閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2014第三部 世界大根演劇祭

会場:埼玉県宮代町立郷土資料館内 旧加藤家住宅

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演目と出演者

  • 高野竜:前説「大根おろしについて」
  • 嵯峨ふみか:「野良犬」(作・演出:高野竜)前半
  • 暮らしの手帖(生田粋・松本萌)前半:ピアニカ演奏と空手演武。
  • 右マパターン(渋川智代グループ):「家入るものは入る 借るものは借る」
  • 青木日紗子:しりとり舞踊
  • 嵯峨ふみか:「野良犬」後半
  • 暮らしの手帖(生田粋・松本萌)後半:ギター弾き語りと舞踏

上演時間:午後1時過ぎから午後2時半頃まで

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 埼玉県宮代町在住の劇作家・演出家、高野竜氏がプロデュースする平原演劇祭2014第3部は、宮代町立郷土資料館の敷地内にある旧加藤家で行われた。台風が接近するなかでの公演で、参加が予告されていた劇団12の演目上演は残念ながら中止になっていた。台風が接近しているこのような状況で観客が果たしているのだろうかと思いながら会場に向かった。観客がたとえ私ひとりであっても上演してもらうつもりで私は出かけたのだが、出演者とその関係者を除く観客は10名ほどいた。今回の出演者は、高野竜を除くと全員が若い女性だった。

 築200年と言われる旧加藤家は平原演劇祭のメイン会場の一つだ。障子が取り払われ、縁側から風が木造建築のなかを通り抜ける。資料館を囲む木々から小鳥の声が聞こえる。時折遠くのほうを走る電車の音も聞こえてくる。台風の接近で風はちょっと強めで、縁側に吊されたタオルが激しく揺れ動いている。縁側には大根も吊されている。こちらは、大根の重みゆえかタオルのようには揺れ動かない。

 加藤家の前庭にあたる部分には大きなバケツが置かれていた。入場するときはそのプラスチックのバケツの青が目障りで、なんでこんなところに置いてあるのだろうと思いながらも、あえてバケツに近づいて覗き込むことなく建物のなかに入った。帰り際にバケツには、近所の川で捕獲したという生きたスッポンが入っていたことを知る。これも舞台装置の一つだったのだ。加藤家に入る前の通りすがりに「何だろうと?」と人がこのバケツを覗き込むことを想定して置かれていたらしい。

http://instagram.com/p/uFHYveDT7C/

さて平原演劇祭2014第三部。今日は観客より出演者の方が多そうだ^^;

 いつものごとく雑多な演目のバラエティ・ショーだが、核となるのは大根だ。予定より一〇分ほど遅れて上演開始となる。まず宮代演劇パーティ主宰の高野竜が大根とお米の入ったおひつを持って観客の前に現れる。そして「大根は先端部分に辛み成分が多い」、「荒々しくおろしたほうが辛みが強い」、「辛みはだいたい5分〜7分持続する」などと大根おろしの辛さについての蘊蓄を述べながら、大根をおろす。大根をおろし終わると、彼はご飯を装い、そのご飯にすり下ろしたばかりの大根おろしをたっぷり乗せて、目の前に座っていた若い女性に「食べてみたいですか?」と差し出した。

 この女性は後で「しりとりダンス」を踊る青木日紗子だった。彼女は素直に茶碗を手に取り、さぞかし辛いに違いない大根おろしご飯をもぐもぐと静かに食べ始めた。まるで神事みたいだ。大根おろしの匂いが屋内に広がっていく。

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 左手にある間に降りる階段からセーラー服を着た少女が下りてくる。ざぶとんが散乱する畳の部屋に最初は腹ばいになって、思春期の若者らしいふてぶてしさと倦怠感を漂わせながら、その少女は語りはじめる。その語りは、若干のけだるい調子とは裏腹に、長大で痛切で抒情的な悲鳴だった。悲鳴といっても14歳の少女の激情の爆発は、語りの言葉のなかでコントロールされているのだけれど。

