閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

あゆみ

青森県立弘前中央高等学校演劇部

  • 作:柴幸男
  • 潤色:畑澤聖悟
  • 上演時間:60分
  • 評価:☆☆☆☆
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私がこの作品の初演(toi)をこまばアゴラ劇場で見て大きな感銘を受けたのは2年前のことだった。初演のときは上演時間は1時間45分ぐらいだった。今回の上演は1時間に圧縮されている。女子高生8人によって演じられる。

冒頭、横と背景の幕も上がったままのがらんとして雑然とした舞台裏を観客にさらすところから芝居を始めるという点を除いては、演出は基本的に初演のやり方を踏襲したものだった。というかこれ以上効果的で印象的な演出はちょっと思いつかない。あゆみという名前の一人の女性の誕生から死までが演じられる。生まれて、最初の一歩を歩み、幼児、学生、社会人、結婚、出産、壮年、老年という一人の女性が歩むごく平凡なライフステージをあゆみも歩んでいく。あゆみは複数の女優によって代わる代わる演じられる。役者は同じ場所をぐるぐる歩き続けながらあゆみの人生の様々なエピソードを再現していく。

最初の一歩から死の直前の最後の一歩まで、人は生まれた瞬間から死という終着点に向かって歩き続ける。我々は一生のうちにおよそ1億8千万歩歩くと言う。一人の女性の人生が歩みによってそのまま素舞台の上で示される。生涯に経験する様々なエピソードは常に歩きながら再現される。しかしこの歩みは必ずしも一直線に死に向かっていくものではない。女性ならば出産、そして育児という経験を通して自分の歩みを反復、想起することが可能になる。そして老年になると回想によって自分のこれまでの歩みを振り返る時間が多くなるだろう。時間の流れは不可逆だ。しかし我々は自分の子供と回想といった手段によって失われた時を、部分的にではあるが取り戻すことができる。そしてその取り戻され、回復された時間の何といとおしく、美しいことだろう。そうしたことをこの『あゆみ』は教えてくれる。

私はぼろぼろ泣きながらこの芝居を観た。初演の時も見ながら泣いた。今回ははじまる前から泣きそうだった。2年前の初演時に自分が何に感動したのかを思い出す。人の親であれば、とりわけ娘の親ならこの作品を見て心動かされずにはいれないと思う。まだ20代の人間がこんな戯曲を書けるなんて驚くべきことだ。素朴な言葉のひとつひとつが美しい。見に行ってよかった。上演の日は偶然私の誕生日だったが、誕生日に見るのに相応しい芝居のような気がする。素敵なプレゼントを貰った気分になった。