル田圃という田圃もあった。

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 水源と目される池の水はよどんでいてあまりきれいではなかった。ここから駒場地区の暗渠をたどっていく。駒場東大駅から駒場アゴラ劇場へ向かう道は不自然でゆるやかな湾曲があり、劇場の裏手は高台になっているが、かつては劇場のある道筋には川が流れていて、裏手の高台は川の土手だったようだ。このあたりは暗渠マニアにはよくしられた一帯のようだが、竜さんの解説付きで歩き回ってみると、なるほど住宅のあいだに奇妙な路地や細長い空き地があり、その下に今も空川が流れていることがわかる。

 

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 この暗渠をたどる散歩はなかなか楽しいものだった。住んでいる人たちに「ここは昔、川がながれていたんですよ? ごぞんじでしたか?」と聞いて回りたい気分になる。途中、シュークリーム屋で買い食いする。シュークリームを最初買おうとしたのだが、食べ歩きが難しいということだったので、食べ歩きしやすいシューアイスをかった。値段が450円とけっこう高い。

 

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撮影ぼのぼのさん

 暗渠をたどる散歩は楽しかったのだが、山手通りにぶつかったところでその先から暗渠をたどるのが難しくなった。雨も強くなってきたし、今日は暗渠巡りだけで終わるのかなと思ったのだが、やはり朗読は予定通りやるという。しかし野外会場としてもくろんでいた東大駒場キャンパスが使えなくなって、その次の候補地というのは決めていなかったようだ。一時間半ほど小雨のなかを歩き、いい加減歩き疲れたところで目黒区立菅刈公園に着く。公園内の利用スペースは新型コロナのためか制限されていた。雨模様ということで公園内に人はほとんどいない。この公園はかつての大名庭園で、明治期には西郷従道(じゅうどう)の邸宅があったとのこと。二組の男性若者ペアがいて漫才かコントのネタ合わせっぽいことをやっていた。しばらく公園内をあてもなくぶらぶらしていたが、結局ここで朗読公園を行うことになった。

 最初は青木祥子による井伏鱒二「夜ふけと梅の花」の朗読だった。朗読時間は40分ほどだっただろうか。登場人物は語り手の「私」と村山十吉である。

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 ディテイルのある悪夢のような奇妙な味わいの話だった。ある日の夜、私は血だらけの男に呼び止められる。その男が村山十吉だ。村山は消防団の人間数名に殴られたと言う。そして裁判を行うのでその証人になってくれと私に頼み、5円札を無理矢理握らせた。その日は村山と別れ、その5円札を村山に返却しようと彼が働いている質屋に行くのだが、村山には会えない。しかしその返せない5円札の強迫観念によって私はそれから常に村山に追いかけられているような気分にになり悲鳴を上げる。

 青木は公園内の大木を中心に動き回り、役柄を演じながらダイナミックにテクストを演じた。時折、かなり大きな声を上げたりもする。井伏鱒二らしいひょうひょうとしたユーモアも感じられる怪奇心理小説の掌編。小説の舞台は早稲田鶴巻町や弁天町で、早稲田大学周辺の私のホームグラウンドのようなところだ。弁天町には住んでいたこともある。また機会があれば小説の舞台となった場所でこの朗読劇を楽しみたいように思った。

 青木は平原演劇祭の常連のひとりだが、もがきながらいろいろ工夫をしてずっとやってきて、その不器用さゆえに表現に味わいのあるうまい俳優になったという感じがした。今日は赤い線の入った帽子がよく似合っていた。

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 後半は高野竜による田宮虎彦「黄山瀬」の朗読だった。「きやまぜというタイトルですが、黄色い山、そして川の瀬と書きます」というタイトルの説明から始まった。高野竜も公園を大きく移動しながら読み上げた。暗記は苦手そうな高野さんが、この小説の冒頭部は暗唱していたので「おっ」と思う。田宮虎彦(1911-1988)は死後、急速に忘れられた作家になり、その著作の大半は絶版になっている。「黄山瀬」の主人公道一郎は、かつてはエリートサラリーマンだったが、二度の結婚の失敗と過酷で悲惨な従軍体験、そしてあやしげな投資によって零落してしまっている。失意と自暴自棄のなか、道路標識社の集金係をやっていたときに、飲み屋で出会った素性のわからない幸薄そうな女性、きいのと出会い、彼女との共同生活のなかで道一郎は生の充実を少しずつとりもどしていく。しかし彼が幸福と安定に到達しようとしたそのときにきいのは交通事故で死んでしまう。彼はきいのの死後、彼女と行くはずだった東北の山奥の温泉地にひとりで出かける。そこで彼が目にしたのは山肌の一面が黄色の花でおおわれた黄山瀬の壮麗な景観だった。そこはおそらくきいのが生まれ育った場所だった。

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 これは非常に面白い小説だった。二度結婚したものの、その両方の妻とまともに心の交流ができない道一郎の哀れさ、彼が味わう殺伐とした思いのリアリティは身につまされたし、傷つき、茫然と生きていた彼がきいのとの出会いによってその生を回復していく過程の描写にも引き込まれる。そして最後の場面の圧倒的な情景描写。

 高野さんの朗読は訥々としたものだ。今回は途中もうろうとしているような感じもあってひやひやしたが(高野さんは公演当日はいちもギリギリの状態なので)、しかし高野さんの誠実で丁寧な朗読には引き込まれずにはいられない。途中かなり雨が強くなったのだが、高野さんは雨にぬれながらおそらく一時間弱にわたって朗読を行った。

 「黄山瀬」の朗読が終わった後、竜さんに「黄山瀬って東北に本当にあるんですよね?」と聞くと、「いや、多分実在はしないと思います。田宮虎彦というのは肝心のところで「嘘」をつく作家なんで」と竜さんは笑って答えた。