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 2012年の年末に三重県鈴鹿市で大根100本を盗み、その大根を路上に並べた少女がいた。この事件は中京テレビの記事となり、ネット上で少し話題になった。

中3女子、窃盗容疑などで逮捕 鈴鹿市三重県

三重県鈴鹿市で去年12月、小学校の窓ガラスが割られたり、民家からダイコンが盗まれた事件で警察は22日、鈴鹿市内の公立中学の女子中学生を窃盗と器物損壊の疑いで逮捕した。

逮捕されたのは鈴鹿市の公立中学3年の女子中学生(14)。

警察の調べによると、女子中学生は去年12月6日午後5時ごろから7日午前7時半ごろの間、遊び仲間の男子高校生ら少年2人と、鈴鹿市若松の民家のブロック塀にかけてあったダイコン100本を盗んだほか、鈴鹿市内の小学校や幼稚園の窓ガラスを割って押し入り、トロフィーや青色回転灯などを盗んだという。

女子中学生らは盗んだダイコンの何本かを路上に並べ、車がダイコンをひいていく音と形の変化をなどを見て楽しんでいた。女子中学生は「面白半分でやった」と容疑を認めているという。
http://www.news24.jp/nnn/news86213226.html

 高野竜作・演出、嵯峨ふみかの一人語りの芝居『野良犬』は、この事件からインスピレーションを得た作品だった。ただし事件の舞台は埼玉県宮代町に置き換えられ、土地の歴史・物語、伝承、周辺の町の風俗、学校のこと、家族のこと14歳の少女が抱えうるあらゆる葛藤のディテイルが詰め込まれていた。高野竜の想像力によってこの短い事件の記述は押し広げられ、百科事典的な広大さを獲得した。嵯峨ふみかは、神託を授けられた巫女のように、詩的で神話的な「私」と「土地」についての目眩を覚えるような豊かな物語を語りおろす。圧巻だった。テクストの圧倒的なボリュームに嵯峨ふみかの語りは振り回されない。古民家の空間を移動しつつ、彼女は適格に語りをコントロールしていた。

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 高野竜は卓越したモノローグ劇の書き手だ。それも思春期の少女を語り手とした作品が優れている。複数のモノローグによって構成された『アラル海鳥瞰図』、女子高生の一人語り『詩とは何か』、そして今回の『野良犬』。混沌としたエネルギーに満ちた祝祭的でごたまぜのおじやのような会話劇とは対照的に、高野のモノローグ劇は清廉な詩情に満ちた荘厳さがある。百本の大根を盗み、それを道路に並べるという実に詩的な降るまいをなぜ14歳の少女が行ったのだろうか? 高野は14歳の少女が語り得ない饒舌で、彼女が見て、感じたであろう世界を描写する。子供から大人への過渡期である不安定な時期に、もしかすると人は世界というものを、その不条理と悪意と美しさと悲しさを、一気に把握してしまう瞬間を持つことができるのかもしれない。『野良犬』はそうした瞬間を手に入れてしまった少女に言葉を与える試みだ。このあまりに豊かなテクストをしっかりと受けとめ、説得力のある表現を与えた嵯峨ふみかは素晴らしい女優だと私は思った。今、14歳の私の娘がこの作品を演じることができればどんなに素晴らしいだろうと心のなかで思った。でもあの膨大で詩的な台詞は14歳には扱いきれないだろう。嵯峨ふみかは桜美林大学出身の女優で、カミグセというユニットに所属している。

 

 暮らしの手帖(生田粋・松本萌)の無造作な侵入により、『野良犬』の少女は奥の縁側から地面へと転がり落ちて退場。これで『野良犬』前半は終わり。そのあまま松本萌のピアニカ演奏と空手着を着た生田粋の空手演武という奇妙な幕間パフォーマンスがなし崩しに始まる。演武がひと通り終わると、客席側に座っていた4名の女性が演技場に入っていく。退場する生田粋、松本萌と抱き合って「エールの交換」(?)みたいなことをしてから、次の演目、右マパターン(渋川智代グループ)による「家入るものは入る 借るものは借る」という奇妙な作品が上演される。

