閑人手帖

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2021/08/08 劇団四紀会『なおちゃん』@元町プチシアター(神戸元町賑わい座)

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劇団四紀会第166回公演『なおちゃん』

  • 別役実「ふなや」原案による
  • 脚色:桜井敏
  • 演出:岸本敏朗
  • 出演:延吉広子、久語和子、香西桃代、里中信
  • 会場:元町プチシアター(神戸元町賑わい座)
  • 観劇日:2021年8月8日11時、9日15時

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劇団四紀会は1957年に創設された神戸の老舗劇団だ。今年は創立64年目ということになる。1950年代から60年代にかけては日本の戦後アマチュア演劇の全盛期でもあり、このころに設立されて現在まで活動を続けている劇団は実はかなりの数ある。

本公演は4月に2本立てでの予定されていたものだったが、新型コロナウイルス感染拡大によって公演が延期になった。結果的に4月よりさらに状況が悪化している8月のはじめに公演することになってしまったのだが。もう一本上演する予定だった作品の出演者の急病のため、8月の公演直前に上演時間60分の芝居一本だけの上演となった。

公演会場は劇団の事務所兼稽古場として恒常的に使っている場所で、元町駅から徒歩一分の雑居ビルの6階にある。会場の広さは学校の教室ぐらいだろうか。客席はきちきちに詰めればおそらく50席ぐらいだと思うが、今回の公演では新型コロナ感染対策でかなりゆったりと間を空けて椅子を並べていた。

舞台を隠す幕の絵が私は気に入った。左右は港町神戸の風景だろう。

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『なおちゃん』は別役実のコント「ふなや」に基づく作品だが、原作とはかなり雰囲気は異なった作品になっているようだ。主な登場人物は養老院に住み、自室で鮒を飼っている老女、浪江とその老女の部屋を突然訪ねてきた女の子のなおちゃんの二人だ。

あらすじは以下のとおり。

夫に死なれたあと、何年も前から浪江は養老院で一人で暮らしている。彼女を訪ねてくる家族もいないようだ。浪江の孤独のなぐさめとなっているのは、部屋で飼っている一匹の鮒だけだった。浪江は鮒が何かしゃべっていることに気づいた。しかし残念ながその内容まではよく聞き取ることができない。近所に住んでいるという女の子、なおちゃんが突然、浪江の部屋に入ってきて、鮒が話す様子を見せて欲しいと頼んだ。なおちゃんに促されて、浪江は鮒に話しかけ、鮒の言葉に耳を傾ける。なおちゃんには鮒のメッセージはしっかりと聞き取れたようだ。なおちゃんのおかげで浪江が鮒が本当に何か話していることを確信する。

なおちゃんの勧めで浪江は、一回五〇円で鮒の言葉を聞き取って、それを人に伝える「ふなうらない」の商売をすることにした。そして何人かの通りがかりの人に、鮒のメッセージを伝えた。鮒のメッセージの最後はかならず「必ず幸せになるからね」だった。「ふなうらない」の予言に、通りすがりの客はささやかな希望と喜びを手に入れる。なおちゃんは時折浪江の様子を見に来るが、浪江を励ますとすぐにきまぐれに姿を消してしまう。なおちゃんがこの世の人間ではなく、何年か前に交通事故で亡くなった女児であることを浪江は知る。でもなぜなおちゃんが自分のところにやって来たのかはわからない。

 四紀会版『なおちゃん』は明るい希望とともに終わっている。私がもしこの作品を舞台にあげるなら、浪江を訪ねる少女、なおちゃんも、鮒の言葉も、そして「ふなうらない」という商売も、すべて話し相手を失った孤独な老女の妄想だったという結末にしてしまうだろう。あるいはもしかすると別役実の原作もこのような明るいラストではないような気がする。

『なおちゃん』は”人情噺の夕べ”というシリーズの一つとして上演された作品であり、四紀会の演出としては、最後は心をほっこりさせるような結末が望ましいものだったのだろう。

人と人が言葉を交わし合う状況は感染予防のためできるだけ避けることが推奨されている今、生身の人間の交流の充実感に飢えている人は多いはずだ。特に老人は引きこもって、孤立する状況が全般的にひどくなっているのではないだろうか。養老院で一人で暮らす浪江はそうしたコミュニケーションから断絶させられた私たちの象徴のような存在だ。ネットや電話などでのコミュニケーションは可能ではあるとはいえ、肉体と空間を伴うことのないそうしたコミュニケーションは、生身の人間の交流よりはるかに索漠としたものだ。