 今回は、もともとやるはずだった目黒区駒場住区センターが利用できなくなったのでやむを得ず野外公演となり、その会場も行き当たりばったりだったのだが、たった観客三人でこんな贅沢な時間を持つことができたのはとても幸運だったと思っている。野外の朗読公演というのも悪くないなと思った。

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 田宮虎彦の作品の余韻は深かったが、この朗読会、演劇前夜の締めくくりは高野氏による短編、現実十夜第二話「出現!自販機あしながおじさん」だった。これは10分ほどのコントのような話だ。《夢十夜》に対する《現実十夜》であり、これは高野氏がごく最近に経験した実際の出来事の話である。内容はさしさわりがあるので詳述できないが、タイトルのとおり「自販機あしながおじさん」の話だ。しかしこのタイトルからは想像もできないほど奇妙な事件の報告だった。高野氏が不労所得云々とツィッターでつぶやいていたのだが、その不労所得にも関わる話だった。この話には爆笑した。現実だけれど、現実離れした話。高野氏が話すとあらゆる現実が詩になってしまう。

 終了は午後四時半だった。予告より30分ほど長くなった。午後1時開始なので三時間半、時折雨が降る中、三時間半野外で歩き通し(いや途中青木の朗読中は地べたにすわったこともあったが)の肉体的にはちょっときつい公演だったが、たった三人でこの演劇の時間を味わえたことの贅沢さにおおいに満足する。 

 

2021/04/26 虹企画/ぐるうぷ・しゅら96回公演『地獄のオルフェウス』

 
 
 
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  • 作:テネシィ・ウィリアムズ
  • 訳:鳴海四郎
  • 演出:三條三輪
  • 照明:黒柳安弘
  • 装置・音響:菰岡喜一郎
  • 衣裳:サヨコ中山、今川ひろみ
  • 小道具:るいざ・もりな
  • 劇場:雑遊
  • 上演時間:2時間半

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  昨年11月に板橋演劇センターによる『終わりよければすべてよし』を見たとき、特に気になった俳優がふたりいた。ひとりはヒロインのヘレナを演じた朱魅、もう一人はヘレナの後見人の伯爵夫人役を演じた三條三輪である。

otium.hateblo.jp

 元ストリッパーの朱魅は、ストリップ引退後は様々なユニークな趣向のエロチックなパフォーマンスを行いつつ、俳優としての活動している。三條三輪は、日本の新劇運動の祖であり、左翼プロレタリア演劇の指導者であった土方与志(1898-1959)に演技指導を受けたという。土方が死んだのは今から62年前だ。インターネットで検索してみると、2019年3月に、三條三輪はテアトロ演劇賞功労賞を104歳で受賞したとあった。ということは今は106歳ということになる。

 さすがに本人は年齢のことばかり言われるのは仕方ないとは思いつつもうんざりしていると思う。板橋演劇センター『終わりよければすべてよし』の当日パンフでは自らを「長生きの化け物」と称していた。それはわかっていてもなおこの年齢で現役の演出家・俳優であるという事実には(そして現役の医師でもある)驚嘆せずにはいられない。

 twitterの朱魅のアカウントで(@cook_black)で、この『地獄のオルフェウス』に朱魅が出演すること、そしてその演出が三條三輪ということを知って、これは何としても見に行かねばならないと思った。

 新型コロナ感染者急増で蔓延防止法が発令され、公演終了時刻が午後8時までになるよう調整する公演が多いなか、この公演の開演時間は通常どおりの午後7時だった。観客は中高齢の男性の割合が多いように見えた。劇場内は満席でおそらく80名ぐらいの観客がいた。

 テネシィ・ウィリアムズの『地獄のオルフェウス』(1957)は長大な戯曲で、すべてを上演しようとすれば4-5時間はかかるという。今回の上演は休憩10分を入れて、上演時間は2時間半だった。当日パンフを見て驚いたのは、三條三輪は演出だけだと思っていたら、出演もすることになっていたからだ。しかもこの劇の主役の一人、レディー・トーランスが彼女に振られた役だ。出演者は全部で14名で、登場人物に設定された年齢とあまり差がない年代の俳優が5名ほど、このほかの俳優はかなり高齢に見えた。この戯曲のもう一人の主役であるヴァルを演じたのは、三條三輪とともにこのカンパニーを取り仕切る跡見梵で、彼もみた感じかなりの老齢だ。

 『地獄のオルフェウス』は、アメリカ南部の町の保守的な白人優位社会における陰惨な差別と暴力を、ギリシア神話のオルフェウス伝説になぞらえて描いた悲劇だ。ギターを抱えてこの町にやってきた流れ者のヴァルは、竪琴を奏で、その音色によって周りの人間を魅了するオルフェウスであるが、彼もギリシア神話のオルフェウスのように、最後にはこの南部の地獄で斬殺されてしまう。ヴァルに地獄から抜け出る希望を見出し、彼とともに脱出を図ろうとしたレディーはエウリディケということになる。

 当日パンフの文章で三條三輪は、今の若い世代には古くさいと言われるけれど、テネシィ・ウィリアムズの台詞に込められた人間の心理の精妙さは、「新劇」的な手法で表現されなければならないと書く。そしてその演出にあたっては、作者の詳細なト書きをできる限り尊重することを心掛けたに違いない。

 しかし舞台で表現されたものは、いわゆる新劇的リアリズムを超越した表現主義的とも言えるようなデフォルメが加えられた、濃厚なバロック的世界だった。登場人物の情念と俳優と演出家の思いが暴走して、ドロドロに溶け、まじりあったような強烈な舞台だった。熟成が極端に進行し、独特の芳香を放つチーズのような新劇というか。

