閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

男の隠れ家を持ってみた

男の隠れ家を持ってみた (新潮文庫)

男の隠れ家を持ってみた (新潮文庫)

                                                                      • -

神戸の両親宅に帰省中。仕事の準備のための本や論文も持って帰ったのだけれど、実家に戻ると気分が緩んでしまい、時間はけっこうあるのだけれど難しい本を読む気になかなかなれない。

三ノ宮に映画を見に行った帰り、書店に立ち寄って見つけたのがこの本である。北尾トロ氏のエッセイは好きでかつてはよく読んでいた。力の抜けた独自な味わいのルポルタージュである。そこで扱われる題材の多くは深刻な社会的な問題ではなくて、大人になってもまだ心のどこかに持っているような未成熟な部分に訴えかけるようなとぼけた味わいのあるものだ。日常のなかでふと感じる疑問や違和感、あるいはわき上がる妄想、しかし日常のなかですぐに泡のように消えてしまうような些末な事柄が、彼のルポの主題となる。『探偵ナイトスクープ』的ではあるがもっと地味で、独自のペーソス、叙情味が北尾氏の文章にはある。

北尾トロは、ここ数年、裁判傍聴ルポやオンライン古本屋に関するエッセイがヒットして、相次いで著作が文庫化され、一気にメジャーなエッセイストになった。裁判ものエッセイにはちょっと食傷気味でこのところ北尾トロのエッセイを久しく読んでいなかった。『男の隠れ家を持ってみた』は三才ブックス連載のエッセイをまとめたもので、久しぶりに私の好きな北尾エッセイの味わいを楽しむことができる本だった。アマゾンのレビューでは評価が割れている。うーん、そんなに好き嫌いが分かれる作風なのか。

つげ義春に「退屈な部屋」という作品があり、これはつげ自身をモデルとする主人公が妻に内緒でアパートを借りて、時折隠れ家的時間を楽しむという話だった。この隠れ家は妻に見つかってしまうのであるが。つげの作品のなかでも私が好きな作品のひとつだ。つげのこの作品をはじめて読んだときは私は独身だったのだけれども、誰にも知られない隠れ家にひっそりと身を隠し、自分だけの時間を持つというのはとても魅力的に思えた。今は妻子ある身である。かなり自由に生きさせては貰っているけれども、それでも隠れ家を持つという願望はやはりある。もちろん風呂なしでいい。トイレも共同でかまわない。四畳半あるいは六畳一間の古ぼけたアパートを借りて、そこで時折ぼんやりと過ごすことを時折夢見る。

書籍の題名が示すように北尾トロ氏はこの隠れ家を持つという願望を実現したのだ。ライターの北尾トロではなく、本名の、無名の一中年として、それまで縁もゆかりもなかった北区の町にある小さなアパートを借りた。そしてゼロの状態からその町の住民として溶け込み、新しい世界のなかに自分の居場所を確保するという実験を行ったのだ。

こんな実験、うまく行くのだろうか。四〇後半の男が見知らぬ町で一人暮らしをはじめ、そこで新たな知己を得て、町に溶け込んでいくなんて。こうした懸念は北尾氏自身も当然持っていた。そして実際かなりの苦戦を強いられることになるのだ。農村によそ者が入ってくるのならともかく、東京の中心から外れた北区とはいえ大都市の片隅に中年男がひとり入り込んだとしてそうそう劇的な事件が起こるわけはない。奇人変人の巣窟のようなアパートだったらネタには困らないだろうが、北尾氏が望んだのは非日常的なエキセントリックな事柄ではない。

エッセイの題材になるようなネタになかなか巡り会うことができずにあせりつつも、この無為のアパート一人暮らしの時間のなかで、作者は自分を見つめ、家族について思いを巡らさせる。
作者のぎごちなく不器用な町への関わり方がもどかしく、じれったくて身もだえしたくなる。ささやかな勇気をふりしぼり、ときに思い切ったアクションも。小さな波乱をおこしつつ、全体としては無為で単調な時間が過ぎていく。

アマゾンのレビューで作者のこうした姿勢を「幼稚」だと書いていた人がいた。うーん、確かに幼稚で子供っぽいかもしれない。いい年した中年男が行う冒険としてはいかにもみみっちい。でもこうした子供っぽいいたずら心があるからこそ、退屈な日常はちょっとは愉快なものになるような気も私はするのだけれど。