閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

小谷野敦『東海道五十一駅』

東海道五十一駅

東海道五十一駅

  • 評価:☆☆☆☆
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最近は小説を読みそうな人に会うと、私はこの小説集を話題に出すことが多い。

私はこれまで出版された小谷野氏の小説のほとんどを読んでいると思うが、実は小谷野氏の小説の本領である私小説が苦手である。苦手というか、あまりにも生々しく、あらからさまに「真実」が暴露されているために、読んでいて息苦しくなるのだ。

性愛の殺伐とした実像を超リアルに演劇という手段で再現するポツドールという劇団があって、私はこの劇団のファンなのだが、小谷野氏の私小説はポツドールの小説版という趣もある。ポツドールの場合は、演劇という生身の人間による直接的な再現手段ゆえのインパクトは強烈だが、そこで描かれてるのはどちらかというと社会の下層にいる、学歴もあまり高くなさそうなブルーカラーの若者たちだ。そしてその表現がいかに過激で生々しくても、それは作り事であり、私は観客としてその惨状を安全な位置から眺めているだけの話だ。

小谷野氏の場合はそれを私小説で行う。小説的な処理が施されているとはいえ、そこで描き出されるのはまさに小谷野氏が体験し、感じた真実に他ならない。東大大学院、そして旧帝大という、チンピラ同然のマージナル研究者である私からするとあまりにまばゆい世界がその小説の舞台となる。そこで活躍する偉い先生方のあまりに俗物的な姿、大学社会の荒涼たる風景を、身も蓋もないリアルな描写で暴き出す小谷野氏の筆の容赦なさに私は身震いする。小説内で扱われている「事件」の渦中で小谷野氏が感じていた苦悩と怨念の深さも、読者は受けとめなくてはならない。読者である私はぐだぐだに苦しみ、傷ついていく主人公の怨念から逃れられないような感覚に襲われる。そして彼の憎悪の対象である人物たちの卑劣さが、自分のなかに存在することを感じ、居心地が悪くなるような感覚に襲われる。小説のなかの人物たちが自分とは無縁であるようには感じられない。

単行本『東海道五十一駅』には三本の小説が収録されいる。表題作「東海道五十一駅」は小谷野氏の阪大時代のことが書かれた私小説で、「童貞放浪記」と時期的には重なっている。若くして著書を出版し、阪大の専任教員となった著者が、その輝かしい経歴の裏側で、アカデミズムの世界の人間関係とパニック障害で苦しみぬくさまが描かれている。少なくとも人文系の研究に携わる大学関係者にとっては、非常に面白い小説、あるいはきわめて不愉快な小説ではないだろうか。
「ロクスィの魔」も私小説である。かつての「もてない男」は、何冊もの著作を出版し、評論家、エッセイストとして活躍しはじめるともう「もてない男」ではなくなった。SNSサービスの大手、「ロクスィ」を舞台に、離婚して独身となった彼は、数人の個性的な女性と出会い、さまざまな経験を重ねる。オトコの本音が率直に語られ、現代日本社会の愛の実像が無慈悲に描き出される。mixi利用者にはきわめて興味深い内容の小説だと思う。
「あなたの肺気腫を悪化させます」は、筒井康隆風の反禁煙小説。