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 右手奥に置かれたちゃぶ台のそばで女二人(といっても一人は「男役」のようだ)が、天気がどうのこうのなど日常的なとりとめのない話をだらだらしている。「男役」はハルさんという名前らしい。女は妊娠していて出産が近いらしく、しきりとお腹をさすっている。この二人とは別の女二人が、客席と演技場の仕切りとなる敷居のところに間隔を置いて並んで立ち、それぞれが全く異なることを観客に向かって大声で話し始めた。何を話しているのかよく理解できない。すると向かって左手に立っていた女が突然、倒れて気を失ってしまう。彼女はホームレスでモナコという名前だ。右手に立っていた女が倒れたモナコに駆け寄り、手に持っていた英語辞書のページを破いて、それを気を失ったモナコの口につっこんだ。それからモナコをちゃぶ台の男女の家へと連れて行く。この英語辞書の女もこの家の住民らしい。ホームレスのモナコはこの家に居候することになるが、プライドゆえか奥側の縁側に寝っ転がって暮らす。この家の妊婦が実は想像妊娠であることが明らかになる。この想像妊娠妊婦はモナコを姑に見立てたロールプレイを行うようモナコに強いるのだが、あまりうまくいかず不機嫌になる(この場面、爆笑)。英語辞書女は横の部屋でひたすら英語の勉強をしている。モナコは居候の身で居心地がよくないようだ。せめてものお礼にと「素麺つくります」と申し出るが、家の男は「寒くなってきたからにゅうめんにしようか」と答える。これで幕。

 10分ほどの長さの小品。この作品、一度全プログラムが終わった後、なぜかもう一度、上演され、二回見た。二回見てようやく面白さがわかった。一回目は何が何だかよくわからなかったのだ。不条理劇の傑作だと思う。私は大好きだ。古民家でやることでおそらくあの奇妙な味わいも濃厚さを増したように思う。あの怪しい傑作をあのレベルで成立させることの出来る上演機会はそうそうないと思う。妊婦役の女優が私の好みの顔立ちだった。

 右マパターン「家入るものは入る 借るものは借る」のあとは、ここまで大根おろし飯を食べながら舞台を見守っていた女性が、「ごちそうさまでした」と言うと、前に出て二間の空間を一杯つかって踊りはじめた。青木日紗子の「しりとり舞踊」である。しりとりをしながら即興的に踊るのだが、踊り始めて数分で「ん」で終わる言葉を言ってしまうという間抜けさ。少女が遊んでいるみたいで可愛いのだけれど、評価の言葉が思いつかない。私はただ呆然と見ていた。呆然と眺めるしかない。踊っている最中に縁側からスズメバチが入って来て、古民家の室内を通り過ぎて行った。

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 「しりとり舞踊」のあとは、『野良犬』の後半が始まる。少女は今度は左手の窓から室内に入ってきた。後半の語りに含まれる叫びの切実さに頭のなかがじんじんと痺れる。いや彼女は実際には大声で叫んでなんかはいない。でも全身全力で叫んでいるように感じてしまう。『野良犬』の余韻のなか、生田粋の弾き語りが始まった。

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 真っ直ぐで伸びやかな生田粋の歌声が、古民家のしっとりした佇まいと調和する。しかしその調和は、松本萌のくねくねとした動きの舞踏によってすぐに不穏なものになってしまうのだけれど。

 女性キャストによる奇妙で可愛らしい演目が並んだ演劇祭となった。台風接近で客が少なかったこともあり、親密な雰囲気のなかの味わい深い演劇体験になった。築200年の古民家という空間の特性が十全に生かされた演出と演目は、平原演劇祭でしか味わえない。