閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ジャックとその主人

テアトル・デュ・ムーランヌフ
http://www.komaba-agora.com/line_up/2008_09/moulin-neuf.html

  • 原作:ドゥニ・ディドロ
  • 翻案・演出:イヴ・ブルニエ
  • 美術:オリビエカンパニー
  • 衣装・メイク:エリ・アタナシオ
  • 照明:クレモン・ロベール、ヤン・ゴダ
  • 音楽:ヴァロントン・フェヴラ
  • 翻訳:芳野まい、田中晴子
  • 出演:イザベル・ボニロ,ヨハンネ・クノイビューラー,オリヴィア・シーキィ・トリンカ,アッティリオ・サンドロ・パレーズ,フランク・アルノードン
  • 上演時間:2時間20分(休憩10分)
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆
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こまばアゴラ劇場国際演劇月間「キスフェス」の企画公演のひとつ.フランス語圏スイスの劇団の公演.
18世紀のフランスの啓蒙思想家,百科全書の編纂者としても知られるドゥニ・ディドロの小説,『運命論者ジャック』を舞台化したもの.「すべては天に書かれている」というのが口癖の下僕ジャックとその主人は旅の過程で互いの恋愛遍歴を披露しあう.その二人の話に宿屋の女将も介入し,彼女が聞き知った恋物語を語り始める.三人はそれぞれ自分以外の人間が話している最中に割り込むので,恋物語は脱線に脱線を重ね,永久に終わる気配がない,というお話である.
目まいのするような饒舌と駄弁のなかで,三人の語っている今と語りのなかの過去が交錯する.ときに作者自身が物語世界に介入することもある.中世以来の艶笑教訓譚的な素朴な語りもの文芸の雰囲気を保ちつつ,表現について自己批評的であり,世界と存在について哲学的でもあるようなカオスを味わうことのできるきわめて独創的な小説だ.

この二月に串田和美白井晃,内田由紀によって上演された『ジャックとその主人』は,チェコ出身でフランス語で書く現代作家,ミラン・クンデラによるディドロの小説の翻案戯曲だった.原作の混沌とした世界観に忠実に,その混沌とした世界をコンパクトにまとめた優れた翻案だと思う.
スイスの劇団による今回の公園は,邦題こそミラン・クンデラ版と同じだけれど(本来なら混乱を避けるためにオリジナルタイトルに沿った『運命論者ジャック』としたほうがよいと思う),テクストは劇団のイヴ・ブルニエが原作の小説から再構成した作品だった.これもまた原作の世界観を違和感なく忠実に伝える優れた戯曲化だと思った.

三台の大きなテーブルと障子のようにも見える書割の背景,そしてカーテンといった素朴な舞台装置を狭い舞台で移動させることでさまざまな場を表現される.終始暗めの地味な照明で照らされた簡素な舞台で,18世紀風の衣装を身につけ演じられたこの舞台は,フランスの地方の市などで粗末な演台上で演じられていた小芝居の雰囲気を想起させる.
5人の役者が衣装を替えることで複数の役柄を演じわける.エピソードのつなげ方,交錯のさせかたにも工夫があった.劇中劇的に回想場面を再現するのを,語りの時間にいる人物を演じる役者たちが眺めるといったメタ演劇的構造の示し方がとても洗練されていた.膨大な台詞に役者が振り回される雰囲気もなく,それぞれがそれぞれの場の役柄をきっちり演じ分けていたことに,フランス語圏役者の技量の高さを感じた.テクストの内容が役者たちによって咀嚼されているように感じられた.とりわけ下僕ジャックを演じた役者の達者な演技が印象に残る.また若いふたりの女優のすがたかたちがとても美しい.

田舎の旅芝居風の素朴な雰囲気のなかで,演劇や言葉に対する先鋭的な問題が提起される刺激的な舞台だと思った.こんな舞台がパリのような大都市ではなく,小さな地方都市で見ることができるのだから,フランス(この劇団はフランス語圏スイスの劇団だが)の演劇民度はたいしたもんだと思う.

問題点もあった.前半はとにかくおはなしと登場人物がごちゃごちゃしていて,原作を一応読んだことのある僕もかなり混乱した.パンフレットに登場人物一覧と概要の説明のようなものがあればよかったと思う.
台詞量が膨大でかなり早口なので,字幕翻訳で提示される情報量が多すぎて消化しきれないところもあった.映画字幕なみに,とはなかなかいかないだろうが,字幕演劇の場合に,字幕の提示のしかた,出すタイミングなど,もうちょっと研究と工夫が必要だ.金と時間の問題があるのだろうけれど.
字幕翻訳じたいは,ややこしいテクストがわかりやすい平易な日本語にうまく置き換えられていた.