 冒頭の場面から衝撃を受ける。まず衣裳とメイクが作り出すビジュアルのファンタジーが強烈だ。金髪のかつらと白塗り、そして蛍光色を思わせるような派手な色合いのドレス。俳優の丁寧に言葉を伝えようとする姿勢は伝わってくる。そして言葉の内容はさらに説明的な動作と表情によって冗語的に強化される。
 舞台上で咆哮するインディアンのまじない師の黒人のヴィジュアルもすごかった。極端な記号的メイクとアルレッキーノのようなカラフルな服装の彼が舞台に入ってくると、舞台空間が切り裂かれるようなインパクトがあった。町のボスでレディの夫のジェイブ、保安官など、あらゆる登場人物が記号的人物像を突き抜けるような過剰な存在感を持っている。

 その風貌と歌声で周囲のあらゆる女性を燃やしてしまう男、ヴァルの人物造形もここでしか見られないものだろう。ヴァルを演じる跡見梵はかなりの高齢だと思うのだが、この放浪者を演じるにふさわしい色男の雰囲気は持っている。肝心の歌も達者だ。この歌が下手だとヴァルの存在に説得力がなくなってしまう。しかし彼をヴァルにとどめていた演劇の魔法が、休憩後の後半には切れしまった。台詞が出てこなくなってしまったのだ。台詞が出なくなると、途端にヴァルは自信を喪失し、その魂は体から抜け出てしまい素に戻る。ヴァルの存在を引き受けるより次の台詞を探すほうにばかり意識が向かっていることが観客に伝わってしまった。高齢になってくると台詞が入りにくくなるのはどうしようもないことだが、たびたびの台詞落ちで芝居のリズムが途切れてしまったのは残念だった。

 一方、演出にして主演の三條三輪は、移動の際の足の動きこそおぼつかないところはあり、特に階段を上り下りするときには見ていてひやひやしたが、台詞はほぼ完ぺきに入っていて、その口舌も明瞭だった。劇中でのレディーの年齢設定は40歳代半ばだろうか。彼女は流れ者のヴァルと恋愛関係となり、彼の子供を宿す。舞台上でのキスシーンもあった。60歳以上の年齢差の人間を三條三輪が演じていること自体に感動していまう。三條三輪は役柄を通じ、時間を超えて、今をその者として生きている。とにかく三條は生きている限り、演じずにはおられないのだろうし、人前で演じている自分をさらけ出す時間にこそ、彼女は彼女にしか味わうことのできない特権的な生の充実を獲得しているのだ。そして舞台上で演じる彼女の姿がどれほど神々しい輝きを放っていることか。これはもう奇跡の現場に立ち会っているようなものなのだ。

 
 
 
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 終演後、楽屋に三條三輪を訪ね、一緒に写真を撮って貰った。

 

 

2021/04/11 劇団サム『覚えてないで』(標準語版)@練馬区立生涯学習センター

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 練馬区立石神井東中学演劇部を母胎に、演劇部元顧問の田代卓氏と同校演劇部OBOGによって結成された劇団サムの旗揚げ公演は2017年の夏だった。第6回公演が2020年7月に予定されていたのだが、新型コロナの流行で公演が中止になってしまった。新型コロナの不安のなか、2021年1月9日、10日に倉本聡作『ノクターン─夜想曲』と柴幸男作『あゆみ』の二本立てを第6回の公演として準備を進めていたが、1月8日に二回目の緊急事態宣言が実施され、この公演も中止を余儀なくされた。新型コロナ流行による2回の公演中止の状況について、劇団サム主宰の田代卓は今回劇団サムは結成6年目を迎え、結成時のメンバーの過半数が社会人となった。思春期後期から大学、就職という生活環境や人間関係が激変する時期を経ているにもかかわらず、中学演劇部のメンバーが中学卒業後も演劇部部活の延長として公演を続けているのは希有のことだと言えるだろう。今回の公演には幻となった第6回公演で配布されるはずだった当日パンフも配布されていた。この公演実現のために頑張ってきた若い団員たち、そして主宰の田代卓の思いがA3二つ折りのコート紙に印刷された文章から伝わってきて、切ない気持ちになる。
 今回は第6回公演ではなく、特別公演と銘打たれていた。練馬区立生涯センターが劇団サムの公演会場だが、今回は新型コロナ感染予防対策で一席空けの座席配置で、やはり感染不安のためか、観客は50名ほどでいつもより少なかったように思う*1
1月の公演中止から三ヶ月の短い期間に、新型コロナ流行下の制限のなかで準備された公演だ。公演予告とチラシに記されていたのは南陽子作『覚えてないで』だが、このメイン演目の前にオムニバスのコント集、柏木陽作『椅子に座る人々の話』も上演された。
 『椅子に座る人々の話』は、舞台装置としてパイプ椅子だけを使った5分ほどの長さのコントが5本続けて上演される。登場人物の数は二人から九人まで、状況や場面はコントごとに違うが、いずれのコントも新型コロナウイルス以降の状況を反映していて出演者はマスク装着で芝居を行う(最後の学校コントのみ、マウスシールドを使用していた)。たわいのないナンセンスなコント集だが、軽快なテンポとリズムで退屈することなく見ることができた。

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 今回の特別公演の本編となる『覚えてないで』(標準語版)は、中学演劇のために書かれた女子学生三人が登場人物の作品だ。石神井中学校演劇部の部員によってかつて上演されたことがあるそうだ*2

