閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

演劇で食べていくこと

演劇は仕事になるのか?: 演劇の経済的側面とその未来

演劇は仕事になるのか?: 演劇の経済的側面とその未来

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『演劇は仕事になるのか?』というタイトルの本がこの夏に出るらしい。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1642-1.html
小劇場の制作者に向けられたサイトfringeで紹介されていた。
http://fringe.jp/blog/archives/2011/06/27023815.html

先日図書館で『現代風俗 興行』という書籍をたまたま書棚に見つけ、ぱらぱらページを捲ってみたところ面白そうだったので借りてきた。現代風俗研究会という団体の年報で2005年に出版された本だ。
プロレスなどの興行の実態についてのレポートが掲載されているのだが、大道芸について「興行」という視点から書かれた記事がいくつかあって、いずれも興味深い内容だった。この本にあった大道芸に関する記事についてはまた改めてブログで内容を紹介したい。ベテランの大道芸パフォーマーである雪竹太郎氏の長文のレポートの内容は単独での旅公演を続ける大道芸人の現実を伝える極めて興味深い内容だった。

記事のなかに小劇場について書かれたものがあった。執筆者は劇団camp.06という関西の小劇場劇団の役者だった高野昇氏。この劇団は当時関西で1000名程度の動員があった劇団だという。関西の劇団のなかではかなりの人気劇団だったと言ってよいだろう。演劇環境が特権的に充実している東京の小劇場劇団でも1000名の観客を動員できる劇団はそう多くはないと思う。

小劇場劇団では食えない、というのはよく言われることではあるし、その状況についてもだいたい想像はつくのだけれど、高野氏のこの記事ではその公演の収支が細かく報告されていてその食えない実態がよくわかる。公演の収支決算報告書ではチケット売り上げ+助成金+団費による収入が,公演にかかる費用、人件費をかなり上回っていて、数字上は興行として成り立っているようにみえる。しかし決算報告を分析すると、その見かけ上の「収入」を支えているのは劇団員に課せられたチケット・ノルマ、団費といった個人負担であり、支出の人件費には団員のギャラは当然のごとく含まれていない。また公演やその前の稽古などで、団員はアルバイトなどの仕事を減らすことを余儀なくされている場合が多い。
客から入場料をとって行う興行という形態はとっているけれども、小劇場の公演は経済的な面から言うと第三者を巻き込んでの贅沢な「道楽」に限りなく近いものであると高野氏は指摘している。小劇場劇団の公演は構造的に儲からないのみならず、その活動の継続・維持には、そこに所属する劇団員を食えない状況に陥れるような流れが内在していることが、このレポートでは明らかにされている。ここで事例として挙げられているのは大阪の劇団だが、東京の小劇場劇団でも状況はそれほど変わらないだろう。いかに動員をのばしたとしても小劇場劇団という枠組みのなかでは食うことができないシステムになっているのだ。

こういった状況では未知の客に対して作品を作っていくという意識よりも、ある種自己満足的な表現欲求の充足を優先する作品作りになってしまうのは仕方ないような気もする。

確かに観客がいなければ演劇は成立しないし、客はお金を払って舞台を見るわけだが、その客のお金は彼らの生活を支えているわけではない。むしろ感覚的には表現活動に対する気まぐれな支援者みたいな感じではないだろうか?
多大な生活上の犠牲と引き換えに仲間と一緒に懸命に作品を作っているわけだから、たかが2、3000円のチケット代を払っているからといって「客」面をして、時にかれらの表現にけちをつけるような輩が許せない、という気分はこうした興行の状況を考えるとわからないでもない。金をとって芸を見せているとはいえ、実質的には大半の小劇場劇団員はアマチュアなのだから。

もちろん表現を生計手段としない(できない)ということが、表現の自由をもたらしている面もある。しかし職業的芸人でないゆえの甘さやひ弱さを持ち続けてしまいがちというマイナス面もある。