閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

隣にいても一人 関西編

青年団プロジェクト
http://www.seinendan.org/jpn/blog/07tonari/news/

ネタバレ含む。
ある朝、起きると突然義理の姉(実兄の妻の妹)と夫婦になっていた、という不条理な設定から唐突に始まるコメディ。兄弟二人、姉妹二人の四人が登場人物。姉と兄は結婚し、子供がいるが、離婚まで秒読みの状態となっている。
弟と妹は親戚としての面識はあるものの、これまで親しいつき合いをしたことはない。この弟、妹が夫婦になってしまったのだ。彼らが夫婦になってしまったことへの説明はない。この登場人物の誰もが説明できない。しかし弟、妹の二人は不可解ながらも、この状況を素直に受け入れている。
夫婦になってしまった弟妹夫妻に、離婚寸前の姉兄夫婦が介入する。夫婦関係とは何だろうという問いかけが生じる。
全般に軽快なコメディで笑いどころが豊富。

今日は僕は通路側の席で見ていたのだけれど、お隣さんは作・演出の平田オリザ氏だった。彼が一番よく舞台に反応して笑っていたように思えた。

英語版を含め、8つの方言版で同じテクストが演じられるという試み。ずいぶん実験的な試みだと思う。スタンプカードがあって6つ以上見ると商品が貰えるらしいが、果たして8バージョンすべてを見る観客はどれくらいいるのだろう。全バージョンを見ると貰えるマグカップがとてもかわいらしい。8つは見られないけれどあれは欲しいなと思った。
僕は来週火曜日に英語版を見る。

おそらく今日の役者はみな関西出身なのだろう。関西人同志のカップルである僕の弟夫婦のやりとり、弟夫婦にからむ際の僕の口調などが、役者の演技に重なる。関西で上演された際は「そうそうそう」と膝うちしながら観客は舞台を観ていたに違いない。役者の会話の間のとりかた、対話のリズムがとても心地よく感じられた。

僕は神戸出身だが東京に来て以来、東京では基本的に関西弁をしゃべらない。帰省のときには一時的に関西弁になり、その直後は東京でも関西弁を引きずることはある。周りがそうなので自然に関西弁が消えてしまったのだけれど、会話が常にどこか「演技的」で、互いに滑らかに反応し合う関西弁ののりを僕は失ってしまったことはとても残念に思っている。関西弁でしゃべっているときは、会話が途切れて気まずい思いをする、なんてことはほとんどなかったように思うのだけれども。
今では東京で関西弁を使うのがかえってわざとらしくなってしまった感じで、標準語で喋るのが普通になっているのだけれども、関西弁で喋っていた頃にくらべると明らかに言葉の出方がぎごちない。年齢とか周りの環境の影響も強いからだと思う。

妻も兵庫県南部地方出身なので母語は関西弁なのだが、出会ったのが東京なので妻とも関西弁で話すことはほとんどない。互いに関西弁で話していたらもっと仲良くなれていたかな?