FUKAIPRODUCE羽衣『Still on a roll』
- プロデュース:深井順子
- 作・演出・音楽:糸井幸之介
- 舞台監督:渡辺了((株)ダイ・レクト)
- 照明:松本永
- 音響:佐藤こうじ(Sugar Sound)
- 衣装:吉田健太郎
- 振付:木皮成
- 出演:深井順子、日高啓介、鯉和鮎美、高橋義和、澤田慎司(以上、FUKAIPRODUCE羽衣);伊藤昌子、鈴木裕二、新部聖子、福原冠、森下亮(クロムモリブデン)
- 評価:☆☆☆☆★
7/11(木)の初日と7/20(土)のマチネの二回見た。
初日に見たときは、いい作品だとは思わなかった。mixiの日記には初日を見たときの感想を以下のように記している。
2月に東京芸術劇場で上演された『サロメ vs ヨカナーン』が私が見た初めての羽衣作品だった。ワイルドの原作を発想の原点として、そこから現代の都市の片隅に生きる男女の愛のいくつかの風景をレビューという方法を用いて見事に描き出した作品だった。この作品には私のみならず、私のツィッターのフォロワーの多くも熱狂し、私のツィッターTLは羽衣祭りの様相を呈した。
その『サロメ vs ヨカナーン』の次の公演、しかも今度はこまばアゴラ劇場という観客との距離が近い小さな劇場での新作公演ということで、非常に期待が大きかった公演だった。予約も初日と楽日前の二回していた。しかし今回の『Still on a roll』( "まだまだ元気はあるぜ!"という意味らしい)は期待外れだった。
都市の場末、ダメ男中年と水商売の女の恋のエピソードが最初と最後にあり、中間部は農場を舞台とした田園牧歌的ファンタジーの場面が続く。未亡人とやもめ男の恋、放浪の孤児の兄妹、牧師とその妻などいくつかのエピソードからなるこの中間部に入り込むことができなかった。各エピソードの内容は薄い。ステレオタイプな物語の核だけが、有機的な連環なくバラバラに並べられている感じで、全体を統括する大きなドラマが見えない。人物や設定の類型だけが提示されている感じで、そらぞらしい。『サロメ vs ヨカナーン』にあった登場人物たちがかかえる孤独感、恋愛への切実な欲求、情念のうねりといった生々しい心の動きを感じることができなかった。
騒がしい演劇的歌謡ショーといった趣の舞台。好きな曲はいくつかあったけれど、各挿話の物語の中途半端さ、全体を支える大きなドラマの不在ゆえに、私は不満だった。脚本がだめなので、今後、上演を重ねていっても、私が楽しめるものになる可能性は低そうだ。2公演分予約したけれど、2公演目はキャンセルしようと思う。
という感じだったのだが、結局、二回目の予約もキャンセルせずに見に行った。二回目に見に行ったときは楽日の前日。演出がそんなに大きく変化したわけではないのに、作品の印象は一変してしまった。以下が二回目に見たあとに書いた感想だ。
初日に見たときは、開拓時代の農場を舞台とする牧歌劇のパートに入ることができず、全くのれなかった。この牧歌劇の外枠的位置づけになる、現代日本の都会の片隅を舞台とするエピソードは、牧歌劇との連関が弱くて、二つの時間がかみ合わないまま併置されていることに不満を覚えた。音楽もダンスもいまひとつ魅力を感じなかった。
脚本の失敗だと思い、この作品については二回目を見る必要はないかなと思っていたのだけれど、ツィッターのTL上での評判はいいし、特に前作『サロメ vs ヨカナーン』に出演していた歌人の枡野浩一さんがわざわざもう一度見るといいですよ、とツィートで返信をもらったしりて、キャンセルするつもりだった2回目を見に行くことにした。
家に出るがぐずぐしてしまいこまばアゴラ劇場についたのは開演直前だった。『Still on a roll』では対面客席ではなく、客席が舞台を囲むかたちで配置されている。空いていて誘導された席は、初日に見た席の向側にあるサイドだった。違ったところで見るつもりなので調度よかった。
最初にうらぶれた中年無職男が、男の年齢の半分以下だというスナックで働く恋人を街角で待つ場面から始まる。この中年無職男のエピソードの次はアメリカ開拓時代っぽい雰囲気の広大なジャガイモ農場が舞台となる。饐えた匂いが漂ってきそうな場末の町の風景から、童話的で児童劇のパロディのような牧歌劇の世界へ一気に移る。この牧歌劇のパート、最初の30分ほどはやはり入り込むことができなかった。『Still on roll』ではこの牧歌劇パートが主で、現代劇パートは外枠的存在の従である。牧歌劇のなかでは、農場で働く人物の恋愛関係、宿無しで両親のいない兄妹のエピソードなどが、展開する。登場人物はみな素朴な善人たちばかり。天真爛漫で明朗で心優しい。宿無しの兄妹のようなアウトサイダーもこの牧歌劇の村のなかには居場所がある。悪意のまったくない田園ユートピア、これは古代ギリシア以来の牧歌劇の系列につながる世界の羽衣的再現だ。あまりの屈託のなさゆえに、パロディのようにさえ感じられる。しかしそのパロディ的田園は、意外なほど真面目にまっすぐ丁寧に再現されている。
この太陽と自然のもとの田園世界は、都会の場末の夜を舞台とするちょっと淫靡で崩れた恋のエピソードを中心とする現代劇パートとの対比となっている。この二つの世界は平行関係にあって強力な連関はない。最後の最後に強引に結びつくのだけれど。しかし対照的な色合いを背景とする恋の風景は互い作用し合い、お互いの味わいを引き立たせている。
初日を見たときはこの混じり合わない二つの世界の処理を受け入れることができなかった。今日はできた。楽しく美しくせつない歌とダンスの華やかさに浸ることで、すっと違和感を覚えずに劇中世界に入ることができた。初日のときは疲れがあって体調が今一つだったように思う。それで歌と踊りの素晴らしさを味わうことができなかった。今日は違った。するすると歌舞に導かれ、その甘美に身を任せることができた。
終演後CDを購入したのだが、そのCD収録の「愛の花」はとりわけ心に残る。"女心とドストエフスキー、さっぱり意味がわからなかった”
男声と女声の掛け合いの切なさがたまらない。こんな恋は私はこれまでしたことがないかもしれない。でもこんな思いを持ってあの人を愛したかった、昔の日。この他にも名曲がそろっている。購入CDには「愛の花」ともう一曲だけしか収録されていない。全曲が入ったCDが欲しい。
糸井幸之介って天才だよなあ。
ホステスと牧歌劇の牧師の妻、メアリー役の鯉和鮎美のコケットリーは素晴らし過ぎる。あんな恋人がいればたまらない。
クリスティ役の小柄な女優、新部聖子も可愛らしい。おっかあとヴェロニカ役の女優、伊藤昌子、ニュアンス豊かな色っぽさと愛嬌を備えた女性。『ねこ毛』の歌の、「ねこ毛」というルフランで目を細くして笑うときの、意地悪そうでいたずらっぽい笑顔がとてもいい。おっさん役の日高啓介、大好き、あのうらぶれた感じ、照れたときの演技。