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糸井幸之介のギターの弾き語りと演技、青年団の井上みなみの演技による説教節「安寿と厨子王」の世界。安寿と厨子王が山椒大夫のもとに連れて行かれるまでは、普通の語り物といった感じだった。糸井さんの朗読はかなり巧い。声色、表情を使って丁寧に、ゆっくりと語る。井上みなみは最初の紹介で出てきて、ピアソラの曲に合わせて糸井と短いダンスを踊ったきり、なかなか出てこない。
井上みなみは童顔、小柄で可愛らしいロリータ女優だ。まだ20歳だと言う。今日は地味な和服の衣装だった。
糸井版『安寿と厨子王』の真骨頂は、厨子王が山椒大夫のもとから逃げ出したあと、山椒大夫に安寿がせっかんされ、死に追いやられる場面である。この拷問の嗜虐を糸井はねちねちと演劇的に表現する。安寿は額に焼き印を押され、膝に錐を打ち込まれる。井上みなみという少女っぽい風貌のロリータ女優がキャスティングされた理由がよくわかった。ひたすら素朴にエロくてグロい。こういう発想の「山椒太夫」は、民衆相手の説教節のなかで確かに存在し得ただろう。こうした下衆な妄想をしっかり演劇的に具現してしまう糸井さんの節操のなさが凄い。罪深い。
ハネケの映画を見ても感じることだが、弱い者、抵抗できない者を虐めるときの快楽は、性的な快楽、興奮に通じるものがある。われわれの多くはおそらくこうした嗜虐の嗜好を本能的に持っている。童顔/小柄の井上みなみが苛まれるときに感じる興奮は、私たちに後ろめたさを感じさせる。しかしその後ろめたさもまた快楽と表裏一体となっているというパラドックス。こうした後ろめたさは、「美しい」という言葉によってごまかされているような気がする。「美しい」と言う時、われわれはわれわれ自身の中にあるおぞましさも認めなくてはならないだろう。