「標準語版」となっているのは、オリジナルの脚本は大阪弁で書かれているからだ。作者の許諾を得たうえで、大阪弁の台詞を標準語に書き換えて上演している。タイトルの「覚えてないで」は、大阪弁のニュアンスで理解されるべきものだ。演劇部で仲良しの桜と桃は、どちらかが「覚えてる?」と問うと、「覚えてないで」と答える掛け合いを行うのが常だった。今回、桜と桃を演じた二人は、かつて石神井中学校演劇部でこの作品を上演したときにこの役柄を演じた二人だった。新型コロナ感染の不安のなかで、大人数が集まって稽古を行うことが難しい状況だったということもあり、今回はキャストが三人だけのこの作品を劇団サムの通常公演ではなく、特別公演として上演することにしたと、当日配布された公演紹介に記されていた。

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劇団サム主宰 田代卓氏



 この二人は中学生だったときに演じた演目を同じ役柄で、二十歳を過ぎてまた演じることになる。中学時代に彼女たち演じたときは中学生の設定だったはずだが、今回の上演では二人の年代は高校生に設定されていた。
 舞台美術は下手に花壇、中央にベンチ、ベンチの後ろには街灯がある。背景はホリゾント幕だけだ。ミニマルな舞台美術だが、街灯が見事な劇的効果をもたらしていた。演劇部で同級生の桜と桃による仲良しの女の子のいかにも女子高生らしい茶番じみた日常のやりとり、そして彼女たちの後輩の華が二人に絡む。中学卒業後、さまざまな経験を経て成長しているはずの三人の役柄への理解は、中学時代にこの作品を演じたときより深くなっているはずだし、今回の公演では三人が丁寧に自分たちの役柄を引き受けて演じようとする気持ちが伝わってきた。

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 仲良しの女子高生の楽しい日常は、不慮の事態によって急変する。その急変を彼女たちはどう受け止めていいのかわからない。50分ほどの上演時間の演劇だが、最後の10分間は涙があふれて止まらなかった。
 日常のなかのことばのやりとりには常にどこか芝居がかった嘘くささが漂うものだ。私たちは現実の世界でもいつもなにか演技をしながら、生きている。そして女子高生の言葉のやりとりの明朗さには、とりわけ茶番じみたものが感じられる。しかし私は『覚えてないで』という中学演劇のために書かれた芝居を見て、人は嘘を通してしか本当の気持ちを伝えることができないことを知った。本当の気持ちは言葉にできない。私たちはかりそめの言葉を重ねることで、本当のことを伝えようとしている。
 中学演劇の俳優たちの芝居は幼くて、未熟で、稚拙ではあるけれど、それでも彼らの年代だからこそ説得力を持ちうる表現と内容がある。そしてかつて自分が中学生の頃に演じた中学演劇のために書かれた作品を、20歳を過ぎて再び演じる彼女たちだからこそ持ち得た表現と感情を今回の公演で感じ取ることができた。
 劇団サムは中学演劇のエートスをひきついだまま、高校生、大学生、社会人になった人たちが上演を続ける演劇団体だ。中学演劇は彼らにとってノスタルジックなユートピアのようなものなのだろう。田代卓はそして今も「先生」の役割を引き受けている。劇団サムの公演を見て感動的なのは、出演者のすがたに(そして裏方のスタッフも)演劇によって自己表現することの切実な欲求と喜びを、舞台から感じ取ることができることだ。

*1:昼間の公演の回には、石神井東中学校演劇部の現役の部員など100名ほどの観客が入っていたとのことです。

*2:筆者の誤解があって訂正しました。この作品で中学演劇の関東大会金賞を取ったのは、演劇部が三名しかいなかった貫井中演劇部でした。ただしこのとき教員を退職していた田代氏が貫井中演劇部のコーチをしていたそうです。その後、この作品を北海道大会で上演という話があって、そのときは貫井中演劇部でこの作品を演じていた三人は卒業していなくなっていたので、石神井東中演劇部が上演することになったということでした。

2021/03/27 第47回赤門塾演劇祭

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 毎年三月最終週の週末に行われる赤門塾演劇祭だが、昨年は新型コロナのため、子供の部のみ、観客なしで行われた。私は昨年はフランスが最初の全国的ロックダウンを行う直前の3月15日にフランスから日本に帰国したばかりで、昨年の赤門塾演劇祭に立ち会うことはできなかった。昨年の大人の部では『どん底』の上演が行われる予定で稽古が進められていたが、これは公演中止となった。『どん底』は昨年末に部分的に仲間内で上演は行ったらしい。

毎月一回、赤門塾創始者の長谷川宏さんが行っている読書会に私は2018年5月から参加していて、これは私の日常のなかではきわめて優先度の高い楽しいイベントだったのだけれど、これも新型コロナのため、昨年1月以降、私は参加していない。聞けば読書会自体は新型コロナ禍のなかも継続的に行われていたとのこと。私は昨年四月に長谷川さんと電話で話したのだが、長谷川さん自身は後期高齢者であるにも関わらず、新型コロナ感染についてはさして不安を持っていないような感じだった。

しかし私は三月にフランスから帰国したばかりであったし、四月以降は大学の授業がすべてオンライン化され、新型コロナについてかなり緊迫した雰囲気があったため、長谷川読書会への参加は見合わせていた。

昨年11月に赤門塾開設50周年の祝賀会が所沢であり、私はその会場で久しぶりに長谷川宏さんと会って、赤門塾の近況などについて話を聞いた。恒例の夏合宿も行われ、長谷川さんも参加したとのことだった。

3月に入って長谷川さんに電話をして、赤門塾演劇祭が今年行われるかどうか尋ねた。すると今年は子供の部も大人の部も行うと言う。ただし感染対策のため、人数限定、事前予約制とのこと。残念ながら子供の部はすでに満員で見ることができなかった。28日土曜17時からの大人の部ならまだ大丈夫とのことで予約した。

