閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/08/08『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』@新宿ピカデリー

アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台 | UN TRIOMPH | reallylikefilms

 1985年にスウェーデンで実際にあったできごとに基づく映画作品。舞台はフランスに移し替えられている。家族関係のうえでも、演劇人としても成功しているとはいえない中年の俳優・演出家が刑務所に演劇の指導にやってくる。演劇活動は囚人たちにとっての息抜きであり、矯正プログラムでもある。彼の指導のもと最初に刑務所内で上演されたのは、ラ・フォンテーヌの『寓話』だった。この上演の体験をきっかけに囚人たちも演劇の喜びと可能性を知る。囚人たちにとても演出家にとっても、演劇は閉塞的な状況から自分たちを解放してくれるものだった。

 演出家は囚人たちに『ゴドーを待ちながら』を刑務所の外にある劇場で上演させようとした。苦労のすえ実現した最初の劇場公演は大成功を収め、囚人たちの一座による『ゴドー』はフランス国内のいくつもの劇場から招聘を受けるようになった。そしてフランスの現代演劇の舞台の殿堂ともいえるパリのオデオン座での上演の日がやってきた。

 ヨーロッパの国々では、この映画のモデルとなったスウェーデンでの事件が起こった1980年代にはすでに、ある種の社会矯正プログラムとして囚人たちによる演劇活動が行われていたようだ。私は2018年のアヴィニョン演劇祭で、オリヴィエ・ピィとエンゾ・ヴェルデが共同で演出した囚人たちによる演劇『アンティゴネ』を見た。ただ私はこの上演が囚人たちによるものだとは知らずにこの公演を見たのだった。上演時間が50分と刈り込まれているし、出演俳優はむくつけき男ばかりだし(女性役も男性囚人が演じていた)、俳優は始終大声でがなり立てるような調子で台詞を言う荒々しい舞台で、舞台公演の出来としては特に優れたものであるとは思わなかった。フェスティバル・ディレクターのピィの演出作品だけに、余計期待外れの感があった。しかし上演後は尋常ではない大喝采で、観客はスタンディング・オベーション、俳優たちもやたら興奮して咆哮している。いったいこれはどうしたことか?と思って、後で調べてみると、それが囚人演劇であることがわかったのだ。なるほど、あの俳優たちが収監中の囚人たちだとわかって見れば、私もその成果に大きな感動を覚え、熱烈な拍手を送っていたかもしれない。

 劇場での初演の大成功をクライマックスに敢えて持ってこない脚本の作りは巧い。また演劇に内在する教育力というか、俳優として他者を引き受け、それを観客という他者と共有する過程がもたらす魔力は、しっかりと描かれていた。初演の段階を結末にしておけば、この物語は感動的で陳腐な美談になってしまっていただろう。それが崩れていく過程を描いた後半部があるのがいい。

 後半は初演の成功後の彼らの姿が描かれる。もともとは一回だけの劇場公演のはずだった。それが思いも寄らぬ評判を得て、囚人たちによる『ゴドー』はフランス国内をツアーすることになる。ただ一回だけの公演を目標に高められた集中力、緊張感、チームワークは、その後の公演では維持することは極めて困難だ。彼らは職業的な俳優ではないのだから。公演のたびに人々に賞賛される喜びを味わいつつも、この一座が崩壊に向かっていくことは宿命だったのだ。

 苦いラストではあり、すっきりしたハッピーエンドではなかったが、それでも私にはきれいにまとめすぎているような気が私にはした。娯楽作品としての落とし所は必要ではあるのだけれど、人間というのはそうそう思い通りになるものではない。もとになったスウェーデンでも初演前に囚人俳優は逃げ出してしまったという。私が演出家の立場なら、そこで他者と信頼関係を築き、コントロールできるようになっていたと思っていた自分の傲慢と愚かさを深く恥じただろう。私は教員として学生たちにものを教える人間だが、学生たちとうまく関係を築けている、お互いに相互理解ができているはずだといい気になっていると、実は全然そんなことはなくて、足をすくわれるような思いをすることはしょっちゅうある。

 前半部で囚人たちが『ゴドーを待ちながら』を、演出家の思惑通り、自分たちの物語として受け入れ、咀嚼し、表現としていくというのも、都合のいいファンタジーではないかという気がしてしまう。そういったことは絶対にないとは言えないが、奇跡のようなものではないか。こう考えると私がアヴィニョン演劇祭で見たオリヴィエ・ピィとエンゾ・ヴェルデ演出の囚人演劇『アンティゴネ』は、あのクオリティまで持って行き、アヴィニョンでの上演にこぎつけたという点で、まさに奇跡的な舞台であったのかもしれない。

 

2022/08/23 平原演劇祭2022第16部 #奇祭ツアー「どじょう施餓鬼」@杉戸町 永福寺

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 平原演劇祭の番外編、奇祭ツアー第二弾、埼玉県東部の杉戸町永福寺の「どじょう施餓鬼*1(せがき)」を見に行った。奇祭ツアーは「風変わりな祭をみんなで見学しに行こう!」というもの。永福寺の施餓鬼は600年前から行われている歴史あるものだが、読経だけでなく、どじょう放生*2(ほうじょう)が行われることに特徴がある。「奇祭」というほどではないけれど、「なぜどじょうを流す?」とは思う。餓鬼どもの食料としてどじょうを流すのかと思ったのだけれど、寺のウェブページの説明によよると「どじょうが龍に似ているところから龍にたとえられ、どじょうの背中に乗ってご先祖様が極楽浄土へ旅立つために、どじょうを池に放しています。」とのこと。この説明もいまひとつ説得力を欠くような気がするが。

 平原演劇祭主宰の高野竜さんはこの奇祭ツアーもかなり力を入れて宣伝していたのだけれど、「どじょう施餓鬼」ツアーに参加したのは私だけだった。どじょう放生供養が行われるのは8/22(月)、23(火)の9時から12時と告知があった。私たちが言ったのは二日目の23日。午前9時にJR宇都宮線の久喜駅まで高野さんに車で迎えに来て貰った。15分ほどで永福寺につく。

 寺周辺には数十台が駐車可能の駐車スペースがあって、「大施餓鬼」の看板も道路沿いにいくつか立っている。しかし私たちが到着したときにはあまり寺の境内にも、ドジョウ放生が行われる因幡池がある公園にも人はあまりいなかった。どじょう配布小屋に人はいたが、どじょうを流す人はいない。

 

 この日はかなり暑い日で、寝不足と暑さで永福寺に到着した時点ですでにかなりバテていた。しばらくぼんやりと因幡池のある公園にいたが、お祭りらしい賑わいはなく、蒸し暑さのなか、どんよりよどんだ静けさだけがある。公園に太鼓を設置しに来ていた人がいたので、「何時から太鼓の演奏があるんですか?」と聞くと、11時からだと言う。どじょう放生は9時から12時となっているけれど、人が集まるのはたぶん11時頃からではないかと思い、ひとまず車に戻り、近くのコンビニでしばらくのあいだ涼んだ。

 11時前に永福寺に戻ると人が増えていて、これからお祭りがはじまりそうな雰囲気があった。因幡池のある公園では太鼓の前に男女のお坊さんがスタンバイしていて、永福寺住職らしい人がユーモアを交えたなれた調子で法話を始めていた。

 二人の女性の坊さん(?)がいて、いずれも若くて美しいひとだったのだが、その女性が「最近、ヨガをはじめてそこでの呼吸法が」どうのこうのと話していると、永福寺境内のほうから仏教楽器(シンバルみたいなものやホラ貝など)を演奏しつつ僧侶の一団が行列をなして因幡池にやってきた。彼らが池の周囲で読経を始めてからが、どじょう放生タイムの本番らしい。読経中にどじょうを放つと御利益が大きい、というようなことを住職が言ったので、私もどじょう配布小屋で300円払ってどじょうを放生することにした。

