閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2013 第2部「あの岸壁が私です」

高野竜さんの平原演劇祭2013 第2部を見るために、西武多摩川線の終着駅、是政の喫茶店、豆茶房でこに行った。「遠くて面倒臭い、行きたくない」とぐずぐずぶーたれ女となった娘を連れて行った。

演目と出演は以下の通り。

 

演目: 

高野竜作「詩とは何か」 (岡彩織)

音楽:ひらげエレキテル (平尾吉直+おじぞうさん)

岸田國士作「チロルの秋」 (名倉歩美、高野竜、生田粋) 

 

最初の「詩とは何か」はとてもよかった。昨年、同じ会場で今日とは別の女子高生が制服を着て演じたモノローグ・ドラマ。今日やった岡彩織さんも現役の女子高生。ツィッターで高野さんと知り合い、名古屋からやって来たという。何と言う大胆な。高校演劇をやっているそうだ。

 

学校に登校せずに毎日高台から駅の様子を観察している女子高生の一人語りである。望遠鏡で彼女は駅の人たちを観察する。そのうちに常連のナンパ師に関心を持つようになる。彼は毎日、毎日駅にやってきては何時間もナンパを続ける。しばらく駅に彼が姿を見せない時期があった。何ヶ月かの空白ののち、彼は再び駅に現れ、かつてのようにナンパを続ける。女子高生は彼が口がきけなくなっていることに気付き、衝撃を受ける。筆談でナンパしていたのだ。しかし口が聞けなくなって以来、彼のナンパ成功率はわずかながら上昇したようだ。観察を続けていたある日、彼が丘の上の彼女に気付き、右手を上げる。望遠鏡で遠くから覗いているのに気づいているはずがない。彼女は動揺するが、彼に右手を上げて答える。ナンパ師と彼と登校拒否の彼女、二人の孤独な人間のあいだに心が通い合ったような気がした。

 

制服姿の女子高生はひたすら切々とこの事件を語りかける。足でかすかにリズムをとり、若干前のめりになりながら、静かな口調で。でもその口調には切実さが漂っている。彼女の視線がとてもいい。前方のある一点に注がれているようだ。そこに誰かがいるかのように。いったいそこにいた聞き手は誰だったのだろうか。

 

昨年の女子高生の語りもよかった。今日やった岡さんはさらによかったように思う。とても繊細で美しいテキストだ。こんな作品を書くことができる高野さんは天才だと思う。女子高生の身体を通して語られることで、この硝子細工のような美しいテキストの魅力は十全に引き出されていた。是政までわざわざ来てよかったと思った。

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「詩とは何か」が終わり、演者が退場すると同時に、フォークギターの弾き語り、ひらげエレキテル の演奏がはじまる。昨年は生田粋さんの音楽がここに入った。この継続的な流れの演出は昨年と同様。ひらげエレキテルの力のぬけた自然体の音楽、優しさに満ちていてとてもよかった。

http://www.youtube.com/watch?v=gHH_JxWbdBE

 

ひらげエレキテルが数曲演奏して第一部が終わり。幕間は食事の時間。竜さんが作ったタンシチューが振る舞われる。トマトベースで豆が入っている。紙コップで振る舞われて見た目はいまいちだが、食べてみると絶品だった。おかわりする。

 

食事時間のあとは、岸田國士作「チロルの秋」の上演。チロルの別荘に滞在する遊戯的で幻想的な恋のやりとりの話。これは全然ダメ。ぼろぼろ。高野さんの演劇を酷評するのはこれがはじめてだ。

 

高野さんに台詞が入っていない。これは評価以前の問題では。最初聞いていて会話のリズムがえらくぎくしゃくしているなと思い、iPhone青空文庫に入っている岸田の戯曲を参照すると、高野さんの台詞がちゃんと入っていないことが判明。これを受ける女優の人は大変だ。客を前にしての上演で台詞が入っていないというのは演出以前の問題だし、その入っていないことが観客にわかってしまうようではどうしようもない。一応、最後まで劇は到達したが、芝居の最中、高野さんの視線は虚ろだし、会話のリズムは分断され、共演女優の当惑も伝わってくる。終わったあと高野さんに「ボロボロだよ。あれはダメだよ」と言ったら、高野さんは「えっ」とぎょっとした目でこちらを見た。

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