閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ヨアン・ブルジョワ『Scala - 夢幻階段』;ミロ・ラウ『コンゴ裁判』;SPAC『ふたりの女』(ふじのくに⇄せかい演劇祭2019)

2019/04/28
ヨアン・ブルジョワScala - 夢幻階段』;ミロ・ラウ『コンゴ裁判』;SPAC『ふたりの女
 
まっすぐ伸びる階段を中央にしたシンメトリックな舞台美術は、暗めの照明で照らし出されていてグレーのモノクロームでおしゃれにまとめられている。なんとなく『無印良品』を連想させる。
トランポリンを使って、フィルムを逆回しして見せるような動きの面白さが何よりも印象的だ。この「逆回し」は様々なバリエーションとともに何度も繰り返される。
シルク・ド・ソレイユのようだと評した人もいたが、確かに地味でシックでスノッブなシルク・ド・ソレイユという感じ。音楽を現代音楽風にして、照明を暗くして、そして抑制を感じさせるストイックで洗練された表現による新スタイルの芸術的サーカスというか。体の関節がいきなり外れて崩れるような動き(舞台セットの椅子やテーブルもこうした崩れ方をする仕掛けが施されている)もまた執拗に繰り返される。
同じ動きを何回も繰り返し、それを徐々に変化させるという手法は、その表現の洗練されたストイシズムと相まって、フィリップ・グラスの音楽を連想させるものだった。
最初のうちは表現としてちょっと気取りすぎてやだなあと思って見ていた。場面のヴィジュアルの面白さはあるが、想像力を刺激するドラマ性が弱いようにも。ただ反復しながらグラデーションのように変化していく場面に次第に引き込まれ、作品から詩的面白さも感じとられるようになり、見ている気分も盛り上がってきた。
 
昨年秋にアンスティチュで行なったイベントで、SPACの横山義志さんからこの作品の報告を聞いていて、日本で上映があるなら必ず見に行こうと思っていた。1990年代末から2000年代の初めにかけてあったコンゴ戦争の後(600万人の死者が出たという)、なお混乱が続くコンゴに演劇家のミロ・ラウが乗り込み、戦争後も続く多国籍大企業によるコンゴ人民からの搾取と虐殺事件の当事者を召喚し、擬似裁判によって事実を検証する様子を記録したドキュメンタリー映画だった。
これは驚異的な作品だった。リミニ・プロトコルなど、演劇的手法を用いて現実社会に切り込む手法の作品はすでに数多く試みられている(ドキュメンタリー演劇と呼のだったけ)。私が驚愕したのは、ミロ・ラウが演劇的手法で捉えようとした現実があまりにも巨大であり、そしておそらく非常に危険でデリケートでスリリングな問題であるからだ。
ミロ・ラウはコンゴの政治的状況の混沌のなかに果敢に飛び込み、「模擬裁判」という演劇的茶番に関係者を巻き込むことでその網目を解いていく。
なぜ模擬裁判か?それはコンゴの現実が自らの関わる事件についての公平な司法を期待できる状況にないからだ。こうした「模擬裁判」は外部者であるミロ・ラウであったからこそ可能になった。しかしそれを実現するための手間はどれほどのものだっただろうか?
いったいどうやってこの大掛かりな茶番に当事者である彼らを巻き込むことが可能になったのか。接触する人物の人選、そのアプローチ、引き込むための戦略の構想、こうした作業には膨大な労力と時間、智恵が投入されている。その作業を設計し、自分が動くだけでなく、この危険で不確定要素の大きいプロジェクトへの協力者を探して、説得し、彼らをを動かすための手間を考えると、頭がクラクラする。
この作品はまさしく演劇的発想と方法が用いられているが、演劇ではないという作品だ。「擬似裁判」という現実の模倣的再現が現実に裏返っていく。スリリングで緊張感に満ちた時間。
 この作品は純然たるドキュメンタリーではない。ドキュメンタリーにも「脚本」はあるが、おそらくこの作品にもかなり書き込まれた脚本はあるように思う。そうでなければ一発どりであの裁判場面は撮ることが不可能ではないか。演技指示という意味での演出もあった可能性が高い。問題はどこまでそういった作り込みを行ったかだ。周到なリサーチの上、様々な可能性を考慮した上で、一番ギリギリのところを切り取ろうとしているように見えた。
 作品創造に関連する文献を読みたい。制作の記録なども。また静岡の芸術祭での二回だけの上映、限定された演劇ファンを対象の上映だけはもったいない。全国の映画館で上映されれば、大きな反響を期待できる作品だ。東京でもまた上映されて欲しい。
 
4年前に再演を見ている。たきいみきが素晴らしくいい。たきいは年月を経るに従ってどんどん魅力的な女優になっている。見た目の堂々たる美しさだけじゃなくて、コミカルな表現がさまになっているところとか、その愛嬌にグッとくる。あと印象に残ったのは武石守正。登場人物の中で一番狂っている人物に見えるその異様な雰囲気と存在感。武石の登場場面が作品の混沌を深めている。俳優宮城聡の出演や三島景太のコミカル・グロテスクな怪演が、観客を喜ばせる。舞台芸術公園の森を借景としたビジュアルの美しさ、壮大さの中で、唐十郎の詩を堪能できる秀作だった。