 どじょうを何匹か小さなざるにすくってもらい、それを樋に流すと、そうめん流しのようにどじょうがするすると因幡池に落ちていく。この因幡池は人工池で、このどじょう放生の前に水が入ると高野さんが言っていた。高野さんが数日前に下見にきたときは、池には水がなかったそうだ。利根川が近くを流れているが、池は川とはつながっていない。高野さんの話によると、仕入れたどじょうは中国からの外来種なので川に流すことはせず、因幡池に滑り落ちたとじょうたちは、施餓鬼終了後にそのまま放置されて死んでいくのではないかということだった。私は後で施餓鬼どじょうを食べるのかと思ったが、そういうこともしないようだ。

 11時半前に男性一名、女性二名による太鼓演奏が20分ほどあった。住職のボーカルとホラ貝もこの太鼓にときどき加わる。この太鼓をたたく僧衣の女性がとても美しい。中央で太鼓をたたいていた男性も含め、「お坊さん」と住職は呼んでいたが、僧侶の雰囲気は皆無だった。だいたい仏教、密教と太鼓演奏は関係がないだろう。

 高野さんは、太鼓サークルみたいなのはたくさんあって盛んなので、おそらく太鼓を叩いていたのは寺の人ではなくて、近隣の太鼓サークルの人ではないかと言っていた。太鼓演奏のあとは御利益があるというありがたいイラスト付きのカードが配布された。

 どじょう施餓鬼は実質40分ほどで終了。施餓鬼自体は二日間にわたって延々とおこなわれていて、どじょう放生はそのプログラムの一つらしい。どじょう施餓鬼終了後は、昼飯を純手打ちそば 一茶に食べに行った。そばはお腹が膨れないので、普段は外食で蕎麦を積極的に選ぶことはないのだけれど、この店はこの付近では一押しの店だと言う。

 「天ぷらもいいんですよ」と高野さんが言うので、私は天ぷら冷そばを。高野さんは大もりそばを。太くて無骨な蕎麦の見た目からして素晴らしい店だった。蕎麦の味のよしあしなど私はわからないのだけれど、ここの蕎麦は大いに気に入った。天ぷらもガツンとくるボリュームで、かつ非常に美味しかった。ここはまた食べに来たい蕎麦屋だ。

 昼食を取ったあとは予定がなかったのだが、高野さんが「せっかくここまで来たのだから、ついでにちょっと観光しますか?」と言う。しかし観光と言っても埼玉東部のこのあたり、平原演劇祭で上演される地誌演劇の主要な舞台とはいえ、何が見所なのかわからない。高野さんに進められるまま、車で20分ほどのところにある関宿城博物館に行くことにした。関宿城は利根川と江戸川の枝分かれ地点にあり、その城跡に立てられた博物館では利根川の歴史についての展示があると言う。平原演劇祭の埋没演劇などで江戸から明治にかけて利根川の治水事業についてはなんとなく知っていた。このあたりの川や地理についての知識と関心は、私の場合、もっぱら平原演劇祭経由のものだ。利根川の本流がかつては東京湾に流れていたのを、大規模な治水事業によって茨城から太平洋に流れる川筋にしたということも、平原演劇祭の地誌演劇の上演で知ったのだった。

 

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 関宿城博物館にある売店にはそこでしか購入できない地域史についての地方出版物が並んでいて、その記述は高野さんの地誌演劇の重要な資料となったそうだ。地理や川については実のところそれほど関心があるわけでもなく、知識も乏しいのだけれど、夕方まで時間があるし、高野地理演劇にインスピレーションを与えた場所というところを見ておいてもいいだろう、と思い、関宿城博物館に行くことにした。

 博物館は城っぽいつくりになっていて、なかの展示も非常に充実したものだった。関宿の小中学生の社会科の課外授業ではかならずこの博物館を訪ねるに違いない。

 博物館に併設している売店では、名物のせんべい(どちらかというとキッコーマン城下町野田市の名物らしい。関宿は市町村合併で野田市に飲み込まれてしまったのだ)のほか、地元の野菜類が大量に売られていて、しかも値段が安かった。

 私は関宿城出世カレーを購入。このあたりのミルクが使用されたまろやかなカレーとのこと。譜代大名である関宿藩からは出世したひとが多かったのでこの名前のカレーになったという。ただ製造しているのは九州の業者だった。580円とレトルトカレーとしてはかなり高額ではあったが、このカレー、食べてみるとかなり美味しいカレーだった。

*1:餓鬼道におちて飢餓に苦しむ亡者(餓鬼)に飲食物を施す意で、無縁の亡者のために催す読経や供養。真宗以外で広く行なわれる。本来、時節を限らない。七月一日より一五日にわたって行なわれるものは盂蘭盆の施餓鬼。施餓鬼祭
(小学館『精選版 日本国語大辞典』(iOS、物書堂版)

*2:捕らえた生物を放してやること。ほうせい。

2022/08/21 平原演劇祭2022第15部 「#豊年歌」@目黒区烏森住区センター和室

 

 一ヶ月前に「カレー市民」が上演された目黒区住区センターで、また平原演劇祭の公演があった。今回は調理室ではなく、調理室の隣にある和室が会場だった。

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 出演は平原演劇祭の常連女優、夏水、角智恵子、青木祥子プラス高野竜の4名。観客は6名だった。高野が自分の演劇スタイルのモデルのひとつとしているらしい韓国の伝統芸能をモチーフとした作品らしいことは高野のツィートが伝えていた。「1960年代に中国朝鮮族自治区で上演された男寺党風新作パンソリの復元上演」。

 高野が中国朝鮮族自治区に旅行したときに購入した台本を高野自身が翻訳した。平原演劇祭女優三名はその日本語訳台本を、朝鮮の伝統芸能であるパンソリのスタイルに則って上演するという企画だ。朝鮮語台本の翻訳にもかなり苦労していたようだが、それを演じる女優たちも大変だったみたいだ。

 常連俳優である夏水、角智恵子、青木祥子は、平原演劇祭というイレギュラーな形態の演劇に慣れているはずだが、この三人でさえ本番前日の稽古で最後まで通すことができなかったらしい。それで急遽、本番当日の午前中にも稽古を行ったと高野がツィートしていた。

 今回の上演はレクチャー演劇だった。まず最初に高野によるかなりボリュームのある朝鮮文化についてのレクチャーがあった。40分ぐらいの長さはあったような気がする。まずは1989年に出版された『B級グルメが見た韓国』の記述に基づき、韓国の大衆食文化についての話しがあった。

 

 ソウル五輪(1988)直後の1989年に書かれた本で、若干韓国大衆文化への蔑視が感じられる言い回しがなかったわけではないが、韓国で敢えて日式(日本式)食堂に入り、韓国食文化のなかで変容した和食を通して、日韓の食文化の違いを考察するという発想はとても興味深いものだった。端的に言うと韓国の食は基本、ぐちゃぐちゃといろいろな素材を混ぜて、複雑な味のハーモニーを楽しむという傾向があるという話しだった。この本の著者は韓文化の違いの部分を強調していたが、現在の私の感覚から言うと日韓文化にはもちろん違いはあるけれど、西欧文化に比べると似ているところもかなり多い。この30年間のあいだに韓国社会が急速に変化し、その文化が洗練されてきたことや、日本においても韓国文化が30年前よりはるかに親しみやすいものになっていること、政治的反目はあるものの、日韓文化の相互交流が進展していることも、『B級グルメが見た韓国』で日韓文化の違いが強調されているのが気になった理由だろう。このブログを書きながら、1980年代の後半、自分が高校生だったころ、関川夏央の『ソウルの練習問題』やその他の韓国ものエッセイを熱心に読んでいたことを思い出した。関川の韓国ものエッセイでもやはり日韓の感性・文化の違いが強調されていたような気がする。いずれにせよ『B級グルメが見た韓国』の食への視点、アプローチは非常に興味深いものだったので、帰宅後、私はこの本をamazonで注文した(古書が安い値段ででていた)。

