閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021/1/23 SPAC『病は気から』@静岡市民文化会館中ホール

病は気から | SPAC

ノゾエ征爾潤色・演出によるSPACの『病は気から』を私が見るのはこれがたぶん三度目だと思う。モリエールの喜劇はフランスでは上演が現代も非常に多いけれど、日本での上演機会はあまりない。よくできた戯曲ではあるけれど展開はどの戯曲も定型的だし、笑いも普遍性はあるけれど微温的で意外性に乏しく、鋭くとがった感じがしない。普通にそのままやってもあまり面白くないのだ。

ノゾエ征爾の『病は気から』は、モリエール喜劇の古典的な硬直した笑いを、オリジナル戯曲の核となる部分を押さえつつ、現代日本の観客の感覚にも通じるエキセントリックな笑いに転換させた非常に優れた翻案だ。モリエールの本場で、様々な趣向のモリエール喜劇が数多く上演されるフランスでも、ノゾエ版『病は気から』を上演し、フランスの観客の反応を見てみたい気がする。

今回は新型コロナ防疫版になっていて、これまでの演出プランを引き継ぎつつ、俳優たちは全員最初から最後までマスクをつけて演技し、劇中でも消毒液噴霧や透明シールドによる飛沫防止などの小技を導入して笑いをとっていた。

ただ芝居開始から30分ほどすると、芝居全体を引き締めるたがが緩んで、冗長さが感じられるようになる。展開のスピードは落ちていないにもかかわらず、俳優同士の反応のキレが鈍くなり、芝居のエネルギーが減少してしまったようにかじられた。おそらくごくちょっとしたずれ、細かいいろいろな不具合の重なりが、芝居全体のリズムに影響を与えているのだろう。

『病は気から』はモリエール最後の作品となり、モリエールはこの芝居の上演中に舞台に倒れ、死んでしまう。作品中の主人公のアルガンと作者のモリエールを重ねる発想の演出はおそらくあまたあるだろう。ノゾエ版もアルガン/モリエールの二重性を取り入れていたが、今回は作品解釈に深みをもたらすその二重性の表現の工夫はもっと練り上げることができるような気がした。このあたりは前回までの上演と脚本上の変更はなかったかもしれないが、今回の上演ではその練り上げの中途半端さが気になった。またこれまでの上演でも単調で長すぎるように感じられた最後のアルガンの口頭試問は、芝居のエネルギーが減衰していった今回の上演ではより単調に感じられた。

アルガンの長女アンジを演じた榊原有美は今回の上演でもいびつな可愛らしさが印象的でよかったが、そのぎょっとするようなコケットリーが今回の舞台ではあまり生きていないのが残念だった。やはりアンサンブルの密度に問題があったように思う。

今回の出演者で最も素晴らしかったのは、『病は気から』の外枠で、作品を今、ここの世界からメタ可していた前説と最後の芝居に出てきたSPAC制作の米山淳一だった。