 

赤門塾の最寄り駅である武蔵野線新秋津駅に降りたのは昨年の一月以来である。読書会で月一回、赤門塾に通ったのは私は二年間ほどだが、それでも懐かしい母校に戻ってきたような気分になった。昨年11月にあった50周年祝賀会では、歴代の赤門塾OB・OGが集結した同窓会的雰囲気だったが、彼らにとってこの小さな学習塾が他のどんな場所よりかけがえのない居場所、ふるさとのようなところであることがなんとなくわかるようになった気がする。赤門塾は学校でも家庭でも職場でもない、自由な場所、解放区、アジールなのだ。

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演劇祭のときは塾の教室入り口が、仮設の入退場口でおおわれるのだけれど、今回は空気の流れを考慮してだろう、教室出入り口はむき出しになっていた。例年なら、客席に櫓を組んで二階建てとし、観客は70名ほどがぎゅうぎゅうに詰め込まれるのだけれど、今年はすべて椅子席で、間隔を空けているので15名ほどしか入れない。早めに電話して予約しておいてよかった。ぎゅうぎゅう詰め客席の熱気のなかで見るのが演劇祭っぽいのだが、デブ中年の私には観劇環境としてはかなりつらいものがあったので、すき間の多い空間の寂しさはあったものの快適な椅子席観劇は、正直ちょっとありがたかった。

例年、赤門塾演劇祭の大人の部は十数名の出演者による群像劇が多かったのだが、今年は新型コロナ対策で密集を避けなくてはならないということで、多人数芝居はできない。今年の演目は赤門塾演劇祭としては異色の二人芝居、井上ひさし『父と暮らせば』だった。この選択は意外だった。井上ひさしの芝居の上演も赤門塾でははじめてだろう。

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『父と暮らせば』は、辻萬長と栗田桃子によるこまつ座の舞台や黒木和雄監督による宮沢りえと原田芳雄出演の映画を私は見ている。他のキャストの舞台も見たことがあるような気がする。古典戯曲を読む会@東京でも取り上げたことがある。

新型コロナ禍のものとでの演劇祭ということで、例年より小規模の公演だったが舞台セットはしっかり作り上げていた。こういうこだわりが赤門塾演劇祭っぽく思える。素人の俳優と制作、演出による手作りの演劇祭で、見に来る観客も出演者の「身内」に近いひとばかりなのだけれど、その取り組みぶりは実に真剣で、仲間内のなあなあのいい加減さがないのだ。

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公演会場はふだんは塾の教室だ。しかし演劇祭が近づくと教室の椅子と机は撤去され、赤門塾に隣接する長谷川家の三階にある倉庫に運ばれる。そして入れ替わりに倉庫から、教室を劇場化するためのさまざまな機材が下ろされる。塾の照明は通常は吊り下げられた蛍光灯だが、それもとりはずされ、舞台用の照明が設置される。三日間の演劇祭のための会場作りだけでも、これを自分たちの手でやるのだから、大変な手間なのだ。

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赤門塾の創設者、長谷川宏氏。現在は次男の長谷川優氏が塾の運営の責任者となっている。

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現赤門塾塾長の長谷川優氏。赤門塾演劇祭の作品選定、キャスティング、演出も彼が行う。

休憩なしで、ほぼ1時間半のフルサイズの上演だった。90分を二人の登場人物で担うのだから台詞の量は相当なものだ。舞台は広島なので台詞は広島弁になる。出演したのは赤門塾演劇祭のメンバーのなかでもとりわけ高い演技力と熱意を持つ二人に違いない。父親の竹造役は社会人が、娘の美津江役は大学生が演じた。台詞はふたりともしっかり入っていて、その口調ややりとりの間、動きの一つ一つに丁寧な演出がつけられていることが伝わってくる舞台だった。

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俳優二人とも、素人芝居らしからぬ密度の高い熱演ではあったが父親の竹造役の俳優は、社会人とはいえその若さゆえに、竹造が持つ父親としての重みが乏しい。これはどうしもようもないことなのだが。一方、娘の美津江役の俳優は年齢的にもぴったりはまっていて、そのふるまいは様になっていた。彼女はこれまでの赤門塾演劇祭でも見たことがあったのだが、これまでの出演舞台でも非常に印象的なうまい女優だった。今回は美津江という大役を堂々と引き受け、水を得た魚のようというか。持てる想像力を駆使して、見事に美津江を具現していた。映画版の宮沢りえよりもはるかに美津江らしく私には思えた。

『父と暮らせば』はこれまで高い演技力を持つ俳優と堅実な演出家による優れた舞台と映画を見ていたのだが、もたらされる感動は今回の赤門塾演劇祭の上演は私が過去に見た『父と暮らせば』に比べても遜色はない。むしろ無名の俳優によって、このような小さな空間で見るほうがより味わいが深く、胸に迫るものがある。井上ひさしの戯曲のこれみがしの技巧性を覆い隠してしまうような素朴で真摯な舞台だった。

 

長谷川優さんの演出からはいつも原作をじっくり丁寧に読み込んだことが伝わってくる。演出の重点は戯曲の良さを引き出こと、そしてその戯曲の人物を引き受けることを通して、役を演じる俳優の潜在的な魅力を引き出すことに置かれているように思える。戯曲や俳優が演出家の自己顕示のための道具になっていないところが素晴らしい。
赤門塾演劇祭における演劇上演は教育的な意図が意識されているわけではないし、作り手と観客が演劇そのものを楽しんでいることが伝わってくるものであるが、優さんの演出には、演じるという経験によって変化していく人のすがたを見守る教育者の視点があるように思う。