 

 高野のレクチャーは『B級グルメが見た韓国』に書かれた食文化の違いの話から、パンソリの上演史、上演方法、高野が中国東北部の朝鮮人地区を旅行したときの体験、そして韓国の伝統的辻芸能の特徴、仮面劇に見られる日韓の演劇観の違いなどに発展していった。いきなりパンソリの日本語版・高野版を上演するのではなく、まずパンソリについての基礎知識、そしてその背景にある考え方を伝えることが重要だと考えたのだろう。高野の韓国芸能についての見識は相当なものだとは思うのだが、用心しなくてはならない。もっともらしい語りのなかに巧妙な「嘘」が混じっているのが平原演劇祭なのだ。これまで何度、騙されたことか。実際、このレクチャーのあとに上演された日本語訳「#豊年歌」と「足仮面」は、高野が語る朝鮮芸能文化そのものが実はフェイクではないと疑いたくなるような奔放さだったこともあり、余計、高野のレクチャーの内容に用心したくなる。

 レクチャーのあと高野訳「#豊年歌」の上演がはじまった。原作は1960年代に書かれたパンソリの台本である。パンソリは通常打楽器奏者と語り(歌い)手の二人で上演されるらしいが、このパンソリは三人の老人の対話劇となっている。。高野が打楽器を担当した。演者は夏水、角智恵子、青木祥子の三人であったが、最初に登場したのは角だった。

 角はいかにももっともらしい調子で台詞を朗々と歌い上げる。台詞は日本語だが、何となくパンソリっぽく感じられる。「豊年歌」というタイトルの伝統芸能ということで、豊作を願う歌なのかなと思って聞いていたのだが、日本語の台詞にもかかわらず内容がさっぱり頭に入って来ない。

 この角の堂々たる朗唱に青木と夏水が漫才風にからむ。全編日本語のやりとりなんだけれど、何を言っているのがやはりわからない。角の台詞が歌っぽくなると、二人は踊り出したりする。しかしこのいかにもうさんくさい偽物パンソリの馬鹿馬鹿しさがおかしくてたまらない。その一部の映像は以下で見ることができる。

 


www.youtube.com

 上演時間は25分ほどだったと思う。本物のパンソリ芸人が見ると激怒するか、さもなければ爆笑するかだろう。パンソリ本家の芸についてのリスペクトがないわけではないが、パンソリについての理解も稽古もまったく不足した状態で、とにかく短時間で超圧縮してやってしまうという無理矢理感が実によかった。最後は三名がブリッジしたあと、それぞれが別の出口から退場して「豊年歌」は終わった。

 「#豊年歌」のあとは、「足仮面」という短いテキストの上演が続いた。これも高野の訳による日本語上演だ。こちらは三人の俳優は稽古していなかったらしい。これはパンソリの一種なのかどうかよくわからない。足のうらに顔を描いて、それを人形に見立てて演じるという出し物だ。

 「どなたか足の裏で演じたい人いますか? あと打楽器、誰かやりませんか? 足の裏に顔を描く人いませんか?」と六名しかいない観客に高野が呼びかける。足の裏仮面劇なんてどんなものなのか想像しがたいのに、「はい、やります」とその場で手を上げる観客などいるわけがない。結局、夏水が足の裏を提供することになった。打楽器のほうは、プロの音楽家であるさかいさんが担当することに。足の裏の絵は、私と女性の観客の方が描いた。若い女性の足の裏に筆で絵を描くというのはかなりエロチックな感じがして、ちょっとどきどきした。

 さかいさんの即興演奏とかたりに合わせて、足の裏演劇がはじまった。これもまた、先ほどの偽パンソリ以上のくだらなさで実に面白い。日本語の語りは、「豊年歌」同様、何を言っているのかよくわからない。次第に観客も乗ってきて、手拍子が入ったり、合いの手が入ったり。本当にこんな芸能が存在するのが信じがたい気もしたが、この偽「足仮面」劇を、観客も演者と一体となって楽しんだ。足仮面の上演時間は15分ほどだったと思う。

 こんなインチキ民俗芸能の公演がこんなに面白いものだとは。中世フランスの世俗演劇で、居酒屋に集まった常連たちが、酔っ払って寝込んでしまった巡礼僧が持ってきた聖遺物を使って、インチキ・ミサをやる場面があるのを連想した。またこんな感じでオリジナルの文化のあり方に敬意を払いつつ、中世のラテン語典礼劇の日本語版を平原演劇祭風に上演できるかなとも。

 最初の前説での高野が話した、韓国で韓国風に変容した和食、「日式」料理の逆バージョンを、平原演劇祭「#豊年歌」「足仮面」ではやっているとも言える。異国の文化に好奇心と敬意を抱きつつも、本物を知らぬまま、自己流で無理矢理やってしまい、結果的に奇妙なフージョンができてしまう。
 平原演劇祭ならではの実に自由で愉快な公演だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022/08/19 劇団カッパ座『ピンクとバルン』@劇場ぷらっと

www.kappa-za.co.jp

 劇団カッパ座は1968年に設立された着ぐるみ人形劇の劇団だ。1983年から89年までNHK教育で放映された『おーい!はに丸』など、教育番組への出演も多い。劇団カッパ座は宗教法人PL教団を母胎とする劇団であり、劇団本拠地の劇場ぷらっとはPL教団の聖地の敷地内にある。教団のシンボルともいえる大平和祈念塔が劇場のすぐそばそびえ立っている。

 宗教法人が母胎の劇団ではあるが上演作品には宗教色はほぼ皆無だ。作品の前説で、劇団カッパ座のスローガン(?)ともいえる「三つの合い言葉」が確認され、それを歌うという定式的やりとりがあるが、それは「やくそくまもろう」、「なかよくしよう」、「あいさつしよう」というごくありふれた市民道徳であり、宗教的なものではない。

 等身大着ぐるみ人形劇専門の劇団はおそらくカッパ座だけだろう*1。着ぐるみの目と口は動くようになっていて、これはカッパ座の着ぐるみ独自の機構のようだ。2020年2月までは全国各地で巡回公演を行っていたが、2020年2月以降「弊社劇場をフル活動し地元に根差す劇団を目指して奮闘中」とのこと。新型コロナが日本で広がった時期に一致するが、この時期にはすでに全国巡業というスタイルを維持することは難しくなっていたのかもしれない。ちなみに2020年12月にはPL教団三代目教祖の御木貴日止が急死し、その後、後継者はまだ決まっていないようだ。清原、桑田、立浪などを輩出した高校野球の名門、PL学園野球部は2016年に廃部になっている。母胎となるPL教団の弱体化が進んでいるので、劇団カッパ座の運営も相当苦しいものになっているはずだ。新型コロナ禍はさらに追い打ちをかけるものとなったに違いない。

 『ピンクとバルン』は8月と9月に13回の公演が予定されている。上演時間は前説、後説も含め60分ほどだった。私が見たのは8月19日の13時半開演の回で、観客は12人、このうち子供が4人だった。

 入場料は前売りが1500円、当日が2000円で、三歳児以上が有料となる。子供料金は設定されていない。上演中の写真撮影および録画は自由に行ってよいとのこと。公演終了後には舞台で、等身大着ぐるみ人形と写真を撮影することができる。

