閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

せかいの演劇と地域の演劇:高野竜の平原演劇祭について

二つのローカル演劇祭:ふじのくに⇄せかい演劇祭と平原演劇祭

6/15(土)は静岡に行き、SPAC(静岡舞台芸術センター)が主催する〈ふじのくに⇄せかい演劇祭〉を見に行った。6月の静岡行きはここ数年、私の恒例行事となっている。宮城聰演出による劇団SPACの公演を軸に、世界各国から選りすぐりのカンパニーが静岡で公演を行う。

この日見たフランスの現代演劇界の巨匠、クロード・レジ演出のメーテルランク作『室内』とSPACの芸術監督である宮城聰演出の野外劇『黄金の馬車』の二作品は圧巻だった。いずれも鍛錬された俳優たちに導かれ、観客は劇場という特異な空間と一体化していき、演劇という総合芸術が作り出した法悦に酔う。

クロード・レジの『室内』が、死者と生者をつなぐ抽象的煉獄のような場で、観客を静かな内省へと導くのに対し、野外劇、音楽劇であった宮城聰の『黄金の馬車』はとりわけバフチン的な猥雑で混沌とした祝祭性を劇場に創出していた。

ローカル劇場・劇団であるSPACの演劇活動は、その地域性を常に意識しながら、世界レベルのクオリティの高い舞台を提供し続けている。『室内』と『黄金の馬車』はどちらも、演劇特有の感興を観客に分かち与える素晴らしい舞台であり、SPACの活動の充実があってこそ可能な公演であった。

SPACの公演には大きな満足感を私は覚えた。しかしその完成度の高さゆえに、両作品には演じ手と観客を決定的に分け隔ててしまう壁がある。人工的な作り事のよそ行きの舞台なのだ。

 

話は脱線するが昼間賢『ローカル・ミュージック』という本を数年前に読んだ。

ローカル・ミュージック―音楽の現地へ

ローカル・ミュージック―音楽の現地へ

民族音楽というカテゴリーよりは、もっと地域的でゆるやかな土着の音楽を昼間は「ローカル・ミュージック」と呼ぶ。地域の祭礼と強く結びついた民衆伝統音楽からそうした伝統音楽を土台としつつ、ロックやジャズなどの「普遍性」のある音楽を取り入れたフュージョンまで、ローカル・ミュージックの指し示す範囲は広い。しかしどのようなありかたであれ、地域性を保持しつつ現代においてもダイナミックな生命力を失っていない音楽のありかたとその魅力が、昼間の『ローカル・ミュージック』で紹介されている。

 

SPAC主宰の〈ふじのくに⇄せかい演劇祭〉を存分に楽しんだ翌日、私は埼玉県宮代町で高野竜が10年以上前から続けている平原演劇祭へと向かった。そのスケール、知名度においては〈ふじのくに⇄せかい演劇祭〉よりもはるかにささやかなローカル演劇祭であるが、ローカルにこだわったその精神は両者に共通するところがある。しかし「芸術」にこだわるSPACの表現はいかに「民衆ぶり」を装っても本質的に高踏的だ。平原演劇祭は「芸能」を指向する。演劇的なものを解体し、パフォーマンスの原初的混沌に積極的に身を委ねようとする。役者の練度、舞台としての完成度は、SPACに比べようがないほど低い。というか完成度ははなから問題にしていないように思える。舞台としての完成度は低いけれど、作品のクオリティは高い。しかしそのクオリティの高い作品は、その上演の機会、演者の都合、そして上演の場の要請にしたがって、はたからみるとかなり乱暴・粗雑に扱われているように思える。

高野竜はとりたてて特徴のないようにみえる宮代町という埼玉東部の田舎町の日常のなかに演劇的風景を見出し、それを舞台芸術として取り込み、可視化させる。そのドラマの創造のためにしばしば素材は強烈なデフォルメを被るのだが、そのデフォルメによって地域性は現代の日常のなかで生命力を回復していく。高野竜の平原演劇祭のローカル性に、私は現代社会のなかで、時代に合わせ姿形を変えながらもしぶとく生き残ってきた、昼間賢が名付けるところの〈ローカル・ミュージック〉に近い精神を感じる。

