閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

川のある町に住んでいた

多摩川アートライン2008 特別車両多摩川劇場
http://tamagawa-art-line.jp/2008/10/2008_4.html

  • 作・演出:柴幸男
  • 出演:宇田川千珠子(青年団)、黒川深雪(InnocentSphere/toi)、鯉和鮎美、斎藤淳子、菅原直樹、武谷公雄、藤 一平

私の町には川があった。用もないのに私はよくそこへ行った。堤防にはいつもまばらに人がいた。犬の散歩をする人、砂場で遊ぶ子供、野球をしている人、寝てる人。そこにいるのはいつも見知らぬ誰かだった。

多摩川アートライン2008というイベントのなかで、中野茂樹や柴幸男らが東京多摩川線の電車のなかでパフォーマンスを行うという企画。
http://tamagawa-art-line.jp/2008/10/2008_4.html

走る電車のなかで芝居を見るなんて、それだけでなんか楽しそうである。しかも柴幸男、中野茂樹作・演出となればなおさら普通とは違う、特異な体験ができるのかと期待せずにはおられない。
Webページをのぞくと、パフォーマンスの時間は15-30分ほどだとある。パフォーマンスは2時開始だが、午前11時に多摩川駅に行って整理券をもらわなくてはならない。
東京の西北のはずれにある自宅から、未踏の地であった多摩川までは1時間強かかる。うーん、15分ほどのパフォーマンスのために早起きして、待ち時間を含めると6時間ほど使うことになる。でも滅多にない出し物だけにやっぱり見てみたい気がする。中年男一人で参加するのはあまりにもさびしい感じがしたので、娘に声をかけた。「お友達と約束もないし、行っていいよ」と返事があったときはうれしかった。

整理券配布開始時刻である11時の10分ほどまえに多摩川駅に到着。すでに整理券を求める人の列が出てきた。3両編成の特別列車のなかで公演を行うらしい。各両ごとでパフォーマーが異なり、3つのパフォーマンスのうち、1つを整理券をもらうときに選ばなくてはならない。複数のパフォーマンスを見ることは残念ながらできないのだ。中野茂樹のやつも見たかったのだけれど、1つだけということなので柴幸男の演目を選ぶ。整理券をもらうと13時35分の東急多摩川線蒲田駅の二番ホームでの集合までやることはない。蒲田駅多摩川駅から15分ほどのところにある。
多摩川駅の壁面に子供たちが落書きをしていたので(これも企画のひとつ)、娘もどさくさにまぎれてというかんじだったが、時間つぶしのため、それに参加させる。一応黒田征太郎という画家の指導に基づくワークショップだったらしいが、このおじさん、笑顔で眺めているだけでほとんど放置状態だった。最後に一応講評らしきものがあったのだけれど、「みんなたのしくて、すばらしぃぃ。わーっ。はははは」と言っただけだったなのもすごい。

蒲田までの多摩川線の沿線の駅で美術作品の展示がされているとパンフレットにあったので、蒲田の二つ前の武蔵新田で降車した。「日本を代表するグラフィックデザイナー」(パンフより)である浅葉克己が、この駅のそばにある新田神社に関連する作品をいくつか展示しているとパンフに記載されていた。他の駅より展示物の数が多いし、蒲田に直接行っても向こうで暇をもてあますのではと思って途中下車したのだ。

武蔵新田はこんな機会でもなければまず降りて散策することなどまずないような、狭い道が交錯するなかに、ちょっとくたびれた感じのささやかな商店街のある町だった。ここでおなかがすいたのか疲れたのか、娘がぐずぐず言い出した。作品が展示してある新田神社に行きたくないなどと言う。新田神社は駅から歩いて5分ほどのところにある、これまたごく平凡な小さな社だった。浅葉克己が設計した大理石の卓球台(ここを訪れるひとの交流用らしい)が境内に設置され、彼のデザインによる「LOVE御守り」などが売っていた。御守りがほしいと娘がぐずる。結局買ってやる。しかし彼女が選んだのは浅葉克己デザインのモダンな「LOVE御守り」ではなく、神社が前から売っていた何の変哲もない緑色の「開運長寿」お守りだった。せっかくこんなイベントでここに来たのだから「LOVE御守り」を薦めたのだけれど、「開運長寿がいい。そんなにLOVE御守りがほしいのだったら、パパが自分で買えばいい」と娘は言う。開運長寿のお守りだけを買う。
神社の向かいにあったこれまたものすごく典型的な町のお蕎麦屋さんに入り(マクド禁止令が妻から出ていたので)、娘はもりそば、ぼくはもりそば+小カツどんセットを食べる。近所のおじさんがお酒を飲んでいて、そこそこ繁盛しているようだった。