例年なら演劇祭のあとは、劇場となった会場を一時間ほどの短い時間で一気に片付け、テーブルが並ぶ宴会場とし、美味しい食事を楽しみながら演劇祭を振り返る歓談の時間がとなる。人がこうしたイベントで集い、食事と歓談を楽しむというのは、赤門塾の活動の根幹なのだけれど、新型コロナの流行はこの根幹となる活動を妨げてしまった。

一言だけ感想を伝えただけで、バラバラに退場していく寂しい終わり方になってしまった。

2021/03/07 平原演劇祭2021やりなおし第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」

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note.com

本来なら平原演劇祭2021第1部は1/24(日)に行われるはずだった。ところが1/24は雨降りだったため、前日夜に公演延期となった。これは幸いだった。野外演劇で、ゲリラ的にとある場所に穴を掘ってそこに俳優が埋まったまま演技をする「埋設演劇」である。3/7にこの埋没演劇に参加してみて、延期になってよかったなあと心から思った。あの寒さで雨がしとしと降るなか、こんな芝居をやっていたら、それはその過酷さゆえに忘れがたいものになっていたかもしれないが、出演者か観客に体調を崩す者が出たに違いない。

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公演は3部構成になっていて、第1部は本編の前説となる散歩演劇、第2部が埋設俳優たちによる「姥ヶ谷落とし」の上演、そして第3部が後説散歩演劇である。本で言えば序文+本文+後書き、食事で言えば前菜+メイン+デザートのフルコースだ。平原演劇祭では複数の作品の部分がコラージュされて再構成された状態で出てくることが多い。一つの作品をきっちり味わう今回のような上演スタイルは珍しいように思う。

「姥ヶ谷落とし」は高野竜の埼玉地誌演劇(高野竜によると戯曲連載「風土と存在」第四十九番目の試み)の一つで、これまで何回か上演されている。私はこの作品の上演を見るのはおそらく三回目だと思うが、いずれも上演場所と演出は異なるものだった。

戯曲はここで公開されている。

mixi.jp

 

今回の三回目(おそらく)の観劇でようやく私はこの戯曲の面白さを理解できたような気がする。演出は今回が最もトリッキーでスリリングだった。

集合時間は正午、集合場所は平原演劇祭の「本拠地」である東武動物公園駅より一つさきにある東武伊勢崎線和戸駅。はじめて降りる駅だ。

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東武動物公園駅は近くに大型遊園地があるため、乗降客もそれなりに多い大きな駅だが、和戸駅は本当にがらんとしていて駅舎もこじんまりしているし、周囲にコンビニさえ見当たらない。観客数は4、5名ではないかと高野氏がツィッターでつぶやいていたが、12、3名いた。

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高野竜氏が開演の挨拶をしたあと、彼は「本編」の準備があるからとその場を立ち去る。黒装束のニンジャのような女性が前説散歩演劇のガイド役として十数名の観客を先導した。

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散歩演劇は一時間以上あった。和戸駅改札を出て左側に曲がりしばらく歩くと備前堀川という小川に突き当たる。この付近の川は護岸工事がされていなくて、両脇は土手だ。この備前堀川の向こう側は宮代台という特徴らしい特徴のない少々古びた感じの一戸建て住宅地なのだが、その宮代台に向かって備前堀川から水路が伸びている。この水路の名前が「姥ヶ谷落とし」らしい。住宅街に伸びる水路は現在ではその多くが暗渠になっている。

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宮代台を流れる「姥ヶ谷落とし」沿いを歩くのが前説お散歩演劇のコースだった。

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上の写真は水路にかかる橋の橋桁。「うばがやおとし」と書いてある。「落とし」とは「排水路」のことらしい。ガイド役の女優はあまり話さない。ポイントポイントでぼそぼそっと雑談するように説明が入るのだけど。そしてかなりの早足でたったかったか歩くので、運動不足で肥満の息が切れて、私はついて行くのがかなり大変だった。

「おいおい、もっと周り見てゆっくり歩いてくれよ」と心のなかでブツブツ言って追いかける。

一時間以上、5-6キロは歩いたと思う。黒マスクで黒髪長髪、そして和装というニンジャっぽいファッションだったので気づかなかったのだが、ガイド役女優は平原演劇祭常連の夏水だった。そう、この人、足がやたら達者なのだ。昨年4月の堤政橋下演劇で河原のかなり険しい道なき道をとっとこ歩いて、観客を先導したのも彼女だった。観客は振り落とされないようについていく。

水路「姥ヶ谷落とし」は一部暗渠になりながら、宮代台をぐるりと囲むように流れている。そして最後は元の備前堀川の出発点に戻っていく。水路の傾斜は弱く、水は淀んだかんじだ。

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水路の終着点で「いったいなんのためにこんな水路の設計にしたんでしょうね?」とガイドの夏水に聞いてみたら「さあ、なんででしょうね」という返事で、すっと離れて向こうに行ってしまう。夏水はつれない美女なのだ。

宮代台住宅を区切る「姥ヶ谷落とし」の向こう側には広大な農地が広がっていた。

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「姥ヶ谷落とし」沿いに歩いて、宮代台をぐるっと一周したあとはこの農地のなかのあぜ道を進んだ。

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天気もよくハイキング日和ではあったが、風光明媚でもなんでもないこんな殺風景な場所を十数人の集団がぞろぞろ歩くというのは、知らない人が見るとかなり異様な光景だろう。暗渠探索というのはかなり物好きな趣味だと思うが、愛好家はかなり多いらしい。しかし暗渠マニアといえど埼玉の外れまでこんな感じで集団でやってきて歩き回ったりすることはないだろうし、いわんやこんな場所で演劇公演が行われるなんてことは、一般の人にはまず思い浮かばないはずだ。