寂寥とした孤独をなぐさめ、浪江のように「鮒に話しかけ」ることでなんとかむなしさをやりすごしている人は実際にも少なからずいるだろう。「なおちゃん」が浪江のもとにやってきたのは、浪江があまりにも孤独で寂しそうだったからだ。

浪江役を演じた延吉広子の演技が素晴らしかった。台詞のおよそ8割は浪江のものだったが、しっかりと台詞が入っていて、芝居のリズムを作っていた。表情の変化や言葉の調子、動きの一つ一つに神経が行き届き、丁寧に芝居を作っていることがうかがえた。そしてとにかく可愛らしい老女だった。その無邪気な可愛らしさの向こう側には、静かな諦念も感じ取られる。愛らしいがゆえに、悲しさも感じさせる老女だった。

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劇団四紀会 岸本敏朗氏

終演後、演出の岸本敏朗氏に40分ほど劇団について話を伺った。岸本氏は劇団の立ち上げメンバーの一人で、現在86歳とのこと。そんなご高齢だとは思えないほど、明瞭で快活な話しぶりだった。岸本氏は神戸出身。大阪外大に進学し、大学在学中に文学座の『ハムレット』の公演を観たことがきっかけで、演劇の魅力に引き込まれたと言う。大学卒業後は、貿易業の傍ら、神戸の劇団でおそらく最も古くから活動している劇団道化座の研究所で演劇を学んだ。道化座研究所の同期の仲間たちと1957年に結成したのが、劇団四紀会だった。以後64年間にわたり、神戸を本拠地に活動を続けている。当時は神戸でも労組などの組織を中心に多数の劇団が活動していたと言う。神戸には川重などの大企業がいくつかあり、昭和30年代には地方の田舎から多数の若者が職を求めて都市にやってきた。私の父母もその世代だ。彼らが田舎から都市にやってきたのは、職だけでなく、都市生活で得られる自由を求めてだろう。しかし都市で孤立していた若者たちは、さまざまなサークル活動で仲間を探し、自分の居場所を見つけようとした。演劇もその当時のそんな若者たちの有力な居場所の一つだったのだ。

岸本氏が講師を務めていた演劇教室にもそういった若者が多数やってきて、そのうちの何人かは劇団四紀会のメンバーとなり、現在も劇団の中心として活動していると言う。

 

長い劇団の歴史のなかで、大きな転機がこれまで三度あったと岸本氏は言う。一つ目は70年代に活動家系の劇団員とそうでない劇団員の対立があり、活動家の劇団員が大量に離脱したこと。新劇を母胎とする50−60年代のアマチュア演劇は左翼政治団体の影響力が強かったのだ。二つ目は1995年の阪神・淡路大震災。この大震災以降、神戸の風土や歴史に関わりのある内容の創作劇の割合が増えていったという。そして昨年の新型コロナウイルスが三度目の大きな転機となっている。

劇団員は多い時期で35名ほどだったが、今は活動しているのは十数名とのこと。とりわけコロナ禍以降は稽古場への接近も避けざるをえないような状況のメンバーも少なからずいて、存続の危機にあると、当日パンフレットの文章にあった。

2011年か元町駅そばの雑居ビル6階に事務所兼アトリエを借りるようになる。このアトリエは貸し館としては「元町プチシアター」、主催公演では「神戸元町賑わい座」という名で、劇団の本拠地となっている。ここ数年は、年に4、5回のペースで「神戸元町賑わい座」を中心に公演を行っている。

[追記]

 

劇団四紀会『なおちゃん』の原案である別役実「ふなや」を読んだ。俳優、そして『まんが日本むかし話』の声優として知られる常田富士男がライフワークとして演じていた作品だったとのこと。ナレーションのNとふなやの爺の独白だけの戯曲で、爺の口上のリフレインが印象的な美しい詩劇だった。鮒の話を聞かせる商売という設定は、劇団四紀会『なおちゃん』は別役の戯曲から借りているものの、原作とはほぼ別の作品といっていい。事故死した女の子、なおちゃんをもってくることで、『なおちゃん』は別役の原作が持っていた詩的な奥行きは失ってしまった。しかしそれと引換えに、別役の原作とは異なるメッセージを伝えることになった。別役の詩は失われ、通俗的で説明的になってしまったところはあるが、『なおちゃん』からは孤独な晩年を生きる老人の心情が浮かび上がってくる。主演の延吉広子が演じる可愛らしい老婆はやはり名演だった。

別役実「ふなや」の最後は、シニカルで暗い後味のものではなかった。寂しい風景だが、その最後は開かれていて、優しさと詩情に満ちている。常田富士男の舞台を見ておきたかった。この『ふなや』の上演舞台を見てみたい。