 作品のメイン・ターゲットは三歳児から小学校低学年くらいだと思う。等身大ぬいぐるみの造形や動きは愛嬌たっぷりで可愛らしく、物語の展開もわかりやすい。最初にカッパ座のメイン・キャラクターのカッパとオオカミと豚の等身大着ぐるみによる前説があり、本編は電気屋のせつさん、ロボットのピンクとバルン(『スターウォーズ』のC-3POとR2-D2のイメージをかぶせている)、山の持ち主、猫と猫の飼い主の犬の6名により展開する。

 内容は、とある山のなかに持ち込まれた粗大ゴミの山から、せつさんが部品を取り出してロボット、ピンクを組み立てる。ピンクは今度は残った粗大ゴミからもう一台のロボット、バルンを組み立てる。以後、せつさんがこの山中に立ち寄るたびに、二台のロボットが粗大ゴミから色々なものを再生していき、最後にはゴミはなくなっていた、というリサイクル推奨演劇である。「もったいない、もったいない」というモラル(教訓)が劇中で繰り返される。

 NHKの幼児向け番組で放映されていそうな健全で可愛らしい教育劇だった。たわいない内容だが、等身大着ぐるみ俳優の演技は、きっちり決まっていて完成度が高い。着ぐるみ俳優が話すのではなく、PAからの音声に合わせて俳優が動いていた。ロボットや動物だけでなく、人間役も等身大着ぐるみ人形だったのにはぎょっとした。頭でっかちの人形造形や仕草がユーモラスで面白かったが。子供が主人公ではなく、大人のおっさんとロボット、動物たちのやりとりの芝居となっていたのは、子供向きの演劇としては少々異色に思えた。

 12人の観客のうち、この演目の観客としては場違いな大人はわれわれ二人を含めて3名。他は家族連れが三組だったが、いずれも常連客のような雰囲気だった。4人の子供たちは幼児と小学校低学年だったが、芝居の内容によく反応していて、楽しんで見ている様子がうかがえた。ほんわかした親密な雰囲気の公演ではあったが、やはりガラガラの客席で見る芝居はやはりわびしい気分になる。たくさんの子供たちの前で上演したい劇場スタッフの心情を思うと心が痛む。

 公演終了後は舞台で等身大人形との撮影タイム。希望者全員が無料で写真撮影可能ということで、私も撮って貰った。

 前売り券を購入した観客には、終演後にミニ縁日で、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくいとしゃてきで遊ぶことができる無料券が配られていた。ただおそらく舞台出演者が、カフェテラスとミニ縁日のスタッフを兼ねているため、舞台終演後、しばらく待つ必要があった。私は同行者にも無料券をもらい、スーパーボールすくいを二度やったが、これが案外難しく、一個もスーパーボールを取ることができなかった。失敗しても一個ぐらいくれるのかと思えば、くれなかった。カッパ座の人形をデザインした陶芸家が作った土鈴がお土産で売っていたので二個購入する。

 公演終了後は、高さ180メートルの白亜の塔、平和祈念塔へ。かつては上層階まで上ることができたそうだが、今は二階までしか上ることができない。正式名称は超宗派万国戦争犠牲者慰霊 大平和祈念塔とのこと。

 間近から見上げるとその威容は圧巻である。その造形はシュールレアリスムの絵画のなかに描かれたオブジェあるいはガウディの彫刻を思わせる。この塔には信者でなくても入ることができる。受付で宗教宗派に関わらず戦没者を慰霊するための塔だという説明を受け、塔のなかで教団の教師のかたに導かれて二階の神殿に参拝する。

 PL教団の前身である教団は大正期に生まれた新宗教の一つだが、天理教、大本教のような教派神道ではなく、既存の宗教に依らない独自の教義を持つ宗教であることをWikipediaの記述で知った。神殿に祀られているのはおそらく「“大元霊(みおやおおかみ)”」であるが、これは教団ウェブページによると「自然法則を司る万象の根源」となるものらしい。教理などを解説する書物の類いが教団本部で売られている様子がないのが以外だった。ちなみに信者の義務は会費を納めることであり、月会費は一般が1000円、学生は300円とのこと。

 かつては公称260万人以上の信者をPL教団は有していたが、今では公称90万人、実際に活動している信者は数万人ではないかと言われている。

PL教団 野球部廃部、信者の実数は数万人程度に減少か|NEWSポストセブン

 PL教団のなかでの劇団カッパ座の現在の位置付けはどのようなものなのだろうか? また教団の拡大期には劇団カッパ座にはどのような役割が期待されていたのだろうか? 演劇は信者共同体の結束の強化や布教の面で非常に有効な手段だと思うのだが、案外、近・現代の宗教では演劇は活用されていないように思えるし、宗教と演劇の関係についての研究も多くない。

*1:と書きましたが、劇団飛行船があることをtwitterで脇路ソレル@Tomoaky88 さんに教えて頂きました。

2022/08/07 平原演劇祭2022第14部「#沙汰踏切」

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平原演劇祭2022第14部 #沙汰踏切 ゲリラ公演

  • 日時:2022/8/7 10:30-14:30

  • 出演:青木祥子、小林敬劇団小林組)、中沢寒天、高野竜

  • 演目:田宮虎彦「落人」「足摺岬」ほか

  • 場所:東武スカイツリーライン姫宮駅付近、宮代町郷土資料館旧加藤家住宅

  • 投げ銭+クラウドファウンディング

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 7/19の平原演劇祭2022第13部「#カレー市民」で昏倒して以来、主宰の高野竜の体調がなかなか快復に向かわず、今日の公演はあるのかないのか数日前までわからなかった。体力、脳力ともにひどく衰弱している様子だったので中止になるのではないかと思っていたのだが、ギリギリで快復したらしい。今日、ゲリラ的に(つまり事前許可なしに)公演を行うことはかなり前から度々twitterで告知は出ていたもののの、公演会場として予定していた場所が使えなくなっていたりしたようで、前日に集合場所や上演時間が変更になった。先月の高野竜の状態を思うと、今日、公演をやれたのは奇跡みたいに思える。

 今日の公演は三部構成になっていた。第一部は10時半に東武スカイツリーライン姫宮駅に集合し、その近所の某所でとある演目をゲリラ公演。第二部は行軍演劇で第一部の会場から第三部会場の宮代町郷土資料館旧加藤家住宅まで、田圃のあぜ道を歩きながらの「落人」の朗読、第三部は平原演劇祭のホームグラウンドの一つといっていい宮代町郷土資料館旧加藤家住宅での「足摺岬」の朗読である。宮代町郷土資料館旧加藤家住宅での「足摺岬」は宮代町のコミュニティペーパーでも告知が出ていたようだ。

 

 午前10時半に姫宮駅に集まった観客は5名ほどだった。第一部の公演会場に向かう前に、高野竜から「今回の公演は事前に許可を取っていないゲリラ公演なので、クレームが入る可能性があります。観客はなるべく観客らしくなくしてください。廃れていた芸能の復活の調査にきたとか、何となくこころへんに散歩しにやってきたみたいな感じでいてください」というような内容の注意が入る。

 駅から公演会場までぞろぞろ歩く。終わってしまったので会場の名前を出してしまっても問題ないだろうか? 第一部の公演会場は駅から10分ほど歩いたところにある姫宮神社だった。桓武天皇の孫の宮目姫がこの場所にやってきて、紅葉の美しさに見とれて、突然死したという伝承があるとのこと。しかし今回の公演演目はこのエピソードとは何の関わりもないものだった。

 姫宮神社の境内の奥、本殿の隣に芝生の広場がある。そこが公演会場となっていて、出演者の青木祥子と小林敬がスタンバイしていた。小林敬は平原演劇祭に初参加だ。終演後に話しを聞くと、小林は鎌倉で演劇活動を行う俳優で、2021年3月の「#埋設演劇」で俳優たちが地面に埋まっている写真を見て、平原演劇祭に参加したいと思ったそうだ。「ぼのぼのさんの撮った公演写真を見て、自分も埋設されたい、水没したいと思って」と小林は言っていた。

