閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

十二月歌舞伎公演@国立劇場

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2840.html
頼朝の死 一幕二場

  • 作:真山青果
  • 演出:真山美保
  • 美術:織田音也、中嶋正留
    • 第一場  法華堂の門前の場
    • 第二場  将軍家御館の場
  • 評価:☆☆☆☆

一休禅師 長唄囃子連中

  • 作:坪内逍遥
  • 補綴:国立劇場文芸課
  • 振付:藤間勘祖
  • 美術:国立劇場美術係
  • 評価:☆☆☆☆

修禅寺物語 一幕三場

  • 作:岡本綺堂
  • 監修:天桜
  • 美術:国立劇場美術係

  第一場  伊豆修禅寺夜叉王住家の場
  第二場  桂川のほとり、虎渓橋のたもとの場
  第三場  もとの夜叉王住家の場

  • 評価:☆☆☆☆

真山青果『頼朝の死』、坪内逍遙『一休禅師』、岡本綺堂修禅寺物語』という近代に作られた歌舞伎作品三作品を並べるという国立劇場ならではのプログラム。出演は吉右衛門富十郎歌六歌昇芝雀、高麗蔵、錦之助など。期待通りの充実した舞台だった。大いに満足する。地味な演目が並んでいる感じがしたが客席はほぼ満席だった。花道外側、通称「ドブ」と言われている場所の最前列で見る。国立劇場だと二等席で2500円。花道での演技が間近で見られるのが嬉しい。歌舞伎座だと3階席専門なので花道は見えないことが多いので。

綺堂の『修禅寺物語』が目当てだったのだけれど、他の二作品も面白かった。というか他の二作品のほうがよかったかもしれない。『修禅寺物語』は戯曲は読んだけれども舞台は未見。他の二作品はいずれも初見である。

『頼朝の死』は頼朝の死後、第二代将軍頼家の時代の話である。源頼朝は落馬によって五十三歳のときに死亡したというのが通説であるが、その死因ははっきりしておらず他にも諸説あるらしい。真山青果の『頼朝の死』は、頼朝が女装して夜愛人のもとに通おうとしていたところを警備の畠山重保によって討たれたという説を土台としている。
主君を討ってしまったものの、幕府の権威維持のためにそれを隠しておかなければならない畠山重保(歌昇)の苦悩、畠山に恋をするが彼のかかえる秘密を知ってしまったためにその恋をあきらめることを強いられた小周防(芝雀)、父親に大きな劣等感を抱く頼家(吉右衛門)は父親の死の真相が自分には知らされていないことに激しく苛立っている、そして頼朝の妻、頼家の母である北条政子富十郎)は自らを殺し家の安泰を守ろうとする。各人の抱える葛藤が明晰な台詞によって細かく表現される。そうした台詞のニュアンスをしっかり伝える演技だった。頼朝の死の秘密を守るため、いきなり重保が小周防を斬り殺す場面がある。ひどい話だ。その前に重保への恋心を打ち明けていた小周防に「実は私も好きだった」と伝える妙にロマンチックなところもある。歴史劇の枠組と近代的な心理描写が作品のなかで結合している。上演時間一時間半ほど。

坪内逍遙の『一休禅師』は長唄舞踊だが上演機会は久しくなく、今回は補綴を加えた新制作の舞台だそうだ。一休を富十郎地獄太夫というすごい名前の遊女を魁春、そして可愛らしい禿を富十郎の娘(孫娘ではない)の愛子が演じる。この愛子ちゃん、まだ4、5歳だと思うのだが、彼女の驚異的な愛らしさに惹きつけられる。大観衆を前にしっかり踊りを見せて、花道から堂々と退場していった。すごいなあ。舞踊は相変わらず見方がよくわからないのだけれど、愛子ちゃんの破格の可愛らしさだけで十分楽しめる舞台だった。

修禅寺物語』は吉右衛門が主人公の面作り職人夜叉王、高慢な長女かつらが芝雀、夜叉王の弟子の妻となった娘かえでが高麗蔵、そして修禅寺に幽閉された二代将軍頼家が錦之助。夜叉王は富十郎の持ち役だったそうだ。吉右衛門がこの役を演じるのは今回が初めてだとのこと。吉右衛門の芝居は歌舞伎の演技の型がきっちり身体化されている安定感を感じさせるものだけれど、その芝居の臭みがあまり私の好みではない。死にゆく娘の断末魔の表情を面としたい、という最後のほうの台詞では、笑いがちらほら起きる。実は私も思わず失笑してしまったのだけれど。芥川龍之介の「地獄変」の主人公のような偏狭な芸術至上主義者の悲劇だけれど、その行き過ぎぶりが喜劇になっている。驕慢で身分の高い武士の側女となって社会的上昇を計ることに固執するかつらが、その驕慢さに殉じる覚悟が潔い。戯曲で読んでイメージした舞台とはちょっとずれがあった。別のキャストの舞台も見てみたい。