閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

通し狂言 仮名手本忠臣蔵

歌舞伎座さよなら公演 吉例顔見世大歌舞伎
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/11/post_49.html

  • 評価:☆☆☆☆
                          • -

六月の仁左衛門の「油地獄」以来、四ヶ月ぶりに歌舞伎座に行った。
仮名手本忠臣蔵』を昼夜通しで見た。昼夜両方一日で見るのは二年ぶりぐらい。「忠臣蔵」を通しで見るのはこれが二回目だ。歌舞伎の場合、だらだら見るのであんまり疲れない。時折眠るし。今回もちょくちょく眠りながら三階B席で見た。昼の部はほぼ満席だが、夜の部の三階席は空席がかなり目立った。

仮名手本忠臣蔵』は大序が一番好きだ。人形による役者の紹介のあと、じりじりとした幕開け、幕が開いたときの人形ぶりの役者の配置と色彩の美しさ、人形の状態でじっと動かなかった役者が動き始める瞬間の緊張感、役者の動きや衣装の色の様式美がとてもかっこいい。
芝居自体も、四七士の悲劇の原因を描く大序と三段目が、現代社会でもありそうな軋轢が戯画的に表現され、見ていて面白い。勘三郎の塩冶判官、きりっとしまっていて品格がある。野田歌舞伎でのはしゃぎぶりとは別人だった。師直の富十郎もすばらしい。悪役の意地悪・エロ爺だが、どっしりとした存在感があり、意地悪ぶりに愛嬌もある。八〇歳の年齢でもまだまだ精力抜群といった感じだ。四段目の切腹の場は今回も後半眠ってしまった。勘三郎演じる塩冶判官が腹を切るまでは集中して見ていたのだけれど、ぐだぐだ浪士たちが議論しているところで意識がなくなった。道行の勘平は菊五郎、お軽は時蔵。ぱっと舞台が春の菜の花畑で明るくなって目が覚めた。この二人の勘平=お軽は安定感があっていい。

昼飯は三階の歌舞伎座カレースタンドで食べた。伝統的日本のカレーライスだけれど、久々に食べると案外おいしい。

夜の部の最初、五段目も好きな段だ。菊五郎=勘平の流れるような動きが美しい。何年か前に見た海老蔵の定九郎が悪のまがまがしい魅力と美しさにあふれていて印象深いのだけれど、それに比べると梅玉の定九郎はインパクトが弱くて物足りない。あっさり出番が終わってしまった感じ。梅玉は呆然憮然としながら突っ立ている姿が味があるように僕には思える。
六段目の切腹の場は、舅殺しをしてしまったと思った勘平がどぎまぎして、落ち込んでいる様子が見どころだけれど、だらだらとした話の流れの遅さにいつも途中意識を失ってしまう。今日はかなりがんばって起きていたのだけれど、ばしっとほっぺに血をつけるいい場面を眠って見過ごしてしまった。
七段目の祇園のお茶屋の場、仁左衛門が由良之助、福助がお軽。六段目までのお軽は時蔵で、ちょっと「優等生」みたいな感じだったのが、七段目ではいきなり毒婦に変貌してしまった。遊郭というのは恐ろしい場所だ。恐るべき歌舞伎リアリズム。とはいうもの、福助にしてはしおらしい、抑制された芝居であったようにも思う。
また逆に、籐十郎が由良之助をやったときの妙にリアルなはじけぶり、ちゃらちゃらした感じが頭に残っていて、仁左衛門はそれと比べると単調ではめを外した感じが乏しい気がした。
この段も後半うつらうつらしながらの鑑賞となってしまった。ただ歌舞伎の場合は半睡鑑賞になっても、それはそれで心地よくて、あまり後悔しない。大詰めは十一段目の立ち回りの場面。ここは痛快なアクション劇をただ楽しむ。浅黄幕が切って落とされる場が二つ含まれているのもいい。泉の場面での歌昇錦之助の立ち回りがスピード感があって見ていて面白かった。気分爽快である。
歌舞伎で通しで鑑賞すると本当に芝居を見たーって充実感がある。