ご飯を食べた後、蒲田に移動。集合時間まで20分ほどホームで時間をつぶす。ダイヤの合間をぬって、この「多摩川劇場」のための3両の専用列車が用意される。集合時間の1時35分から何分か過ぎたころに電車がホームに入ってきた。電車内で女装したり、踊ったりする演者の姿が、ホームから窓越しに見える。柴幸男の出し物「川のある町に住んでいた」は先頭車両だった。車両に入ると床には子供が描いたようなクレパス画が通路に敷き詰められ、中央にはプラレールの線路がまっすぐ車両を分断している。
午後2時に予定通り電車が出発する。芝居は電車出発とともに始まり、電車が多摩川駅に到着すると同時に終わる。ほぼ15分ぐらいの長さのものだった。芝居の進行中、中央のプラレール上をゆっくりとおもちゃの車両が縦断していく。登場人物のひとりはこの蒲田-多摩川間を走る東急多摩川線の電車であることがあとになってわかる。彼はこの沿線への引越しを考えている若い夫婦に、この沿線の説明をする(だから最初は電車役の彼を不動産会社かなんかの人間を演じているのかと思っていた)。電車が進むにつれ、この若い夫婦は沿線に住むちょっと奇妙な人たち(ものたち、動物たち)に出会う。沿線の「商店」だというひとや、「猫」や、「気候」などの寓意的な人物である。
沿線の不思議さにとまどいつつも、多摩川につく頃にはどうやらこの夫婦もこの沿線のことが気に入ったような雰囲気である。彼らにこの沿線を紹介していた「電車」は、彼らが降車する直前に、「沿線のそばを流れる川の音はいつも聞いているのだけれど、川を見たことは一度もないのです」とつぶやく。

15分ほどの時間制限のなかで、多摩川線という属性を利用した芝居を作る。これは創作にあたってかなり厳しい制約である。この制約のなかで、アレゴリー的人物を使ったファンタジックな物語をこのような形で提示するアイディアが出てくるのは本当にすごいことだと思う。「人間」「社会」「美」といった抽象概念が擬人化された人物が登場する寓意劇はヨーロッパの中世において盛んに制作されたジャンルだが、寓意劇がこのような形で現代の日本で実現してしまうとはまったく驚くべきことだ。柴幸男の芝居を観るのはこれが三度目だが、その独創的発想にはいつも驚かされる。平凡を主題としながらその平凡を非凡なアイディアによって演劇的に提示し、新鮮な驚きをもたらすその手腕には天才を感じずにはおられない。

多摩川駅に到着し、芝居は一応幕となる。しかしその後、おまけがある。そしてこのおまけがめっぽう楽しかったのだ。使用した車両が10分後に別の場所へ移動するために、大急ぎで撤収作業をしなくてはなないことが役者から告げられ、撤収作業がはじまる。そこでこの後30分ほどのおまけがあることが告げられる。おまけに参加する観客はプラレールの切れ端(30cm)ほどを各自渡され、役者の誘導のもと、駅舎を出てとある場所に移動するよう求められる。
多摩川駅から3、4分ほど歩いたところに浅間神社という小さな神社がある。この神社は数十メートルの高台にある。観客はこの神社に通じる急な坂道の参道に並ばされる。そして手にしたプラレールを隣同士でつなぐよう指示される。川を見たことのない「電車」に川を見せるために、川を見渡すことのできるこの神社の高台までレールをつなげていくというのだ。「電車」が通り過ぎると、レールをもって先頭に走り、レールをつなぐ。これを繰り返しす。「電車」はレールの上を伝って徐々に登っていく。
「電車」が頂上の見晴らし台まで到着し、川を見ることができたところで、本当の幕となる。ごくたわいのないお遊びなのだけれど、この仕掛けがなんかむちゃくちゃ楽しいのだ。僕の娘もはりきって、大喜びでやっていた(「6回もレールをつないんだよ」とあとで自慢していた)。

この「おまけ」も含めて終了したのは午後3時前だっただろうか。終わった後は展望台で川の景色を眺めた後、神社の境内でどんぐり拾いをしてから帰った。実に楽しく充実した一日だった。

全長6キロに満たない小さな私鉄路線が舞台のささやかなイベント(車両の貸切など、実際には大変なのかもしれないけれど)である。沿線にとりたてて珍しい観光資源があるというわけでもない。ごく平凡な、どこにでもありそうな私鉄路線で繰り広げられた、このアートイベントの牧歌性、そしてその趣味のよさは驚くべきものだと思う。昨年からはじまったイベントらしいが、企画陣の発想の柔軟さ、スマートさに感心した。芸術を使った町おこし、活性化のひとつのモデルであるように思う。

町の中に芝居を持ち込むという試みは、寺山の市街劇の時代、あるいはそれ以前から連綿と存在するが、このところポタライブ(僕はまだ未経験)や PorteBの活動などがあり、また盛んになっていく気配がある。今後の劇場の外での演劇の展開にも注目し生きたい。僕はもともとこの手の試みが好きなほうだ。
パリにいたとき、メトロの通路や車内で演奏する大道芸人を眺めるのがとても楽しかったことを思い出した。