閑人手帖

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【劇評】カクシンハン『ハムレット×SHIBUYA』2019/05/22@渋谷ギャラリー・ルデコ

「今」、「ここ」にいる「私」が語る『ハムレット

演技者だけでなく、観客も芝居が終わったあとは、精力を使い果たしたような状態になる。詩的で混沌とした断片的なイメージの集積が、後半に一気に凝縮され、行き詰まるようなクライマックスがどんどん密度を高め、加速しながら連続する。私がこれまで見たカクシンハンのシェイクスピアはどの作品も、「今」、「ここ」にいる「私」のシェイクスピアであり、400年以上前にイギリスで書かれた戯曲をしっかり読み込んだうえで、その世界を現代の日本に生きる私たちに繋げるための様々な劇的でトリッキーな仕掛けが魅力となっている。
ハムレット×SHIBUYA』は2012年のカクシンハンの旗揚げ公演で上演された作品であり、カクシンハンの上演作品のなかでは唯一のオリジナル作品だ。タイトルが示す通り、『ハムレット』のセリフや場面が劇中ではふんだんに織り込まれている。しかし場所はAKIHABARAとSHIBUYA、現代の東京だ。


ほぼ一年前に見たカクシンハン『ハムレット』の冒頭の場面を思い出す。あれは確かシブヤのスクランブル交差点の雑踏から始まった。まだ観客席に開演前のざわつきが残っている状況のなか、劇ははじまる。傘をさした多数の人間が舞台上に描かれた横断歩道を横切る。この都会の雑踏のなかに一人の男がうずくまっている。しかし彼に気を留めるものはいない。せりふのない五分ほどの群像劇は『ハムレット』の物語全体の象徴的なレジュメとなっていた。現代を強引にシェイクスピアの時代に結びつけるオープニングの演出は、カクシンハンの演劇美学の高らかなマニフェストとなっていた。原発事故後のフクシマの惨状を『ハムレット』に重ねた昨年の公演はまさに現代のわれわれの作品としてのシェイクスピアの可能性を提示するものだった(ただしそこに「フクシマ」というある意味手垢のついてしまった記号を用いたことは、作品の解釈の可能性を狭めてしまったように思え、私は評価できなかった)。今回『ハムレット×SHIBUYA』を見ることで、一年前に上演されたカクシンハン『ハムレット』の舞台上演の記憶を見たときが蘇ってきた。あの『ハムレット』の印象的なオープニングのあと、舞台上の世界はテープが巻き戻されるように一気に過去の時代へ、シェイクスピアの『ハムレット』で描かれた「デンマーク」へと移行していった。


現代劇として翻案された『ハムレット×SHIBUYA』では時間は巻き戻されない。抽象化され、象徴化された場としてのアキハバラとシブヤが舞台となり、この場所は二人の青年として擬人化される。『ハムレット×SHIBUYA』では、木村龍之介自身の『ハムレット』という作品に対する姿勢や解釈がより直接的に伝えられる。ハムレットに共鳴し、その存在の混沌と闇の中に果敢に身を投じ、格闘する作・演出家自身の姿が晒されているように感じられた。


ギャラリー・ルデコの中央には小さな丸テーブルが置かれ、そこが演技エリアの核となる。客席の椅子はそのテーブルを取り囲む形で、無造作に並べられている。この上演空間は客席を含め、作品の舞台である「アキハバラ」と「シブヤ」のミニチュアとなっていて、あえて殺風景で雑然とした状態で置かれている。リーディング公演ではあるが、俳優たちはテーブルの周りで座ってテクストを朗読するのではない。照明の効果も使用され、ときに俳優が客席のあいだにも侵入する動的でダイナミックな演出となっている。何よりも俳優の演技が発する熱量が圧倒的だ。その激しさにこれがリーディングであることを忘れてしまう。ギャラリー・ルデコの空間全体が象徴的な劇的空間となり、観客もその空間の一部として取り込まれてしまう。


安定していた世界が突然ゆらぎ、崩れてしまったときに、人はどうなってしまうのか。世界と「私」との関係が激しく揺さぶられたときのハムレットの混乱と不安は、断片的な言葉の連鎖というかたちでそのまま伝えられる。断片に解体され、再構成された『ハムレット』は、現代の「アキハバラ」と「シブヤ」という場のなかで徐々に不可解で不気味で怪物的なイメージを形成しはじめる。あらかじめ観客に伝えられる「あらすじ」は奇妙で意味不明の状況しか記しておらず、冒頭の詩的で断片的なモノローグ解読の手助けにはならない。『ハムレット×SHIBUYA』の難解さは、あのハムレットが味わい、作・演出の木村が共鳴した混乱と不安を、観客であるわれわれにも共有させることを意図しているかのようだ。このわけのわからなさは解決されることはない。ハムレットの苦悩は重苦しい闇として最後まで持続する。いやむしろその闇はどんどんと深くなって行った。


上演時間の1/3を過ぎる頃からようやく混沌から抜け出し、それまで提示されていた暗示的な要素が劇的なアクションを形作り、物語が展開し始める。しかしそこから提示されるシーケンスがことごとく濃密で、凝縮された感情が爆発するような激しい場面が最後まで延々と続くのだ。劇中人物に憑依されたかのような俳優の熱演に、観客である私は戸惑いのなか、なんとも抗しがたい強引さで引きずり込まれた。あの荒々しさには現代の日本に生きる自分の物語として『ハムレット』に真摯に向き合ったときに作・演出の木村の中で湧き上がった思いが反映されているに違いない。ハムレットが具現する闇の深さに飲み込まれそうになったとき、恐怖に思わず悲鳴をあげそうになる。その悲鳴を演劇という形式に抑え込むことでなんとか第三者に伝えようとする。『ハムレット×SHIBUYA』では、作・演出の木村と俳優たちが全力で溢れ出る闇と格闘し、それを不器用に表現としてかたちにしようとするさまがむき出しになっている。


クライマックの場面が次々と続くような重量感のあるリーディング公演で、終演後の俳優たちは精力を使い果たした抜け殻のようだった。観客である私も重力から解放されたような虚脱感を覚えた。カクシンハン『ハムレット×SHIBUYA』は、「今」、「ここ」に生きる「私」が『ハムレット』とどう格闘したのかを伝える壮絶な記録であり、『ハムレット』の闇が含みもつ可能性の豊かさを示す舞台だった。[観劇日:5/22]

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カクシンハン『ハムレット×SHIBUYA』2019/05/22@渋谷ギャラリー・ルデコ
http://kakushinhan.org/others/hs
【公演情報】
カクシンハン特別リーディング公演『ハムレット×SHIBUYA─ヒカリよ、俺たちの復讐は穢れたか─』
- 作・演出:木村龍之介
- 原作:シェイクスピアハムレット
- 会場:ギャラリー LE DECO 4
- 2019年5月22日(水)─26日(日)
- 出演:河内大和、真以美、岩崎MARK雄大、島田惇平、鈴木彰紀、椎名琴音
- 映像:松澤延拓
- 照明:中川奈美
- 音響:大園康司
- 美術:乗峰雅寛(文学座
- 企画・製作:カクシンハン