  第一部公演は11時に始まった。演目は伏せられていたが書いてしまっていいのだろうか? 不条理コントで知られる劇作家の死体と踏切が出てくる話だ。最初は若い女性(青木)が足の部分が飛び出たバラバラ死体が入っているらしい風呂敷包みを重そうに引きずって出てくる。先に進もうとすると踏切で遮られる。そこに結婚式帰りのサラリーマン風の男がやってきて、やはり踏切で足止め。女性が引きずっているのは彼女の愛人の死体であり、しかもそれは男の知己であったことが判明する。

 姫宮神社は東武線の線路の踏切のそばにある。姫宮駅周辺はがらんとした田舎町だが、そのわりには東武スカイツリーラインにはやたらと電車が走っている。踏切がかなりひっきりなしに鳴るのだ。ただ神社は木で囲まれていて踏切は見えない。当初は別の踏切のすぐそばの場所でやる予定だったみたいだ。ただ境内の芝生と木々の緑と俳優の白い服装のコントラストが視覚的に美しかったし、神社での無理矢理奉納芝居みたいなやり方は、作品の不条理感とよくマッチしていたように思う。高野竜は公演場所の選定だけを行い、演出は二人の俳優たちのアイディアによるもののようだ。上演場所は特殊であるが、別○○の芝居の上演としてはとてもオーソドックスなスタイルの公演を見ることができた。上演時間は40分ほどだった。

 第二部の「落人」(田宮虎彦作)の朗読は行軍演劇だった。これは高野竜の一人語りだ。正午に公演がはじまった。姫宮神社を起点に田圃のあぜ道を歩きながら、「落人」の朗読を行う。

 「落人」の朗読を聞くのは私はこれが二回目となる。ときは幕末、佐幕派の藩、黒菅藩の滅亡を描くシリーズの一つなのだが、薩長軍への降伏に強硬に反対し、黒菅藩を滅亡させた主犯といっていい山崎剛太郎の逃亡を描く話しだ。高野は40分ぐらいで読み終えることができる長さの作品だが、行軍しながら読んでいないので、もしかするともう少し時間がかかるかもしれないと言っていた。

 天候は最初は薄曇りだったが、歩いているうちに段々日差しがきつくなってきた。気音があがってきて、日陰がほとんどない、しかもじめじめと蒸し暑いあぜ道を歩くのはかなり大変だった。高野の歩みがゆっくりなので助かった。読み手が夏水だったら早足で歩いて、体力のないおっさん観客は振り落とされそうになったことだろう。田圃のあぜ道は、「落人」で描かれる山崎剛太郎の逃亡生活の厳しさを肉体的に連想させるところはあるけれど、「落人」の季節は極寒の冬なのに対して、こちらの季節は真夏だ。どっちもきついことには変わりはないが。姫宮神社から第三部の会場の宮代町郷土資料館旧加藤家住宅までは普通に歩くと800メートルほどであることを先ほどGoogleマップで知ったが、田圃のあぜ道で遠回りしたため、約一時間かけて到着。高野も私も暑さでかなりバテバテになっていた。

 第三部開演予告時間は13時だったが、行軍演劇が予定以上に時間を取ってしまったので、10分押しで始まった。第三部は田宮虎彦の現代物で、田宮の代表作とされる「足摺岬」の朗読だ。朗読するのは平原演劇祭に久々の登場となる中沢寒天だ。

 

 築200年以上という旧家当家住宅の縁側にちょこんと座る寒天は小学生の男の子のようで実に可愛らしい。観客は縁側の前に設置されたパイプ椅子に座る。日よけ付きなのがありがたい。年の若い中沢にとって「足摺岬」はかなりとっつきにくいテキストだと思うが、明瞭で安定した読みっぷりだった。ただ私は寝不足とその前の行軍演劇でバテていて、けっこうもうろうとした状態で聞いていた。朗読時間は一時間弱だったように思う。「足摺岬」の最後のほうで、旅先で病に倒れた主人公の世話をした遍路が黒菅藩の生き残りであったことが明らかになったところで、はっと目が覚める。高野がこの数年取り組んできた田宮虎彦の偽歴史小説である黒菅藩ものと暗い青春時代を描く自伝的貧学生シリーズが「足摺岬」で結びつくのだ。かつては人気作家だった田宮虎彦の読者や研究者は少なくないだろうが、高野竜のようなスタイルで、すなわち朗読公演を通じ身体的・空間的に田宮虎彦の文学世界に向き合ってきた人間はいないだろう。私には田宮虎彦の面白さは実はまだよくわかっていない。高野竜が田宮虎彦作品の通読を通して何を読み取り、何を目指していたのかについても。

2022/08/02 島根県立三刀屋高等学校『永井隆物語』@なかのZERO

とうきょう総文2002の演劇部門で島根県立三刀屋高校の『永井隆物語』と茨城県立日立第一高等学校の『なぜ茨城は魅力度ランキング最下位なのか?』の2本を見た。
 
高校演劇を見るのは5年ぶりくらいになる。2年間ほどだが東京都の大会を中心に熱心に見ていた時期があった。思春期後期の年代の人間しかリアリティを持てない劇的表現というのはあるし、劇の内容やスタイルはバラエティに富んでいる、そして大会優秀校レベルになると演出の工夫や俳優としての練度も相当なもので見応えがある。しかもおおむね無料で見られる。しかし高校演劇にはまり込んでしまうと、自分にとってより優先度の高い他のスペクタクルを見る時間が浸食されてしまうように思い距離を取ったのだ。
 
『永井隆物語』は昨年、雲南創作市民劇のために三刀屋高校演劇分元顧問の亀尾佳宏が書き下ろした作品だ。昨年4月下旬にこの公演を見るために公演会場の雲南市のチェリヴァホールまで行ったのだが、公演当日、出雲空港に到着してレンタカーで会場に向かう途中で、新型コロナ感染拡大の懸念から無観客上演となったという連絡が入った。東京からこの作品を見るために島根にやってきたのでなんとか見ることはできないかと交渉したのだがかなわず、結局チェリヴァホールの館長にインタビューだけして東京に戻った。チェリヴァホールの館長からは、雲南創作市民劇だけでなく、この地域の他のユニークな市民演劇活動についての情報も得ることができたのだけれど、結局、科研費のグループでやっている地域市民演劇研究の調査対象からは外れてしまった。
 
雲南に行った一ヶ月後に雲南創作市民劇の『永井隆物語』は期間限定で映像配信されたものを見ることができた。永井隆はカトリックの反戦平和主義者としてよく知られた人物だ。といっても私はこの劇を通してこの人物を知ったのだけれど。島根県出身で、永井の父が開業していた病院は、チェリヴァホールの近くにあった。永井隆は長崎医科大学を卒業後、大学病院で放射線医療に携わるようになる。長崎への原爆投下で自身が被爆し負傷しただけでなく、妻を失う。戦後はカトリックの平和運動家として活動し、『この子を残して』、『長崎の鐘』などのエッセイを残し、これらのエッセイはベストセラーとなった。1951年に43歳で白血病で死去する。
 
