- 原作:坂口安吾「白痴」
- 構成・演出:フジタタイセイ
- 美術:海月里ほとり
- 出演:笹瀬川咲 (劇団肋骨蜜柑同好会)、石黒麻衣 (劇団普通)、兎洞大、小島望、るんげ (肉汁サイドストーリー)
- 劇場:新宿眼科画廊地下
- 上演時間:75分
- 評価:☆☆☆
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登場人物表では「人間」役がひとり、その他は豚、犬、鶏、家鴨となっている。豚となっている役柄が白痴の女の役だ。
坂口安吾は私が最も大きな影響を受けた作家であり、高校時代に全集レベルで読んでいる特別な作家だ。既に自分のなかに安吾の文学についてのあるべきイメージがあるがゆえに、どうしても厳しめに見てしまう。
フジタタイセイ構成・演出の「白痴」は、原作の世界をほぼ忠実に演劇化した作品だった。壁際に設置された二つの観客席にはさまれた、廊下のような細長いスペースが演技エリアとなる。中央には畳が二畳敷かれている。「人間」(これは物語の語り手である「伊沢」である)以外の登場人物は、それぞれ口の部分に豚、犬、鶏、家鴨のマスクを付けたままだが、この動物扮装のままで他の登場人物をも演じる。小説の地の文がそのまま朗読される。
坂口安吾は高校時代に熱中して読んだ作家だが、その後は折りに触れてしか読んでいない。「白痴」も長らく読んでいないが、小説の世界がほぼそのまま再現されるので、舞台を見ているうちにそのディテイルも浮かび上がってきた。「白痴」は繊細でロマンチックな物語だ。そこでぬけぬけと表される自嘲と虚無感が、今の自分からすると気恥ずかしい。安吾はその語り口ゆえに本質的にファルス作家だと思った。
舞台の情景は「白痴」の演劇的再現あるいは解説のようなものに感じられた。語りの内容を、絵本でわかりやすく提示されるような感じである。しかしもし舞台が小説の演劇的説明に過ぎないのであれば、敢えて舞台化する必要はないではないか?そんなことを思ってしまうような退屈な舞台だった。中途半端に演劇化されたものを見せられるよりは、安吾の言葉をテクストとして読み取り、そこから直接頭の中にイメージを作り出したほうがいいではないか。俳優の身体と凡庸な演出で、縮こまった「白痴」を見せられるよりも。舞台で「説明」するのであれば、こちらをぎょっとさせるくらいの精度で徹底的に作品世界を立体化させて欲しい(例えばハネケによるカフカの『城』のように)。そうでなければ、演出家のアイディアと俳優の身体で、テクストの読解では誰もが気づかなかったような新たな解釈の可能性を示すような舞台が見たい。