http://www.accircus.com/news/yorubenaionnatachi.html
- 作・演出・出演:バーバラ村田朋未
- 演奏者:きくちまゆこ(ピアノ)、るっぱ(サックス)
- 演出助手:チェリータイフーン
- 舞台監督:川俣勝人
- 照明:アイカワマサアキ
- 音響:木下真紀
- スチール撮影:GORO(STUDIO Deforma)
- 助っ人:加藤知子
- 衣装:岡崎イクコ
- 上演時間:75分
- 劇場:両国 シアターΧ
- 評価:☆☆☆☆★
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女性のパントマイム演者/ダンサーであるバーバラ村田朋未の単独公演。
昨年秋に大道芸で彼女のパフォーマンスを初めて見て、その表現が持つ独特の様式性に惹きつけられた。パリの場末のキャバレーで演じられるのがふさわしいような、レトロでノスタルジックな雰囲気が漂うパフォーマンスだった。エロチックで退廃的なけだるさもある。装飾性豊かな洒落た趣向のパントマイムだった。
時間や客層などの点で制限の厳しい大道芸だけでなく、彼女のパフォーマンスの劇場公演もあればぜひ見てみたいと思っていた。今は観劇自粛期間なのだけど、こうしたソロ公演の機会は滅多にないらしいので、足を運ぶことにした。
無言劇であるパントマイムでは音楽が重要であるが、今回の公演ではピアノ(きくちまゆこ)とサックス(るっぱ)による生演奏がバーバラ村田朋未の身体表現に共働する。「よるべない女たち」と公演タイトルは女性が複数になっている。強烈な孤独感を感じさせる「女」をパントマイムとダンスの表現で具現する村田自身以外に、その「女」と対話者、ダンス・パートナーとなる仮面、そしてピアノ奏者、さらに化粧し、女性の服装を身につけるサックス奏者の4人の女性が舞台に現れる。
観客の想像力に強く訴えかける表現の優れた象徴性に引き込まれる。いくつものシーンが自由な連想ゲームのように連なる。10分ほどの長さの各シーンはある一人の「女」、アレゴリックな存在としての女性が持ついくつかの情念を象徴的に描き出している。われわれの心の奥にひそむ「女」的なものが、パントマイム/ダンスという身体表現によって具現されているかのようだ。しかしそのイメージの自由放縦な連鎖は、完全に寝入る直前の半覚醒のときに思い浮かぶ妄想のようにはかなく、あいまいで、しっかりと捉えようとすると向こう側へ逃げていってしまう。各シーンの間のつなぎの暗さと静けさが深い。観客である私はその静けさと暗さのなかに「女」が宿命的に抱える孤独を感じ取らずにはいられない。
表現として圧倒的な強度を持っていたのは、冒頭部と終始部での仮面をつかった変則的な「デュオ」あるいは「二人羽織」の場面だった。仮面は自己の分身であり、自己の一部でありながら自己を映し出す他者でもある。ごにょごにょとぼろ切れの固まりからうごめきながら生み出された「女」は、またそのぼろ切れのなかにうずくまり、舞台から退いていく。
記憶と妄想の断片をコラージュしたかのような幻想的で独創的な舞台だった。難解でひとりよがりな作品ではけっしてない。パントマイムをベースとする彼女の表現の一つ一つは饒舌であり、こちらの想像力を親切に導いてくれる。暗闇のなかにぼんやりと浮かび上がる優しくて切なくてもの悲しい物語。そしてそこにはこちらをぎょっとさせ、不安にさせるような黒さがある。