演劇の原初的形態への回帰

10年以上前から開催されている平原演劇祭だが、私がこの特異なローカル演劇祭にはじめて足を運んだのは2011年、わずか2年前のことだ。この2年間のあいだに私は7回、平原演劇祭を見に行っている。行けなかった公演が2、3あったように思うので、この2年ほどのあいだに10くらいの平原演劇祭が開催されたことになる。この演劇祭が実質的に主宰の高野竜ひとりの手で開催されていることを考えると、驚くべき頻度だ。一回の公演で上演される演目は5、6あることが普通で、毎回演目が異なる。だからこの2年間での上演演目数は少なくとも50演目は超える。このためわずか2年前から見始めたにもかかわらず、ずいぶん以前から私はこの演劇祭に立ち会ってきたような感覚がある。平原演劇祭が実質的に主宰の高野竜ひとりによって運営されているのだから常軌を逸したペースだ。

乳児から大人まで、演劇をほとんど見たことのない通りがかりの人からコアでマニアックな演劇ファンまで、平原演劇祭はあらゆる属性の人たちに開かれている。入場料は原則無料で、上演場所は劇場ではなくて、旧民家、喫茶店、公園等々さまざまな場で、その場の特性が公演のなかで効果的に利用されている。幕間に食べ物が観客に供されることが多いというのも特徴の一つだ。平原演劇祭には子供連れの観客が少なくない。私も子供を連れて見に行くことが多い。演じられる演目の内容は必ずしも子供が関心を持つようなものではない。子供は芝居に飽きると、会場内で手遊びをして舞台を見ていなかったり、会場を出て外で遊んでいたりする。赤ん坊が泣くこともある。平原演劇祭はそういった状況がむしろ歓迎される大らかな雰囲気がある。

私は『テアトロ』2010年3月号に掲載された「アラル海鳥瞰図」を知人に勧められて読んだことがきっかけで高野竜に関心を持つようになった。7編のモノローグで構成された非常に美しい作品であるが、高野竜はとりたてて第一回宇野重吉賞受賞作であるこの作品を特別なものとは思っていない。同じ作品を丁寧に演出して舞台の完成度を高めるという発想は彼にはないようだ。平原演劇祭で上演される演目は彼の内的必然性(彼自身の身体的状態、彼をとりまく社会からの要請など)によって決定され、そして上演が決まった作品はそれを演じる役者たち、そして上演の場と密接に連動して表現が作り出される。

その公演のあり方は私が通いはじめたこの2年間のあいだにも変化し続けている。この2年間は主宰者の高野竜が原因不明の体調不良に悩まされた時期でもあった。この時期、演者と観客が対峙するというスタイルは、なしくずすしに解体されつつあるように思える。演技者はもはや何かを演じて観客に提供するというよりは、その言葉と身体を媒介にして上演の場の特性を引き出し、彼方への扉を開く役割を担う。観客は引き込まれ、別の世界に誘われる。そういう雰囲気が濃厚になってきたように思う。演目もいわゆる演劇作品の枠組みを超え、舞踊、語り、歌唱などあらゆる芸能形態が混然としたものになっている。

私は娘を連れて平原演劇祭を見に行くことが多い。娘はとりあえずじっと座って見ている。かなりの演劇オタクを自認する私が見ても理解不能の特殊な演目が上演されることがしばしばあるので、果たしてどんな風にこの演劇祭を見ているのかちょっと不安ではあった。「行くよ。行かない?」と声をかけると「行く」と言うので連れて行くのだが。

中一になり、演劇部に入った娘にこのあいだ、「これまで見た演劇で何が面白かった?」と聞いてみた。娘の第一位は柴幸男の「わが星」、第二位は中屋敷法仁演出の柿喰う客+キャラメルボックスの「ナツヤスミ語辞典」だと答えた。

「高野さんの平原演劇祭はどう?」とおそるおそる聞いてみた。すると

「うーん、あれは『演劇』というのとはまた別もんて感じがするから」との答え。でも嫌いではないようだ。

平原演劇祭はいわゆる「演劇」の枠組みのなかで表現としての高みを目指してはいない。普遍的な「演劇」に取り込まれ、吸収されてしまうことに抵抗を示し、逆にローカルの土臭さと日常性に固執することで演劇的な形式をどんどん解体していき、芸能的な形態のどろどろのおじやのようなスペクタクルへと進んで行く。