亀尾佳宏作・演出の『永井隆物語』では、永井が反戦平和活動家として知られるようになる以前、原爆投下による妻の死までが描かれている。劇中で強調される「愛」は、永井の場合、実際には彼が説く愛はキリスト教的な「隣人愛」を指していたようだが、『永井隆物語』ではそれはむしろ彼を信仰に導き、彼を支えた妻、緑への情愛、そして残された二人の子供たちへの家族愛へと、おそらく意識的にずらされている。
三刀屋高校版では、創作市民劇よりも上演時間が短いため(高校演劇では50分。おそらく創作市民劇はその倍くらいの長さがあったように思う)、永井隆の前半生のエピソードのいくつかがはしょられていたが、群読や語りを効果的に用いることで、テンポよく永井隆の生涯のエピソードが次々と提示されていた。木の骨組みを使った簡素な美術や多彩な照明効果によって象徴的にエピソードが浮かび上がる工夫も見事だった。しかし圧巻だったのは原爆投下直後の場面だ。コントロールされた俳優の演技と語り、理知的で象徴的な演出による洗練は、感情の爆発、叫びにへと行き着く。戦争・原爆という圧倒的な暴力の理不尽に打ちひしがれる人間たちの描写には、腹に力が入り、背筋が伸びた。そして突然の悲劇のなか、原爆で死んだ母を思い、缶詰のももを分け合い食べる父子三人の場面の痛切さに心揺さぶられる。「泣かせ」の仕掛けはあからさまであざとさはあるのだけれど、そのあざさとさが気にならなくなるような荘厳さがあった。
原爆投下の直前、8月のこの時期にこの作品を見ることができたのもよかった。
総文の全国大会は各地方ブロックでの予選を勝ち抜いた12校の演劇部による「甲子園」のような大会だ。この演劇の祭典での舞台上演にかける高校生たちの高揚感と緊張感は、舞台のみならず観客や会場スタッフから伝わってきて、舞台の感動はさらに大きなものなった。
会場の中野ZEROは演劇の上演を行うには反響が大きすぎて、台詞を観客に届けるのが大変そうだったが、三刀屋高校の公演では比較的明瞭に言葉が聞こえていた。twitterでは他の高校演劇部は台詞を届けるのにかなり苦戦してようだ。
 
私は総文演劇の部の最後の日に上演された2校の公演しか見ることが出来なかった。三刀屋高校『永井隆物語』は完成度の高い素晴らしい作品だと思ったのだけれど、最優秀賞、優秀賞を獲得することができなかった。これにはびっくり。高校演劇特有の審査員の評価のポイントがあるのだろうが、この完成度を凌駕する作品がいくつもあったとは。最優秀校と優秀校については今月末に国立劇場でまた上演が見られるようだが、スケジュールが合うなら見ておきたい。

2022/07/29 劇団サム第7回公演@練馬区立生涯学習センター

gekidansam.com

  1. 『真夏の夜の夢』(練馬区立石神井東中学校演劇部)
    • 原作:シェイクスピア
    • 潤色:小林円佳
    • 出演:石神井東中学校演劇部
  2. 『ひがいしゃのかい』(劇団サム)
    • 作:北村美玖
    • 演出:田代卓
    • 出演:坂本美優、高橋らな、内野そら
  3. 『ハムレット』(劇団サム)
    • 作:小沼朝生
    • 演出:田代卓
    • 出演:関口政紀、戸田拓人、尾又光俊

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 石神井東中学校演劇部の元顧問、田代卓が主宰し、同演劇部OBOGからなる劇団サムの第7回公演。年に一回の割合で公演を行っているが、新型コロナにはこの劇団も翻弄され、昨年の第6回公演は、例年夏に行っていた定期公演を冬にずらして臨んだものの、公演直前に緊急事態宣言が発令され上演中止となる憂き目を見た。この中止になった公演の代替的公演として、昨年は4月に少人数での特別公演を行っている。第7回公演は三年ぶりとなる夏公演で、清水邦夫の名作『楽屋』に劇団サムの若い俳優たちが挑戦するということで楽しみにしていたのだけれど、『楽屋』のキャスト・スタッフに新型コロナ陽性・濃厚接触者が出てしまい、公演日直前に公演中止になってしまった。出演者、スタッフはさぞ無念だったに違いない。

 今回の公演の目玉となるはずだった『楽屋』の公演は中止になってしまったが、別のキャストによる『ひがいしゃのかい』、『ハムレット』は上演されることになり、この二本に加え、私が見た7/29(金)には現役の石神井東中学校演劇部員による『真夏の夜の夢』の上演が行われた。

  石神井中演劇部の『真夏の夜の夢』の上演時間は40分ほどだった。中学生によるシェイクスピア作品の上演を見るのは私はこれが初めてだったが、これが実に可愛らしく、芝居としてもとても楽しんで見ることができた。

 オベロンとティタニアの妖精の世界を中心にコンパクトにまとまった翻案になっていた。原作にあるテーセウスとヒポリュテというアテネの王と王妃の役柄は、妖精の王と王妃であるオベロンとティタニアに吸収されている。素人芝居の稽古をしに森にやってくるアテネの職人たちの数は二人にだけになっている。原作では端役の扱いの森の妖精たちとインドの美少年の存在感がこの翻案では強調されている。原作では妖精の女王のティタニアには数名の妖精が侍女のようにつくが、この翻案ではオベロン付の妖精がパック以外に数名いて、オベロンと会話する。台詞は現代口語、今時の若者たちのことばになっていて、妖精たちはコロス的に、現代的感覚からみると奇妙な劇中人物たちの言動に、つっこみを入れる。

 中学生の芝居なので個々の演技が格別にうまいというわけではないのだけれど、オベロンとティタニアには王と王妃の風格は感じられたし、チュチュを着た妖精たちは可愛らしいし、レースがたくさんついたふわふわのロングドレスを着るハーミアとセンスのいい普段着のヘレナは彼女たちの性格の対比を視覚的に示していた。台詞がなく、無言の笑顔で妖精たちに転がされて動くようなインドの美少年の出で立ちもいい。要は演じるのは中学生なのだけれど、それぞれの役柄がみな妙にはまっているのだ。

 アテネ近郊の森のなかで劇は展開するが、舞台美術は天井から床まで幅30センチほどの緑の紙の帯が舞台後ろに垂れ下がり、そこに紙細工で花や葉などが貼り付けられている手作りの素朴なものだった。ある種の学芸会的な手作り感と安っぽさがむしろ味になって、『真夏の夜の夢』の夢幻的な世界の雰囲気が強く感じられるようになっていた

 童話劇的なファンタジーが濃厚な楽しい舞台だった。演じている役者たちが、自分の役柄を楽しんで演じている様子が感じられ、それを見るこちらの心も浮き立つ。マスク装着演技だったが、台詞は明瞭で、マスクの存在は気にならなかった。

 劇の展開の軸となるパックを演じた俳優がよかった。軽やかでひょうひょうとした明るいパックで、このいたずら者のパックが古代ギリシャ・ローマの愛の神エロス/クピードーに近い存在であることに、石神井東版の『真夏の夜の夢』を見て気づいた。「妖精の姿が人間に見え、妖精と話すことができる夏至の夜」(この設定は原作では提示されていないが、おそらくこういうフォークロアはあるのだろう)に、妖精たちの住処である森で展開するドタバタの夢幻劇、この夢幻からの覚醒を示すパックから観客に向けられた最後の口上は、私は『真夏の夜の夢』で最も好きな台詞なのだが、この口上もカーテンコールのなかで効果的に観客に伝えられた。中学生の俳優たちによる奇妙で、可愛らしい40分の夢幻劇の世界を楽しむことができた。

 15分ほどの休憩をはさんで、劇団サムの公演が行われた。最初に上演されたのは北村美玖作『ひがいしゃのかい』。この作品は登場人物が男性三人で、15分ほどの長さの小芝居、コントだった。セットはパイプ椅子が三脚と白板が一つ。男性差別による被害を訴える集会という設定。しかしその集会には二人しか人がいない。この二人が自分たちが被った男性差別を語っているところに、三人目の男がやってくる。先にいた二人の男のミソジニー(女性嫌悪)の問題点を三人目の男性は冷静に指摘する。しかしこの三人目の男性はエキセントリックな性差否定論者が次第明らかになり、全裸主義という極端な主張をはじめる。一番まともそうだった三人目が実は一番どうかしていたという落ち。直前に見た中学生の芝居と比べると、劇団サムの団員の芝居はシャープでピントがしっかりあっている感じがする。スピード感と間の取り方が要となる芝居だが、15分間、勢いを保った小気味よい芝居だった。重めの芝居の幕間劇としてこういう芝居を置くのは効果的だ。