畑の向こう側には、備前堀川同様、旧利根川本流の大落古利根川から分かれる支流が流れている。この支流は先ほどググって調べてみると備前前堀川という名前らしい。備前前堀川は、備前堀川とほぼ平行に流れている。

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この支流沿いにある愛宕神社という何を祀っているのかわからない小さな神社に寄ったのち、清掃工場の向かいにある万年堰に到着。「姥ヶ谷落とし」の開演時間まで時間があるので、ここでしばらく時間を潰すことになった。

「おいおい、それだったらもっと手加減してゆっくり歩いてほしかったよ」と心の中で呪う。私は快速遠足一時間20分でこの時点でかなり疲労困憊していたのだった。

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「姥ヶ谷落とし」の公演会場は、この万年堰から歩いて5分ほどのところ、農地の一部が高台になっている場所だった。この場所は関係者以外立ち入り禁止になっていたのだけれど、夏水はそんなことは気にせず鉄パイプの柵をくぐって平然と奥に進んでいくので、それについてった。柵をくぐったときには「おいおい、これはやばいよ」と思ったけれど。柵をくぐって、雑草生い茂る荒れ地を歩いていると、かなたの高台の上で豚のかぶりものをかぶった人間が槍を振りかざしているのが見えた。

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『ジョジョ』のキャラクターのアヌビス神らしい。平原演劇祭ではジョジョ劇はしばしば取り上げられるので、平原演劇祭観客としては『ジョジョ』は教養として読んでおくべきマンガなのだが、私はこのシリーズのごく一部しか読んでいないため、アヌビス神がわからなかった。豚のかぶり物をしているな謎のキャラクターが、よくわからないことをグダグダと言いながら、動き回っているという認識だった。アヌビス神を演じたのは「ハマチのサヤ」氏だった。彼の出演は予告されたキャストにはない。突然決まったのだろうか。その割にはきっちり準備して演じている感じだったが。

アヌビス神はこの荒れた高台を上演のための結界として守る守護神のような存在だったと思う。高台を上った観客が見たのは次の光景でアル。

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地面に埋まる生首三体。

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このビジュアルは強烈なインパクトだった。これを見られただけでもここまでやってきた(そして散々歩き回った)価値があったというものだ。ベケットの『幸せな日々』では俳優が首まで埋まる。しかし劇場の舞台の上のセットで首から埋まっているのと、実際に本物の地面、荒野で人間の首が転がっているのでは、見た目のインパクトの強さが全然違う。こんな風景はまさにここで、平原演劇祭でしか見ることができない。

「姥ヶ谷落とし」の本編は首まで埋まった三人の俳優によって演じられた。三人が語るのは、このあたりの治水の歴史の物語だ。散文的で殺風景な住宅地と農地でしかないこの一帯の川をめぐる物語が、なんと豊かで美しいことか。埋設俳優の三人のことばによって、周囲の風景がいままで見ていたものとは違う異世界に変貌していく。鳥のさえずり、風の音、近くの道路を走る車の音、たまたま通りかかった火の用心を呼びかける消防車のサイレン。こうした背景の音が、風景と台詞と一体化し、非現実的な演劇の時空を作り出していく。

首まで埋まったアンジーが語る台詞の詩情にしびれるような感動を味わった。

「ずっと同じ絵を描き続けるためには、どんな風に、ずっと同じ人間でいればいいのだろう。同じ人間で居つづけると、何が見えてくるというんだろう。」

「姥ヶ谷落とし」の本編の上演中、アヌビス神はじっと動かず、黙ったまま、三人を見守っていた。この神の存在感も素晴らしかった。

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ハプニングがあった。「姥ヶ谷落とし」のエンディングでは、アンジーが演じる「マキ」が「すいすいす」という文句を繰り返す民謡風の歌を延々と30分近く歌い続けるのだが、その歌っている途中に闖入者が現れたのだ。

「ここは立ち入り禁止ですよ」

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この場所の管理者で、役場の人だとあとで高野氏に聞いた。不審な人間が立ち入って、集会をしているということで通報があったのだろうか。やってきたのは二人だった。丘に登ってみたら、豚のかぶりものと3人の生首が地面にあり、そしてそれを十数人の集団が取り囲んでいたのだから、やってきた役場の人たちもさぞかしぎょっとしただろう。仕事だから注意にしにきたわけだが、かなり怖かったのではないだろうか。

「責任者は?」と聞かれた気がしたので、高野竜さんのほうを指さした。役場の人たちが高野さんになにか注意しているあいだも、芝居は続く。俳優たちは動じる様子はまったくない。

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結局、役場の人(二人来たが、一人は高野さんになにか注意したあと、立ち去った)が見守るなか、「姥ヶ谷落とし」は最後まで上演された。役場の人も、この集団の異様さ、不気味さに無理矢理中止させるのはためらったのだろう。

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俳優が埋設されていた穴の始末とかが気になったが、終演後は速やかにその場から立ち去ることになった。高野竜氏だけがその場に残り、管理者である役場の人と話しをしている。

「どうなるんだろう、不法侵入で警察に連れて行かれるのだろうか」とちょっと心配して、200メートルほど離れた場所で出演俳優、感観客は待っていたが、高野さんはこちらに来ない。

もとの場所に見にいくと、高野氏も役場の人もいなかった。とりあえずぞろぞろと農地のなかのあぜ道を歩き、出発点の和戸駅方面に戻ることにした。

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あぜ道を出て、宮代台の住宅地に出たところで、高野竜氏は私たちを待っていた。警察に連れて行かれることもなく、そのまま解放されたとのこと。

