第一部「船出」Voyage 第二部難破Shipwreck 第三部漂着Salvage
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/09_coast/index.html
- 作:トム・ストッパード
- 翻訳:広田敦郎
- 演出:蜷川幸雄
- 美術:中越司
- 照明:室伏生大
- 音楽:朝比奈尚行
- 音響:鹿野英之
- 衣装:小峰リリー
- 出演:阿部寛、勝村政信、石丸幹二、池内博之、別所哲也、長谷川博己
紺野まひる、京野ことみ、美波、高橋真唯、佐藤江梨子
水野美紀、栗山千明、とよた真帆
大森博史、松尾敏伸、大石継太、横田栄司
銀粉蝶、毬谷友子、瑳川哲朗、麻実れい
- 劇場:渋谷 シアター・コクーン
- 評価:☆☆☆☆
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三部作で上演時間が計9時間という超大作。僕は通しではなく、各部ごと、三日間で見た。
第一部では十九世紀前半、バクーニン一家の四人姉妹を核に十九世紀前半のインテリゲンチャの青春群像が描かれる。この四人姉妹がみな愛らしい。ロシアが舞台で、姉妹が出てくるからってのもあるけれど、チェーホフの作品世界と何となく重なり合う。時系列にエピソードが展開するのではなく、一幕目と二幕目で年代が重なり合う。構成されるエピソードの数が多いので二幕はじまってしばらくはかなり混乱していしまった。
第二部では舞台はロシアから、ゲルツェン夫妻の移住先のフランスに移る。パリでロシアの若きインテリたちは1848年の二月革命に立ち会う。王政が再び倒れ、第二共和制が成立する。強い祖国愛と社会改革への希望に燃えつつも、資産を食いつぶしながら優雅な「亡命」生活を送る彼らには、どこか倦怠と退廃が漂うようになってきた。第二部のエピソードの核となるのはアレクサンドル・ゲルツェンとその妻ナタリーなのだけれど、この二人を演じる阿部寛と水野美紀の芝居がひどい。水野美紀はおっぱいを出さなければならない場面で偽乳をつけていて、大いに興ざめする。芝居ができないのならせめて乳首ぐらい出して欲しいものだ。
いくつか印象的な場面はあったけれど、全般的には演出が通常の蜷川作品よりは粗い感じがする。9時間、三本分を平行してやる、ということで、やはり時間不足だったのだろうか。各人物の人物像が平板で、それぞれの個性が明瞭に立ち上がってこない。
第三部の舞台の中心はロンドンのゲルツェン宅。強烈な信念と情熱を持ちつつ、祖国ロシアの未来のために奮闘しつづける一方、家庭内・友人間の激しい愛憎のなかで疲弊していった彼らもまた、その晩年には時代・運命という巨大な力に翻弄された己の無力に向き合うことになる。この虚無の深さに観客であるこちらもずーんと重い気分になる。しかし舞台の傍らで照明に照らされた若い次世代の人間の幸福感に満ちた姿は希望を象徴するものだ。チェーホフの『櫻の園』をやはり連想させるところがあるが、『ユートピアの岸へ』はそうしたモチーフを叙事詩的な壮大なスケール感のなかで描き出している。
三つまとめてみると、やっぱりずんとくるような重み、充実感を味わうことのできる豊かな芝居だった。29000円のチケット代はちょっと高すぎる感じはしたけれど、見に行ってよかったと思った。脚本がいいし、台詞がいいし。各部とも幕切れの演出は余韻の深い印象的なものだったが、とりわけ第三部が終わったあとの感動は深かった。一日で通し上演で見ていたらもっと陶然とした感覚を味わえたに違いない。
分厚いテキストに書き込まれたエピソードを、重ね合わせるように並べ、スピーディに展開させた演出アイディアも優れていた。派手ではなかったけれど、要所要所に印象的なスペクタクルを置いて、それが効果的なアクセントとなっていた。
役者の演技には全般的には不満を感じる。人物造型が不十分のため、演技が記号的、平板に感じられることが多かった。勝村政信のバクーニンは愛嬌があってよかったけれど。
美男美女役者がぞろぞろ出てくる芝居でもあった。第一部にしか登場しない愛らしいバクーニン四姉妹はその後どうなったのだろうな。
個人的には蜷川演出でコクーンでやるよりもむしろ、文学座あるいはtptあたりの上演でこの作品を見てみたかった。あるいはテレビドラマのような形でも見てみたい気がする。
ストッパードのこの大作を見ることができたのはやはり得難い体験だった。チケット代は少々高かったが、トータルでは満足感を得ることができた。