- 作:モーリス・パニッチ
- 翻訳:吉原豊司
- 演出:ノゾエ征爾
- 美術: 杉山至
- 照明: 服部基
- 音響: 井上直裕
- 衣裳: 駒井友美子
- ヘアメイク:川端富生
- 演出助手:渡邊千穂
- 舞台監督: 村岡 晋
- 出演:温水洋一、江波杏子
- 劇場:新国立劇場 小劇場
- 上演時間:2時間35分(休憩15分)
- 評価:☆☆☆☆★
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カナダの現代劇作家の二人芝居。今まで見たことがない劇作家の作品だし、二人芝居で2時間半。キャストもベテランではあるけれど、私はそれほど思い入れがない。昨年からカナダのフランス語圏ケベックに関心を持っているが、英語圏カナダ演劇にはどのような作品があるのかと思いチケットを予約したけれど、特に期待していたわけではない。
舞台は中央に設置され、客席に取り囲まれている。この上演についてはA席でもB席でもそれほど変わらない。どの座席から見ても舞台は近いし、死角がどこかに生じる。前半と後半で舞台上の家具の配置を逆にすることで、同じ座席から違った舞台面が見られるようになっていた。
二人芝居というと、密度の高い会話の応酬を思い浮かべる。しかしこの作品では台詞の95%は男の側だ。「死期が近い」という手紙を叔母から貰い、50を過ぎた甥っ子が叔母の家にやってくる。会うのは30年ぶりだと言う。年老いた叔母は確かにベッドに寝たきりで顔色が悪く、今にも死にそうな様子だ。甥っ子は「本当に早く死んでくれないかな」といった悪態をつきながら、叔母が死ぬまでその身の回りの世話をすることになった。食事を運び、洗濯をする。しかし死期が近いはずの叔母はなかなか死なないのだ。結局一年間、この甥と叔母の生活が続く。語るのはもっぱら甥だ。叔母はこの芝居のなかでほんの数語しか台詞がない。甥の語りのなかで、彼のこれまでのさえない不幸な人生が明らかになる。彼がひねくれた人間嫌いの変人となった過程が見て取れる。叔母はときおり暴言を浴びながら、甥の諦念と自虐に満ちた話を聞き続ける。
短いときは1、2分、長いときは5分ほどのシーケンスで構成され、各場面ごとに暗転が入る。暗転がやたらと多い芝居だった。甥がひたすら語り続ける極端にバランスの悪い二人芝居のスタイルでどこまで行くのだろう、いつになったら叔母と甥の会話が始まるのだろうと思って見ていたら、結局、最後までこの調子だったのには驚いた。最初のころは「このまま最後までいけばそれは大したものだけれど、二時間半の時間、このスタイルではもたないだろう」と思っていたのだ。実際にはまったくだれることはなかった。途中でうんざりするに違いないと思ったけど、うんざりしなかった。むしろ劇が進行するつれて、二人の世界に引き込まれていった。
ある種の風刺的な不条理劇だと思って見ていたのだけれど、そうではなかった。いや甥の語りの毒は優れた風刺を含んでいることは確かだ。温水洋一の芝居は動きが多くて、表現も多彩でコミカルだ。素晴らしい俳優だと思った。芝居の調子は暗くはならない。常にコメディ調。人を食ったところような軽やかさがあるノゾエ演出のいいところが生かされていた。
しかしこの二人芝居は、もっと普遍的な人間存在のありかたについての問いかけになっていることが段々わかってくる。ブラックでナンセンスな断片の集積がまさかこんなに深い感慨をもたらすとは、思いもよらなかった。余韻を楽しみながら充実した気分で劇場を出た。