 最後の作品は『ハムレット』は40分ほどの長さの作品だった。最初に幕前でパネルを使ってシェイクスピア『ハムレット』の概要が観客に説明される。その後、幕が開くと女優三名の芝居になる。ハムレットの父の亡霊の場面を最初、かなり長い時間きっちりと三名の女優が演じるので、題名通り『ハムレット』の縮約版をやるのかなと思っていたらそうではなかった。『ハムレット』は劇中劇で、『ハムレット』のいくつかの場面と『ハムレット』の稽古をする三人の高校演劇部員の様子が交互に提示される。三人の演劇部員は『ハムレット』の稽古のなかで、『ハムレット』の登場人物の奇矯な振る舞いを批評しつつ、自分が演劇のなかだけでなく、日常においても何かを演じていることについての違和感について話しはじめる。日々の生活のなかで自分たちが抱えている葛藤と『ハムレット』の登場人物たちの葛藤が次第にシンクロしていく。当日パンフレットの記述によると、もともとは中学演劇で上演された作品だったそうだ。脚本としては、三人の学生のうち一人が進行性の重い病気にかかっていたという仕掛けが常套的で安易に私には思われ、私はいまひとつ入り込めなかった。学生演劇部員たちの会話の内容も人工的に思え、彼女たちと同世代の若者たちの声を代弁する台詞として捉えることはできなかった。ただ自意識過剰になりがちな若者たちは、「本当の」自分を率直さらして傷つくことを恐れているのか、自分と同世代のそういった若者たちの型を演じているように見えるように感じることがかなりあって、そういった意味ではこの『ハムレット』は若い世代の人たちの心に響くところがあるのかもしれない。

 メイン演目の『楽屋』の上演がなくなったのは残念だった。私は劇団サムの立ち上げ時の七年前からこの劇団の公演を見ている。『楽屋』に出演する4人の女優のうちの何人かは、これまでの彼女たちが出演した舞台の記憶が残っている。十代後半から二十代前半は人生の激動期であり、外見のうえでも、内面的にも、大きな変化のある時期だ。劇団サムは出自が中学演劇部ということもあり、これまでの公演はどちらかというと学校演劇の雰囲気が強い作品の上演が多かった。主宰の田代卓は中学演劇部の顧問であるし、退職した今も、団員たちにとっては常に先生だ。劇団サムは中学演劇のエートスを引き継ぎつつ、思春期後期から大人になりつつある若者たちが、ここに居場所を見いだし、演劇活動を続けているところに特徴がある。『楽屋』は実は高校演劇でもしばしば上演される作品みたいだが、劇団サムの活動の中で少女から大人になった女優たちがこの作品にどう向き合って、どのように表現するのかは、7年間、この劇団を見てきた私にはとても興味深い挑戦に思えたのだ。また近いうちに劇団サムによる『楽屋』を見る機会がありますように。

 

2022/07/17 平原演劇祭2022第13部「#カレー市民」

平原演劇祭2022第13部「#カレー市民」

  • 日時:2022/7/17(日)14:00
  • 場所:目黒区烏森住区センター調理室(中目黒駅徒歩15分)
  • 料金:1000円+投げ銭(食事付き)
  • 演目:「下司味礼讃」(原作:古川緑波)、「カレー市民」(原作:牛次郎)
  • 出演:池田淑乃、夏水、片山幹生、高野竜

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2022/06/19 平原演劇祭2022第10部「#貧学生5」

平原演劇祭2022第10部「#貧学生5」

  • 6/19(日)13:30-16:00
  • 大田区池上梅園茶室清月庵(都営地下鉄西馬込駅東口徒歩10分)
  • 1100円+投げ銭
  • 演目:田宮虎彦「菊坂」「落人」、高野「現実十夜」
  • 出演:最中、高野竜

 平原演劇祭の田宮虎彦朗読シリーズ。このシリーズは平原演劇祭のなかでも客の入りが悪い。田宮虎彦が現在ではもう忘れられた作家であるし、しかもその作風は地味で暗い。さらに朗読というささやかな上演形態ゆえどうしようもないのか。

 観客の側としてはこじんまりした人数で朗読に耳を傾けるというのは、なかなかしみじみとしていてよいものではある。twitter上の発言では、観客数をけっこう気にしている感じもある平原演劇祭主宰、高野竜だが、田宮虎彦シリーズに関しては、とにかく一人でも観客があればそれでよし、といった感じで、観客数を増やしたいという意欲は感じられない。とにかく忘れられた作家、田宮虎彦の小説を朗読というかたちで現代に呼び戻すことに、大きな意義を感じているようだ。

 今回の上演会場は、これまで平原演劇祭ではつかったことのない会場だった。私もはじめて足を運んだ場所だ。最寄り駅の西馬込駅もはじめて降りた駅だった。日蓮宗の大本山の池上本門寺に隣接する公園内にある茶室だ。茶室のある池上梅園は区立の庭園だが、築山がある美しい庭園だった。時間があれば散策したくなるような場所だったのだけれど、会場に到着したのは開園時間ギリギリだった。地下鉄の駅から、灼熱の夏の日差しのなかを早歩きで来たので汗もびっしょり。

 

 観客は田宮虎彦朗読シリーズにしては多くて、5-6名いた。16時半までに茶室を退去しなくてはならないとかで、予定していた13時半に平原演劇祭2022第10部「#貧学生5」ははじまった。

 公演会場は茶室なので冷房はなかった。しかし幸い茶室のなかはそれほど暑くはなく、汗はまもなく引いた。最初の演目は田宮虎彦の陰鬱な学生時代を描いた私小説「菊坂」の朗読から始まった。読み手は最中、赤い和服を着ていて妙になまめかしい。和室の空間と合っている。

 「貧学生」とあるとおり、「菊坂」は絶望と孤独のなかで鬱屈した学生生活を送っていた田宮の暗い青春が淡々とした筆致で綴られている。皇太子誕生で日本が沸き立っていた日のこと、というと1933年のことだ。作者の分身である主人公は、母の死を告げる手紙を受け取る。この母の死を告げる手紙が、リフレインのように小説中で何回か反復される。どーんとした重い塊に徐々に押しつぶされるような主人公の生活と心理が淡々と綴られる。同じ下宿に住む他の若者たちに襲いかかる現実もまた暗い。将来への希望のかけらもない彼らの日常と皇太子誕生で浮かれる日本の狂騒ぶりが対比される。

 朗読時間は90分くらいだったように思う。古ぼけた茶室で、妙に官能的なかっこうの最中がいろいろな姿勢で読んだ。朗読中、斜め上からの照明が彼女を照らしていた。その読み方は田宮虎彦の文体のように淡々としたものだった。

 トイレ休憩のあとは高野竜による「落人」の朗読があった。こちらの朗読時間は40分ほどだったように思う。



 「落人」は、フィクションの幕末歴史小説連作《黒菅藩》ものの一つだ。維新勢力に追い詰められた黒菅藩は降伏・和睦を模索するものの、家臣の山崎剛太郎の暴走によって絶滅に追いやられる。「落人」は、黒菅藩滅亡の原因となった山崎剛太郎のなりふりかまわない逃走の様子を描いた短編だった。

 高野竜がこの数年、平原演劇祭で読み続けている田宮虎彦の小説は、大きく架空歴小説の《黒菅藩》ものと作者の暗い青春を描く私小説《貧学生》ものの二系統があるが、この二つの流れが統合されるのが、田宮虎彦の代表作とされる『足摺岬』だと言う。平原演劇祭の田宮シリーズはまだ続く。

