閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ダリオ・フォ作『虎のはなし』@シアターΧ

www.theaterx.jp

  • 原作:ダリオ・フォ
  • 構成・演出・出演:ムベネ・ムワンベネ;IRO(土山裕也)
  • 劇場:シアターΧ
  • 評価:☆☆☆☆
  • 上演時間:2時間

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シアターΧで上演されたダリオ・フォの一人芝居『虎のはなし』を見た。作品はフォが中国訪問したときに見たスペクタクルがベースになっていて、1934-36の長征に参加した共産党軍の兵士の一人語りである。天安門事件があったときに、そのエピソードを交えて書き換えがあったという。
二人の演者が『虎のはなし』を上演した。
一人目はアフリカのマラウイという国出身のムベネ・ムワンベネ。彼はフォの戯曲で設定された状況を自分の祖国マラウイで2011年に起こった民衆抗議運動に置き換えた翻案を上演した。
もう一人は日本人演者のIRO(土山裕也)。彼はほぼ原テクストをそのまま再現する。
ムベネは、観客への呼びかけを取り入れた大道芸の語り的な仕掛けを積極的に用いる。祖国マラウイの事件への置きかえもフォの作品の本質に沿ったものだ。フォ自身もこうした置き換えは歓迎しただろう。観客に呼びかけるスタイルの上演も、フォのモノローグ劇の本質から外れたものではない。字幕が不十分で、英語のせりふがわからないところもあったが、観客をうまく引きんだ手慣れた感じのパフォーマンスだった。ムベネは作品の最後で祖国マラウイが政権批判など表現の自由を認めない国家であることを厳しく告発する。
IRO(土山裕也)というパフォーマーを私は知らなかったが、もう50-60代に見える彼は非常に優れたパフォーマーだった。パフォーマンスの技術だけを見ると、ムベネよりも優れている。語りのリズムと明瞭さの工夫に熟練の技を感じる。ポストパフォーマンスでの質問で語り芸に重心がありすぎて、演劇味に乏しいというダメだしがあったが、このフォの作品ではむしろ語り芸的な要素が重要だ。
この作品と公演については実はいろいろ書きたいことがある。フランス語訳が手元にあり、そこにはフォの序文があって、作品執筆の際の状況が書かれていてその内容が非常に興味深い。


IRO(土山裕也)はもちろん日本語訳で演じた。この日本語訳がかなりいいものだと思ったのだが、当日パンフレットにはなぜか翻訳者のクレジットがない。これは奇妙だ。誰かが訳しているのに。それも相当な手間をかけて。参照した原テクストのバージョンも記されていない。イタリア語から訳したのか、英訳から訳したのかもわからない。
また当日パンフレットのダリオ・フォの紹介で、「『虎のはなし』は『ミステーロ・ブッフォ(奇妙な物語)』と呼ばれる短編一人芝居の連作の中の一編」とあるがこれは事実ではない。『ミステーロ・ブッフォ』(これを「奇妙な物語」と訳すのも誤訳だ)は中世劇のフォ流翻案であり、『虎のはなし』はまったく別の作品だ。
こんな適当な当パンを作るのなら、私に執筆依頼すればいいのにと思う。もちろんイタリア語関係でもっと適任な人はいくらでもいるのだが。
意義深い公演だが、こうした詰めの甘さ、いい加減さが気になる。
時間を見つけて、この上演についてはちゃんとした評を書きたいのだけれど。書けるかな。
フォの一人芝居は数多い。『虎のはなし』フランス語訳版に入っている他の一人芝居も面白そうだ。
これをイタリア語原典でなく、フランス語訳でしか読めないのが歯がゆくてならない。こんなに面白く偉大な劇作家が日本ではまだちゃんと紹介されてないのに、手を出せない。フランスの二十世紀の戯曲作家で、フォ以上に私の関心を引く作家は存在しない。