毎年、旧正月の時期にその年の豊作を祈念して行われる民俗芸能で、板橋区では徳丸北野神社と赤塚諏訪神社の二箇所の田遊びが、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。二箇所とも少なくとも江戸時代から確認できる伝統民俗行事である。
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/003/003809.html
この二つの神社は隣町同士のごく近所にある。豊作祈念の行事だが、付近には田んぼなどは全くない住宅地だ。東京の住宅地のただ中にある小さな神社で、このような古くからの民俗行事が今もなお行われているのは驚くべきことに思える。
私がこの行事を知ったのは昨年のことだ。昨年は徳丸北野神社の田遊びを見に行った。思っていたよりはるかに多彩でユーモラスな演劇的な芸能だった。もがりと呼ばれる結界のなかで、二時間にわたって様々な芸能により、一年間の稲作の様子が模倣され、演じられる。かつては夜を徹して祭礼が執り行われたようだ。祭式に参加する大稲本、小稲本、鍬取りと呼ばれる構成員は、世襲制で、有力な氏子の家で引き継がれるらしい。
今年は赤塚諏訪神社の田遊びを見に行った。徳丸神社は2/11、諏訪神社は2/13に毎年田遊びが行われる。この二つの神社はせいぜい1、2キロしか離れていないのだが、田遊びのプログラムには違いがかなりあった。一番大きな違いは、昨年見た徳丸北野神社の田遊びでは、もがりのなかでほぼすべての演目が行われたのに対し、赤塚諏訪神社ではもがりの外側で行われる演目がいくつかあった。
午後7時半ごろから赤塚諏訪神社の田遊びは始まる。開始時間は徳丸北野神社より一時間以上遅い。もがりは最初のうちは放置されたままだ。祭式者たちが宮司と神社の神殿のなかで何やらごにょごにょやっている。しばらくすると祭式者たちと宮司が神殿から出てきて、もがりの横に設置された神社のミニチュアのようなデザインの御神輿の前で祝詞を上げる。それから御輿や神柱などを携えて、笛と太鼓の伴奏のなか、5分ほど離れた場所にある浅間神社まで行列行進が行われる。この行列を先導するのは子供たちで、青竹の竿で道をばしばし叩き清めながら、夜の住宅地のなかを進む。この演出は本当に格好いい。浅間神社の広場で、先に「花籠」のついた神柱を水平に構え、それにむかって「駒」に見立てられた乳児が突進するパフォーマンスや獅子舞などが行われる。このパフォーマンスのあいだに発せられる祭式者のかけ声がいい。
獅子舞が終わると、また子供たちの青竹叩きの先導で、諏訪神社の境内に御輿とともに戻る。御輿が元の位置に戻ると、縁具がもがりの前で舞を舞う。そして乳児の「駒」の突進と獅子舞。「駒」に見立てられた乳児は、大人に抱きかかえられながらぐるぐると振り回され、恐怖で泣き叫んでいる。その子供を容赦なく「花籠」つきの神柱が苛む。可哀想だけれど、見ていて可愛くてたまらないたまらない。「最近は少子化で、「駒」役の子供を見つけてくるのも大変なんだ」と近くにいた人が話していた。
獅子舞が終わると、ようやく祭式者たちがもがりのなかに入り、唱え詞と所作により一年間の稲作の様子を再現する。このもがりのなかのプログラムは、徳丸北野神社と共通点が多いが、ユーモラスな人形の「よねぼう」のデザインや「太郎次」と「やすめ」の夫婦舞の仮面や所作など、細かい点で違いがあった。
もがりの中のプログラムは、徳丸北野神社より地味だった。祭式者の数も少ないし、声もよく聞こえない。時間も諏訪神社のほうが短かったように思う。
もがり内の田遊びが始まると、それと平行して神社の境内広場では、盛大などんど焼が行われる。高さ5メートルほどに積み上げられた正月飾りなどが燃やされる。消防団の団員も多数待機していて、火の粉が回りの木にかかりそうになると放水して消していた。大きなたき火を見物客が囲み、その暖かさにほっとした気分になる。
寒い中、立ったままで2時間以上いるので、見るのはかなり大変なのだけれど、見に行く価値は十分にあった。祭式者の方々は和装で演じ続ける。今日はそれほど寒さはきつくはなかったとはいえ、体力は相当消耗するに違いない。
東京の町中、それもうちのすぐ近所でこんな伝統行事を体験できるとは。
日本の芸能の豊かさを堪能し、見ていて心躍った。