かなり疲労していて、トイレにも行きたかったのだが、予告通り、後説遠足演劇を高野竜氏のガイドで行うことになった。今度は前説とは逆方向の「姥ヶ谷落とし」の下流、備前堀川から「姥ヶ谷落とし」が大落古利根川に合流する地点まで歩いた。

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前説遠足演劇、そして本編で、「姥ヶ谷落とし」がどのようなものだったかわかったあとなので、あまりきれいとはいえないこの水路沿いの風景も味わい深いものに感じられる。

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塞がれて見えなくなった「姥ヶ谷落とし」の道路部の出入り口に、その排水路の存在を伝える石碑があった。おそらくこの付近に住む住人の多くもこの石碑が何を示しているのかは知らないだろう。ここに「姥ヶ谷落とし」という排水路があったという痕跡を、わざわざお金と手間をつかってこういった石碑で残すのが興味深い。

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後説遠足の終点は旧利根川。水路がいくつも走るこの付近は、かつては利根川の氾濫時の遊水地でもあったという。

一日外で歩き回って私はヘトヘトになったが、高野竜もかなりもうろうとした感じだった。たしか一月中旬に堤政橋下であった演劇ユニット《のあんじー》の河原で焼き芋芝居のときは、高野さんは終演間際に意識を失い、救急車で運ばれたと聞いた。高野竜はいつもぎりぎりまで突っ走って芝居を作っている。

残った出演者、観客の多くは、和戸駅の近くにある老舗のそば屋に入ったが、疲労困憊の私はそこで彼らと別れて帰路についた。

 

平原演劇祭2021やりなおし第1部 #埋設演劇 「姥ヶ谷落とし」
3/7(日)12:00ー16:00
@東武伊勢崎線和戸駅集合
1000円+投げ銭
出演:アンジー、知乃、ほうじょう、夏水

 

喜劇「人類館」

www.jinruikan.com

 沖縄、アイヌなど様々な少数民族の人間を展示したことで問題になった1903年の人類館事件をモチーフとした作品。

2021年2月13日、14日に沖縄のさわふじ未来ホールで上演予定だったが、緊急事態宣言発令のため無観客上演となった。16日から21日まで期間限定でwebで舞台上演映像が無料公開されているのを視聴した。

 1978年に作者の知念正真はこの作品で岸田戯曲賞を受賞している。人類館事件を核に、3人のキャストによって大和人の暴力に蹂躙された沖縄の現代史の場面がコラージュ的に描き出される。人類館で展示される沖縄人、太平洋戦争の沖縄戦、戦後のアメリカ占領時代の場面が、シームレスに次々と展開する。

 非常によくできた風刺劇であり、悲壮な現代史の記憶を劇的な手段によって再現することで、沖縄民族としての歴史を俯瞰する視点や、自虐的で皮肉な笑いによってそれを乗り越えようとする強さがある。変則的なダブルキャストだが、俳優の演技も非常にすぐれたものだ。沖縄が日本において実体のある一つのnationであり、演劇に限らず、沖縄のあらゆる文化/芸術表現がnationalismを帯びざる得ない理由について考えながら見た。そしてある種の「オリエンタリズム」的視点を通して、沖縄文化に親近感を抱き、愛好する私自身の態度についても。

 月並みすぎる感想ではあるけれど、大和人が沖縄人に対しては理不尽な加害者であった歴史と現実は、常に頭のどこかに置いていなければならないと思った。

『子猫をお願い』(2001)

  • 監督:チョン・ジェウン
  • 脚本:チョン・ジェウン、パク・チソン
  • 製作 オ・ギミン
  • 出演者:ペ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・チヨン、イ・ウンシル、イ・ウンジュ
  • 映画館:早稲田松竹
  • 評価:☆☆☆☆☆

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二十年前の映画で、二十歳のペ・ドゥナを見ることができる。韓国公開は2001年で、日本公開は2004年だとWikipediaにあった。私がペ・ドゥナを知ったきっかけは確か2005年に公開された山下淳弘監督の『リンダリンダリンダ』だった。『リンダリンダリンダ』でペ・ドゥナに魅了された私は、たぶんその直後ぐらいに立て続けにペ・ドゥナ出演の映画作品をレンタルし、そのなかにこの作品があった。

早稲田松竹での上映で今回15年ぶりぐらいで『子猫をお願い』を見た。ディテイルは記憶から抜けていたが、物語の骨格ととてもいい作品だったという印象は頭に残っていた。思っていた以上の大傑作だった。

仲良しの女子高生5人組が卒業して、それぞれの道を歩み始める。商業高校出身の彼女たちはいずれも裕福な階層ではない。なかでも両親を亡くし、祖父母と繰らすジヨンはスラム街のバラックに住み、その境遇故に職にも恵まれない極貧の状態にあった。

裕福ではない階層の韓国の若い女性たちが抱える閉塞感の状況を丁寧に描いた作品だ。
その息苦しい状況に押しつぶされそうになりながら、5人の女性は、途切れそうな連帯のなかでそれぞれの生活の困難と向き合って生きていく。彼女たちの家を渡り歩くことになるか弱い子猫は、彼女たちの希望の象徴だ。

女優ペ・ドゥナの魅力の本質的部分が二十年前から今まで変わっていないことを確認できた。『子猫をお願い』ではつらい状況のなかで崩れ落ちてしまわないよう、ペ・ドゥナが演じるテヒはぐっと唇を噛みしめ、気を張っているように見える。

明日の見えない、出口なしの状態のなかで苦しんでいる若者すべてに見て欲しい映画作品だ。作品の彼女たちの姿はそうした苦しみのなかにいる人たちの励ましとなるだろう。