閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

第一回もえちゃん企画@南池袋ミュージックオルグ

舞踏家のまつもともえさん主催のイベントに行ってきた。彼女は高野竜さんが埼玉県宮代町で10年前からやっている平原演劇祭の常連メンバーだ。http://d.hatena.ne.jp/camin/20110807
昨年の平原演劇祭企画の「鰤の会」http://d.hatena.ne.jp/camin/20111009で彼女と初めて言葉を交わしたのだが(ほんの二三言だが)、十二月の古典戯曲を読む会に参加してくれた。もえちゃんは飛び抜けて陽性でアナーキーで、しかも心優しさを感じさせる人だ。

彼女主催でライブハウスでイベントをたちあげ、そこで高野竜さんの新作戯曲「モンドリアンの生涯」第一幕の上演があるというので、足を運んだ。出し物は高野さん主催のみやしろ演劇パーティによる「モンドリアンの生涯」第一幕の他、もえさんの友人たちのパフォーマー、ミュージシャンによるライブ。

まずみやしろ演劇パーティの「モンドリアンの生涯 第一幕」の前半が上演され、ついでDJマシン(?)でノイズをがんがん鳴らしながら絶叫し、身体をくねらせる川染喜弘によるパフォーマンスが間に入り、その後に「モンドリアンの生涯 第一幕」後半が上演される。一幕の前半と後半が分断されるという上演のしかたはよかったと思う。一幕といっても前半と後半では芝居の作りが異なって対照をなしている。「モンドリアン」第一幕後半の後は、日と蒔くというキーボード、ジャンベ、スチールドラムという構成のバンドの演奏。最後は藤原亮オーケストラという一夜限りのユニットの演奏。七時に始まり、終わったのは十一時だった。

モンドリアンの生涯 第一幕」前半は、巫女姿の女優(冬月ちき)による(ほぼ)一人語りの舞台だった。この美しい巫女は預言者であり、明晰な言葉で冷静に「神託」を述べる。その神託の内容は必ずしも宗教的、霊的な内容ではない。むしろ今の日本の世相を的確に分析した上でなされた説得力に満ちた予測と呼ぶべきものである。彼女は巫女、宗教者としてのオーラを維持したまま、日常的な自然なことばでそれを語りかける。その口調と表情、仕草は硬質ではあるけれど、すっと心の中に滑り込むような柔らかさも備えている。ライブハウスの観客はこの預言者である巫女の集会に集まる聴衆に擬せられる。川染喜弘によるノイズ+絶叫パフォーマンスを間に挟んだあとの「モンドリアンの生涯 第一幕」第二部では、聴衆からの質問に巫女である預言者が答えるという形で進む。ここでも巫女は発言者の真意をくみ取り、表面的な問いの奥にある真実にまで引き出していく。彼女によって語られる内容が、埼玉にあるいくつかの土地に関する歴史的・神話的な事実に関わるものであることが、やりとりを通して徐々に明らかになっていく。

冬月ちきさんの巫女(預言者)姿が素晴らしすぎる。彼女の見た目と振る舞いが巫女装束にぴったりとはまっている。似合いすぎ。その冷たいけれどやわらかくもあるその視線で見られると、こちらの背筋が伸びるような心地よい緊張感を覚える。ひんやりとした目の力と佇まいのシャープゆえに、冬月ちきさんの巫女姿は、そのエロさと神々しさの両方を兼ね備えている。

ただし前半の実質ひとり芝居の部分では、台詞が入っていない部分で役への没入感が途切れ、教祖が講話によって聴衆をひきこんでしまう催眠術が解けてしまうところがあった。第二部の質問コーナーでは、仕込まれた役者以外にも手を挙げた観客がいたようだ。うーん、私も手を挙げて質問すればよかった。ちょっと後悔。

モンドリアンの生涯 第一幕」というタイトルにもかかわらず、モンドリアンについてはまったく言及されない。狐につままれた気分である。全部で三幕構成なので、後のエピソードでモンドリアンとつながるのだろうか。「モンドリアンの生涯」の第二幕、第三幕は何となくまったく別のエピソードになってしまうような気もするが。この世界がどのように広がっていくのか楽しみだ。

今回上演された第一幕で言及されるのは主に埼玉にあるいくつかの土地である。そしてそこを流れる川と治水についての極めてマニアックでローカルな話題。しかしこの芝居は、埼玉という地域に徹底的にこだわり、そこに今生きる市井の人たちのミニマルな物語を再現しながら、その地域性と現在への問いかけが広い世界、そして歴史の時間という広大で普遍的な時空間へとつながるようなダイナミズムも予感させる。新興宗教教祖という設定がこの二つのスケールの時空間をつなぐ鍵となっている。

巫女姿の預言者に関しては、戦前に勢力を持った教派神道を私は思い浮かべた。後で高野さんに聞くと、劇中の教団はもちろん架空のものだが、実際にいくつかの教団に足を運んで取材したものであり、教派神道の大本教のイメージも設定に利用したと言っていた。大本教は私の母方の祖父母が信者だったので、総本山には何度か足を運んだことがあるし、その関連の書物を何冊か読んでいた。出口王仁三郎などのカリスマ的指導者の講話は、おそらく親しみやすい表現で、世相の的確な分析、解説も含んだ、「モンドリアンの生涯 第一幕」の再現のようなものであったような気がした。今でも実際に教祖と教団はいくつも存在するのだろう。

さてもえちゃん企画の他の演目についても一言ずつ。「モンドリアンの生涯 第一幕」の一部と二部の間におかれた川染喜弘による四十分のノイズ+パフォーマンス。DJマシン(?)からノイズをがんがん鳴らしながら、江頭2:50ばりの痙攣的動きと表情を見せ、絶叫するという前衛的パフォーマンス。言葉は「そば屋が」云々と「国民年金を払っていない35歳」云々。即興的にやっているらしいが動き、ことばのバリエーションが乏しい。私は15分ほどで飽きてしまった。その貧相さをさらけ出す痛々しさも含めた見世物なのだろうけれど、彼のパフォーマンス中、直後にライブハウスから出て行く人が数名いた。人柄はとてもよさげな青年だった。

モンドリアンの生涯」の後は、日と蒔く(ひとまく)というキーボード、スチールドラム、ジャンベ+ボーカルという三人組のユニットによる演奏。力の抜けた、語りと歌の混じり合うような、自然派(?)、柔らかくて洒落た音楽だった。「モンドリアンの生涯 第一幕」との繋がりも悪くない。

藤原亮オーケストラ、この晩のために結成されたバンド。オザケンなどのコピー(といってもかなりアレンジを加えたもの)とオリジナル。音楽的にはストレートでシンプルなフォーク・ロックの雰囲気がベースにある。ベーシスト、ロッキーによる自虐的語りは面白かったけれど、全体としては内輪向け選曲と演奏で、私は蚊帳の外にいたという感じ。

仙台からやってきたジェットリカによるハンドマッサージもあった。100円で可愛らしい女性が、レモンオイルで手をもんでくれる。これはとてもいいものだ。