閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ピアニストになりたい!:19世紀 もうひとつの音楽史

ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史

ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史

  • 評価:☆☆☆☆
                                                                              • -

『オペラの運命』(中公新書、2001年)、『西洋音楽史』(中公新書、2005年)の著者による十九世紀のピアノ・レッスンの歴史。平易なことばによる表現と独創的な切り口で、音楽史的事実の解説を通し、当時の社会のすがたを鮮やかに描き出すスタイルは、この著作でも踏襲されている。見出しなどが俗に傾きすぎて、文章ののり重視でことばの選択も軽くなりすぎているように感じたところもあったのだけれど、全編を通して読むとやはりとても面白い。
ピアノは19世紀に急速に発展し、完成した楽器だ。その改良と発展には近代市民社会の成立によって台頭したブルジョワ市民の嗜好が大きく関与している。それまで芸術音楽の受容層であった貴族階級と比べると、成金のブルジョワたちは芸術に対する「よい趣味」などは持っていなかった。現代でも「指がよく回る」、「正確無比の演奏」などの高度な技術は、大半の聴衆にとって演奏に対する重要な評価基準であるように感じられるが、こうした指標が大きな価値を持つようになったのは19世紀以降だという。18世紀の教則本と19世紀以降の教則本を比べてみると、この二つの時代の音楽美学の違いがよく対照される。
明瞭で均質的なタッチで派手な装飾のカデンツァを快速に弾く、19世紀ブルジョワがピアノ演奏に求めていた美学を端的にいうとこういう具合になる。そしてこの美学に基づき、「ハノン」のような指体操のマニュアル的教則本と指導法、そしてさまざまな奇妙な「指筋力養成器具」が登場する。著者はこれらに現れたピアノの「スポーツ化」現象から、当時の産業社会、ブルジョワ社会の価値観を読み取っていく。

19世紀のピアノの訓練方法に見られる発想は、音楽をその全体性のなかでとらえるのではなく、大きな動きを単純なパーツに分解し、それを反復することで習得し、最後にパーツを結合することで力強い全体をくみ上げるというものである。筆者はこの発想を、近代工場における分業や軍事教練のありかたとのアナロジーで捉える。機械的な指運動を強いる当時のピアノ教則本や「指強化器具」、音楽学校での集団的指導法に、筆者は産業社会特有の効率化のバリエーションを見る。19世紀のロマン派の華麗な音楽は、芸術至上主義の美学のもと、それまでの音楽美学にみられない一切の世俗を超越した精神性を喧伝してたが、その超俗的な音楽の下部構造を支配してきたのは「ピアノの練習」にみられる近代資本主義的な論理だった、という筆者の結論で示されたアイロニーは非常に興味深い。

より早く効率的に外国語を習得できるかのような夢を見せる、さまざまな外国語学習教材、教育方法もこの19世紀の「ピアノ学習」と重なる部分があるように思った。ただ外国語の場合は、現地で生活しなくてはならないとかの学ぶための切迫した必要性があればどんなやり方をしようとある程度は身につくのに対し、芸術についてはどんなに努力したとて、もうほとんど先天的なレベルでその限界が定められているのが残酷なところだ。