 「落人」読了後、退室時間まで余裕があったため、今度は高野竜の実録体験語り、「現実十夜 その7」が上演された。バックパッカーとして貧乏旅行をやっていた高野が、台湾から密航船で沖縄になんとかたどり着いたところで、どうにもお金がなくなってしまい、親に郵便局宛て送金を頼んだところ、郵便局員の間違いで20万円の大金が振り込まれたことになっていたという話だった。

 

 《夢十夜》にちなんで、《現実十夜》となっているが、高野のこのシリーズはこの第七話で完結という。高野が実際に経験した奇妙な出来事が漫談風に語られるシリーズだ。いずれ全話を語る機会を設けたいとのこと。

 私自身も自分の《夢十夜》ないし《現実十話》を考えてみたいなと思った。

 終演は茶室の利用時間があるため、16時半前に。まだ日差しは強くて、暑かった。

22/05/15 第13回森本商店街一座公演@金沢おぐら座

 金沢市の大衆演劇場、金沢おぐら座には2015年の正月明けに南條光貴劇団の公演を身に行ったことがある。おぐら座のある場所は金沢市内と言っても、兼六園などの観光ポイントのある金沢中心部から二駅離れたところにある森本駅前で、観光地の活気とは無縁のがらんとした場所だった。このときの観客の数は5、6名だけだったが、この少数の観客のために劇団は手を抜くことなくフルサイズの充実した公演を見せてくれたことに感動したことを覚えている。
 今回見に行った森本商店街一座は、この金沢おぐら座を拠点とする商店街店主たちによる劇団で、大衆演劇のスタイルのヤクザ芝居を上演している。公演は5月15日(日)の昼夜の二回公演だった。私は12時半から始まる昼の部の公演を見た。
  劇場に着いたのは午前10時過ぎ。森本駅前には商店街らしい賑わいはなかった。やたらと広いロータリーが駅前にあり、ロータリーの前の道路沿いにお店が数件並んでいるが、人通りはない。劇場は駅前のロータリーのすぐそばにあった。金沢おぐら座はもともとはショッピングセンターだったらしいビルの一角にあるが、金沢おぐら座以外の店は営業していないようだ。そもそもショッピングセンターの入り口がどこかわかない。

 

 
 昼の部の開演は2時間後だったが、劇場に人の出入りがあったので、おそるおそる劇場のなかに入ってみる。すると森本商店街一座の俳優の方がスタンバイしていて、時間を間違えてやってきた私たちを不審がることもなく、気さくに応対してくれた。昼の部の会場時間までの2時間以上あったので、金沢市民芸術村を見学し、蕎麦屋で昼食を取って時間をつぶした。正午過ぎに劇場に戻ったが、劇場はほぼ満席だった。金沢おぐら座のウェブページによると、金沢おぐら座は120席の収容力があるが、今は新型コロナ対策で座席間隔をゆったり取っていたので観客数はおそらく70-80人だったと思う。

 開演時間になるとまず金沢おぐら座の社長、鷹箸直樹氏より10分ほどの前説口上があり、森本商店街一座結成のいきさつや今回の公演にいたるまでの経緯などが語られた。この鷹箸の前説はほとんどプロの芸人といってもいいほど見事なもので、軽妙な話術でギャグを効果的に交えつつ、観客を笑わせ、盛り上げていく。一座結成の経緯をこの前説で聞くことができたのは、ありがたかった。最初の口上の巧みさだけで、鷹箸直樹氏が相当な人物であることをうかがい知ることができる。
 北陸新幹線開通で観光スポットが集中する金沢駅周辺は急速に発展していったが、その一方で昔からの商店街は放置されたまま寂れていく一方だった。そこで県内の商店街が行政に商店街振興のための助成を求めた。森本商店街が求めたのは、商店街の店主たちが結成した大衆演劇劇団一座への公演助成だった。ちなみに助成金は50万円だったとのこと。今回の上演には地元テレビ局の取材が入っていた。石川県知事の馳浩が来ていたのには驚いた。馳浩は本編上演前にもう一人の県会議員とともに舞台にあがって挨拶をした。観客は大喜びである。

 
 上演された作品、『新伍ひとり旅』は、上演時間90分のフルサイズの本格的大衆演劇だった。舞台映像はyoutubeで見ることができる。
 道場に通う異母二人兄弟の新悟とたつまが主人公。兄の新悟は弟のたつまが気に食わず、なにかと理由をつけてたつまに意地悪をし、いじめる。そんなおり、道場の裏山に出没する山賊退治に、道場の門弟のうちのひとりが行かなくてはならなくなった。くじ引きで兄の新悟が山賊退治をすることになったのだが、兄が出かける前に、たつまは一人で山賊退治に出かける。新悟はそれを知ると、急いで裏山にかけつけ、弟に代わり、山賊たちを成敗する。この後、二人の兄弟は和解するが、新悟はこれまでの自分の言動を反省し、修行の旅に出る。
 

 メインとなる役柄は金沢おぐら座で今月公演中の藤間劇団の役者が担当し、劇の主筋を進めていく。今回出演した商店街一座の座員6名(うち女性1名)は、道場の門弟などの脇役をもっぱら担当し、藤間劇団俳優が演じる主要登場人物に茶々を入れたり、自分たちの店の宣伝や内輪ネタ、楽屋落ちで、客席の笑いを取っている。藤間劇団とのコラボは今回が初めてだが、おそらくこれまで毎回、プロの俳優によるしっかりとした芝居を見せた上で、素人連中の内輪芝居で観客の笑いを取るというスタイルで作品が作られているのだろう。商店街店主の演技は必ずしも達者とは言えないけれど、その素人芝居の介入はコントロールされたもので、主筋となる芝居とのバランスが絶妙だ。内輪の観客ではない私たちが見ても思わず爆笑してしまうような場を作っていて、90分の芝居にだれたところは感じない。芝居を見せているという緊張感がずっと維持されていた。藤間劇団とは公演の数日前に会食をかねた打ち合わせをやり、そのときに藤間劇団座長が商店街一座の俳優の個性を生かすべく演目の選定と配役を行い、二日ほどの稽古でこの日の本番を迎えたと言う。しかし玄人芝居と素人芝居の見事な案配は、大衆演劇の世界と商店街の世界の両方を熟知し、その橋渡しを担う金沢おぐら座社長、鷹箸直樹氏に負うところが大きいはずだ。

 芝居のあとは、藤間劇団の座長と鷹箸直樹氏の口上、そしてその後は、藤間劇団の俳優による舞踊ショーがあった。舞踊ショーの後半も森本商店街一座との共演になっていて、商店街一座の俳優のソロ歌唱に合わせて、藤間劇団役者が踊るという趣向になっていた。金沢おぐら座での藤間劇団公演としては、森本商店街一座の公演は番外篇ではあるが、大衆演劇を観に来た観客を楽しませる興行としての枠組みとクオリティは維持されていた。

 今でこそ、巡業中の大衆演劇劇団とのコラボで商店街一座が芝居を打つスタイルも確立され、商店街店主の座員の役者ぶりもさまになっていて、芝居を楽しんでいる様子ではあるが、この一座創設の前は演劇経験のない素人集団だったはずだ。芝居経験のない商店店主たちを説得して、芝居の興行にこぎ着ける手腕は尋常なものじゃない。相当強力なコミュニケーション能力とマネージメント能力が必要となるはずである。金沢おぐら座の鷹箸直樹氏は裏方に徹し、芝居には出演していないが、このユニークな商店街振興プロジェクトの旗振り役となったのは、鷹箸直樹氏であることは間違いない。森本商店街一座は来年10周年を迎えるという。公演は今回が13回目なので、年に複数回の公演を行っていることになる。商店街一座の立ち上げの経緯についても今後、取材してみたい。